第2話 水影と麒麟のポテンシャル(良)

 宮中は後宮に仕える絢爛豪華な女官らが、ひそひそと噂話をしているところに、水影みなかげが遭遇した。

「——うそぉ。また一人いなくなったの?」

「ええ。これで四人目よ。この短期間に、一体何が起きているのかしら。恐ろしいったらないわ」

 二人の女官が扇で口元を隠しながら、後宮で起きている事件に青ざめている。

「ふむ……」

 水影は宮中を歩きながら、考察の構えで、女官らの話を聞いていた。そのまま朱鷺ときの下へと参内し、御簾みすの前で女官らの話を伝える。


「——数日の間に、後宮の女官らが、次々と消えておるとのことにございます。里帰りの季節ではありませぬし、自らの意思で宮中より逃げ出したか、あるいは、人攫ひとさらいか……」

「ふむ。後宮に限り、人攫いはあらぬであろう。あるとすれば、神隠しか」

「神隠し? の世に神など、おりませぬ。ゆえに、神によって人が攫われるなどという馬鹿げたことも、有り得ませぬ」

「相も変わらず、神仏は信じておらぬようだな、水影。まあ、逃亡にせよ、何者かに攫われたにせよ、後宮の一大事に変わりあらぬでな。水影、今すぐ我が瑞獣らを招集せよ」

「御意」

 水影が一礼し、すぐさま他の瑞獣らを呼びに行った。

「……ふむ。後宮で神隠しのう」

 目を伏せた朱鷺の脳裏に、かつての恋人——朔良さくら式部の笑顔が蘇る。後宮は亡き桐緒の上(朱鷺の祖母/亡き夕鶴ゆうかく帝・鷲尾わしお院の母后)に仕え、臣籍に下った冷遇時代に恋仲となるも、憎き鷲尾院によって粛清された、朔良式部。最愛の恋人を亡くしてから一年以上経つが、今なおその傷は癒えていない。鷲尾院により、自分が契った女人がことごとく処刑されたトラウマから、本来、后や中宮を後宮に据えるはずが、今なおその地位にあるものはいない、からの後宮である。そんな後宮に仕える女官らが、次々と姿を消している——。


「——というわけだ。後宮にて起きておる事件解決がため、そなたら全員……」

 御簾の中で鎮座する朱鷺が、平伏する四人の瑞獣らに向かい、命じた。

「そなたら全員、女官に扮装せよ!」

「……は?」

 四人が一斉に首をかしげる。朱鷺が、ぱっと扇を開いた。

「聞こえなんだか? 後宮に女官として潜入せんがため、そなたら全員、女装せよと命じたのだ」

「……あの、主上、我ら全員、女装せねばならぬのですか?」

 一番の巨漢である安孫あそんが、目をパチパチとさせながら訊ねた。

「無論ぞ、安孫。の中の誰が女官として潜入するか決めるがため、そなたら全員の可能性を確かめねばならぬでな」

「可能性とは……。主上、事件の裏で、愉しんでおられませぬか?」

「何を申すか、安孫! そんなわけなかろうっ……ぐふっ」

 たまらず吹き出した朱鷺に、「愉しんでおられるな」と、冷めた目で水影が言う。

「ええ。あれは愉しまれている御顔です……」

 麒麟きりんもまた、水影同様、遠い目で言った。

「後宮の一大事ぞ。愉しいはずがなかろう」

 秀麗な面持ちで、朱鷺がパチンと扇を閉じる。

「あれ? 随分と大人しいですね、霊亀れいきさま」

 日頃から、可愛いの座は譲らない!と煩いくらい主張している満仲みつなかは、一人、黙り込んだままでいる。それを麒麟がいぶかしがる。俄かに満仲の肩が、ブルブルと震え出した。

「ま、まんちゅう? 如何どうしたのだ?」

 心配する安孫をよそに、満仲が「あああああ!」と叫び声を上げた。正面に座る朱鷺がけ反り、水影が耳をふさぐ。

「れ、れいき様? どうされたんです?」

「……やっとじゃ。やっと、わしが一等可愛いことが証明される日が訪れたのじゃああ!」

「はああ?」

 水影、安孫、麒麟の三人が、思いっきり眉をひそめた。

「普段からわしが一等可愛いのは当然じゃが、女官に扮することで、また別の可愛らしさの発見となるじゃろう! 良いか、御前おまえ達。の女装対決、必ずや、わしの勝利となるじゃろう! 主上もわしを一等可愛いと褒められるに違いない!」

 鼻息荒く豪語する満仲に、「趣旨をたがえておりますぞ、満仲殿」と冷静に水影が言うも、「まあ、良い」と朱鷺が、その心意気を認めた。

「では各々おのおのさるの刻(午後三時)までに女官に扮装し、披露すること。ゆめゆめ生半可な女装などせぬようにな。万一、我が興を削ぐような真似でもしようものなら……」

