第2話 水影と麒麟のポテンシャル(良)
宮中は後宮に仕える絢爛豪華な女官らが、ひそひそと噂話をしているところに、
「——うそぉ。また一人いなくなったの?」
「ええ。これで四人目よ。この短期間に、一体何が起きているのかしら。恐ろしいったらないわ」
二人の女官が扇で口元を隠しながら、後宮で起きている事件に青ざめている。
「ふむ……」
水影は宮中を歩きながら、考察の構えで、女官らの話を聞いていた。そのまま
「——数日の間に、後宮の女官らが、次々と消えておるとのことにございます。里帰りの季節ではありませぬし、自らの意思で宮中より逃げ出したか、あるいは、
「ふむ。後宮に限り、人攫いはあらぬであろう。あるとすれば、神隠しか」
「神隠し?
「相も変わらず、神仏は信じておらぬようだな、水影。まあ、逃亡にせよ、何者かに攫われたにせよ、後宮の一大事に変わりあらぬでな。水影、今すぐ我が瑞獣らを招集せよ」
「御意」
水影が一礼し、すぐさま他の瑞獣らを呼びに行った。
「……ふむ。後宮で神隠しのう」
目を伏せた朱鷺の脳裏に、かつての恋人——
「——というわけだ。後宮にて起きておる事件解決がため、そなたら全員……」
御簾の中で鎮座する朱鷺が、平伏する四人の瑞獣らに向かい、命じた。
「そなたら全員、女官に扮装せよ!」
「……は?」
四人が一斉に首をかしげる。朱鷺が、ぱっと扇を開いた。
「聞こえなんだか? 後宮に女官として潜入せんがため、そなたら全員、女装せよと命じたのだ」
「……あの、主上、我ら全員、女装せねばならぬのですか?」
一番の巨漢である
「無論ぞ、安孫。
「可能性とは……。主上、事件の裏で、愉しんでおられませぬか?」
「何を申すか、安孫! そんなわけなかろうっ……ぐふっ」
たまらず吹き出した朱鷺に、「愉しんでおられるな」と、冷めた目で水影が言う。
「ええ。あれは愉しまれている御顔です……」
「後宮の一大事ぞ。愉しいはずがなかろう」
秀麗な面持ちで、朱鷺がパチンと扇を閉じる。
「あれ? 随分と大人しいですね、
日頃から、可愛いの座は譲らない!と煩いくらい主張している
「ま、まんちゅう?
心配する安孫をよそに、満仲が「あああああ!」と叫び声を上げた。正面に座る朱鷺が
「れ、れいき様? どうされたんです?」
「……やっとじゃ。やっと、わしが一等可愛いことが証明される日が訪れたのじゃああ!」
「はああ?」
水影、安孫、麒麟の三人が、思いっきり眉を
「普段からわしが一等可愛いのは当然じゃが、女官に扮することで、また別の可愛らしさの発見となるじゃろう! 良いか、
鼻息荒く豪語する満仲に、「趣旨を
「では
普段温厚で器の大きな主から、ゴオオオ!と黒い圧力が放たれる。
「ぎょ、ぎょい!(結局、面白がってんじゃねえか!)」
瑞獣一同、主の興を削がないよう、生涯で一番の女装をすることを固く誓った。
帝の影となるべく、三条家で指南を受けている麒麟は、水影と共に屋敷に戻った。
「しかし、女装すると言ったって、何をどうすれば良いのか分かりませんね」
縁側に座った麒麟が、どうしたものかと考える。
「どう転んでも、瑞獣が中では、我ら二人が女官に扮し、後宮に潜入することになろう。巨漢と
冷静に水影が言うも、それなりの女装をどうやってすれば良いのかと、考えを巡らせる。
「いくら考えたところで、おれ達だけでは、どうにもなりませんよ。ここは、ゆう様にお願いしましょう」
唐突に出てきた名前に、水影の肩がビクンと飛び跳ねた。名前を言っただけで、水影の耳まで赤く染まっている。ゆうは、三条家の女中であり、その昔、水影がどこかから拾ってきた孤児である。その名前も水影が付けてくれたと、ゆう自身が嬉しそうに話すその表情から、互いに気があるのだと、麒麟は悟っていた。
「ゆ、ゆうは、今時分、
珍しく動揺を見せる師の姿にも、「ゆう様にお願いして参ります」と、スタスタと麒麟が
「なななっ……! ま、まて! 麒麟っ……!」
どれだけ水影に阻まれようとも、麒麟は気にせず、歩き続ける。
「わ、わかった! わかったから一度、歩みを御止め下され、麒麟どのっ……!」
思わず敬語になるほど、水影は焦っていた。そうして歩みを止めることなく厨へと着いた麒麟が、ゆうを呼んだ。
「あら、麒麟さま! ……と、水影様っ……? このような場所に来られるなど、どうされたのですか?」
驚いたように目を見開いたゆうに、麒麟の背中に隠れながらも、水影が紅潮する頬を掻く。
「あ、ああ……実は、困ったことになってな。ゆうに頼みがあって参ったのだが、
ゆうの前に出て、水影が緊張した面持ちで言う。
「わかりました! ゆうの出来ることで、水影様の御役に立てるのであれば、喜んでお手伝いいたします!」
純粋に役に立ちたい一心で、胸に手を寄せるゆうに、水影の心も踊った。
「良かったですね、
麒麟のアシストにより、ゆうに触れてもらえる機会を得た水影が、「う、うむ」と嬉しそうにうなずく。
「それで、何をお手伝いすればよろしいのでしょうか?」
心躍るままに、水影がストレートにお願いした。
「ああ、我らに女装を施してほしいのだが」
「はいっ?」
あまりにストレート過ぎて、ゆうには理解不能だった。
「あ、あのう、水影さま……? 女装とは、いったい……」
ゆう自身、幼い頃より水影に淡い恋心を抱いているだけあって、意中の殿方から女装したいと言われ、ひどく混乱した。
「えっ……?」
「あ、あの、水影さまは、そのような
「あ、あああ、いや、違うのだ! そういうことではなく、決して我らに、そういった趣味があるとか、そういうことではないのだ! ゆうっ……!」
今更ストレートにお願いしたことを後悔した水影が、慌てて取り繕う。
「訳があって、我ら女官に——」
「ううん! 鳳凰様! それ以上のことを仰せになれば、何かと支障が出てくるかと」
「あ、ああ、そうだな。……並々ならぬ事情があり、女装せねばならなくなってしもうてな、ゆうに化粧を施してほしいのだ」
「水影様……。わかりました。色々と事情がお有りなのであれば、これ以上、何も聞きません。では、部屋より化粧道具一式持ち、水影様の御部屋に伺います」
「ああ。頼むぞ、ゆう」
水影と麒麟が、一足先に部屋へと向かう。その道中、「……絶対怪しまれておる。そういう
「いやいや、あれはどう見ても、鳳凰様を信じておられる御顔でしたよ。たとえその気があったとしても、ゆう様は、鳳凰様に幻滅されることはないでしょう?」
何気なく麒麟が言うも、それが男前すぎて、逆にイラっとした。水影が扇で、麒麟の額をペチンと叩く。
「うーん、ありのままを言っただけなんですが……。鳳凰様は、本当にお厳しい」
「そなた、段々と主上に似てきたな」
「おれは主上の影となるべく、鳳凰様に鍛えられていますからね。お師匠様が優秀なんでしょう」
「まったく……」
それでも嫌な気などせず、水影は麒麟と共に、自分の部屋でゆうが来るのを待った。
「——すみません、お待たせしました!」
ゆうが化粧道具一式を持ちながら、走って水影の