 普段温厚で器の大きな主から、ゴオオオ!と黒い圧力が放たれる。

「ぎょ、ぎょい!(結局、面白がってんじゃねえか!)」

 瑞獣一同、主の興を削がないよう、生涯で一番の女装をすることを固く誓った。


 帝の影となるべく、三条家で指南を受けている麒麟は、水影と共に屋敷に戻った。

「しかし、女装すると言ったって、何をどうすれば良いのか分かりませんね」

 縁側に座った麒麟が、どうしたものかと考える。

「どう転んでも、瑞獣が中では、我ら二人が女官に扮し、後宮に潜入することになろう。巨漢と自惚うぬぼれが女装したところで、笑い転げるオチしかあらぬでな。先が見えておるとは言え、あのご様子では、中途半端な女装を見せようならば、主上が逆上しかねぬでな。一応それなりに、我らも女装せねばなるまい」

 冷静に水影が言うも、それなりの女装をどうやってすれば良いのかと、考えを巡らせる。

「いくら考えたところで、おれ達だけでは、どうにもなりませんよ。ここは、ゆう様にお願いしましょう」

 唐突に出てきた名前に、水影の肩がビクンと飛び跳ねた。名前を言っただけで、水影の耳まで赤く染まっている。ゆうは、三条家の女中であり、その昔、水影がどこかから拾ってきた孤児である。その名前も水影が付けてくれたと、ゆう自身が嬉しそうに話すその表情から、互いに気があるのだと、麒麟は悟っていた。

「ゆ、ゆうは、今時分、夕餉ゆうげの支度で忙しかろうっ……! 斯様かようなことに巻き込むわけにはいかぬでなっ……」

 珍しく動揺を見せる師の姿にも、「ゆう様にお願いして参ります」と、スタスタと麒麟がくりやへと向かう。

「なななっ……! ま、まて! 麒麟っ……!」

 どれだけ水影に阻まれようとも、麒麟は気にせず、歩き続ける。

「わ、わかった! わかったから一度、歩みを御止め下され、麒麟どのっ……!」

 思わず敬語になるほど、水影は焦っていた。そうして歩みを止めることなく厨へと着いた麒麟が、ゆうを呼んだ。

「あら、麒麟さま! ……と、水影様っ……? このような場所に来られるなど、どうされたのですか?」

 驚いたように目を見開いたゆうに、麒麟の背中に隠れながらも、水影が紅潮する頬を掻く。

「あ、ああ……実は、困ったことになってな。ゆうに頼みがあって参ったのだが、しばし付きうてはくれぬか?」

 ゆうの前に出て、水影が緊張した面持ちで言う。

「わかりました! ゆうの出来ることで、水影様の御役に立てるのであれば、喜んでお手伝いいたします!」

 純粋に役に立ちたい一心で、胸に手を寄せるゆうに、水影の心も踊った。

「良かったですね、鳳凰ほうおう様」

 麒麟のアシストにより、ゆうに触れてもらえる機会を得た水影が、「う、うむ」と嬉しそうにうなずく。

「それで、何をお手伝いすればよろしいのでしょうか?」

 心躍るままに、水影がストレートにお願いした。

「ああ、我らに女装を施してほしいのだが」

「はいっ?」

 あまりにストレート過ぎて、ゆうには理解不能だった。

「あ、あのう、水影さま……? 女装とは、いったい……」

 ゆう自身、幼い頃より水影に淡い恋心を抱いているだけあって、意中の殿方から女装したいと言われ、ひどく混乱した。

「えっ……?」

「あ、あの、水影さまは、そのようなが、おありなのでございましょうか?」

「あ、あああ、いや、違うのだ! そういうことではなく、決して我らに、そういった趣味があるとか、そういうことではないのだ! ゆうっ……!」

 今更ストレートにお願いしたことを後悔した水影が、慌てて取り繕う。

「訳があって、我ら女官に——」

「ううん! 鳳凰様! それ以上のことを仰せになれば、何かと支障が出てくるかと」

「あ、ああ、そうだな。……並々ならぬ事情があり、女装せねばならなくなってしもうてな、ゆうに化粧を施してほしいのだ」

「水影様……。わかりました。色々と事情がお有りなのであれば、これ以上、何も聞きません。では、部屋より化粧道具一式持ち、水影様の御部屋に伺います」

「ああ。頼むぞ、ゆう」

 水影と麒麟が、一足先に部屋へと向かう。その道中、「……絶対怪しまれておる。そういうがあると、疑われておるな……」と水影が落ち込んだ。

「いやいや、あれはどう見ても、鳳凰様を信じておられる御顔でしたよ。たとえその気があったとしても、ゆう様は、鳳凰様に幻滅されることはないでしょう?」

 何気なく麒麟が言うも、それが男前すぎて、逆にイラっとした。水影が扇で、麒麟の額をペチンと叩く。

「うーん、ありのままを言っただけなんですが……。鳳凰様は、本当にお厳しい」

「そなた、段々と主上に似てきたな」

「おれは主上の影となるべく、鳳凰様に鍛えられていますからね。お師匠様が優秀なんでしょう」

「まったく……」

 それでも嫌な気などせず、水影は麒麟と共に、自分の部屋でゆうが来るのを待った。


「——すみません、お待たせしました!」

 ゆうが化粧道具一式を持ちながら、走って水影の部屋に訪れた。

「すまぬなぁ、ゆう。では、頼む」

「はい! ゆうにお任せください!」

 水影の役に立てることが嬉しくて、ゆうは、張り切って水影と麒麟に化粧を施した。

「——うわぁ! 水影さま、すごく美人っ……!」

 完成した水影の化粧姿を前に、ゆうが感嘆の声を上げた。

「それに麒麟様も、か、かわいいっ……!」

 熱を込めて二人に化粧を施したため、その経過途中では気付かなかったが、完成してまじまじと見たゆうが、二人を褒めちぎる。

 元々涼しげな目元と綺麗な顔立ちの水影と、中性的で愛嬌のある麒麟のポテンシャルは、女性であるゆうを落胆させるものだった。

「女人よりも美しいなんて……」

「いやいや、ゆう様。ゆう様の方が美人で可愛いから、そんな風に落ち込まないでください! そんな風に落ち込まれると、おれ達も居たたまれないと言うか、申し訳ないと言うか……。ねえ、鳳凰様」

「左様。我らなど、ただの男ゆえ、女人であるゆうの可憐さに比べたら、まがいものに過ぎぬ」

 水影が、乾いた声で言う。鏡の中に映る自分の化粧姿に、水影は頭を抱えた。

(これはまずい。主上好みの女人となってしもうた気がする……)

 人恋しい主のテンションが爆上がりする予感しかない水影は、げんなりする他なかった。

「ゆう様、上手く化粧を施していただき、ありがとうございました」

 麒麟が女人になりきり、礼を述べる。隣で溜息を吐いた水影に、小声で言う。

「残るは、衣装とかつらですね。女官衣装など、どこで手に入れれば良いのでしょう?」

 麒麟に訊ねられるも、「そうだのう……」と水影がじっと考える。その時、背後の襖が、ほんの少し開いた。見れば、屋敷籠り中の兄——実泰さねやすが、そこから衣文掛えもんかけを押し出していた。

「あ、あにうえ? その衣装は一体……?」

 衣文掛けには、小袿こうちぎが掛けられていて、袴や単、五衣いつつぎぬ表衣うわぎといった、女房装束が一式揃っていた。

 襖の隙間から、さっと文が出てきた。それを手に取り、水影が実泰からの文を読む。

『——の女房装束は、母上の形見じゃ。母上は若かりし頃、後宮に仕えておられた。そこで父上と出逢われ、我らが在る』

 初めて聞く両親の馴れ初めに、水影は「ほう!」と興味深く、続きを読む。

『母上——すみれ式部は、後宮一の才女であり、記紀博士として禁中一の切れ者と称された父上とは、よく文学問答をされておられたようじゃ。若干、母上の方が上手うわてであったと、父上から聞かされたものよ』

「……そうでありましたか。父上は、私には、何も話してはくれませなんだでな」

 母、菫式部は、水影が生まれて一年程で、流行病で亡くなった。その面影など、ほとんど記憶にない。父、晴政も、鷲尾院と共に入った鳥籠の中で、半年前に隠岐で亡くなった。兄、実泰は、その昔、武芸を競う敬福祭きょうふくさいにて、その自尊心を他の公達から傷つけられてからというもの、ずっと屋敷に籠ったままである。そうして水影は、幼い頃から“視えざる者”の身代わりとして、禁中に掬う闇を悪霊から守る役目を担い、何のいわれもない者らを手にかけてきた過去がある。ゆう自身、その謂れなき者の一人であったが、どうにか“視えざる者”に抗う力を蓄え、その窮地から救ったのであった。

「であらば、母上の形見である此の小袿をお借り致しまする」

 水影が、襖の向こうにいる兄に向かい、礼を述べた。

「あの、鳳凰様、おれは……?」

「麒麟はそうだのう、女官として潜入するには、学が足らぬでなぁ。下働きとして、潜入する他ないか」

「そういうことでしたら、ゆうの着物を持って参ります」

 事を理解したのか、ゆうが自分の着物を部屋から持ってきた。それを麒麟に差し出し、「どうぞ、お使いくださいな」と満面の笑みで促す。それに、麒麟は躊躇した。

「あの、鳳凰様、よろしいのでしょうか? おれがゆう様の着物を着ても……」

「ん? ああ、大事ない。されど、の着物を使い、よからぬことを考えようものならば……」

 水影もまた、主同様、黒い影を顔に差し、ゴオオオ!と脅しにかかる。

「や、やだなぁ、鳳凰様! 今回は主上のご命令ですよ! お師匠様の意に反することなんて、絶対にしませんって! それに、どう見ても、ゆう様は鳳凰様のことを……」

 そこまで言って、麒麟はゆうに目を向けた。その顔は、完全に水影に惚れている。水影に目を向けると、その表情もまた、好いた女人に頬を赤らめていた。

(もう、とっととくっつけよな!)

「なんて言えねーし!」

 一人麒麟がツッコんだ。

 二人はそれぞれの衣装に着替え、市井しせいで女人用のかつらを買うと、再び御所へと向かった。


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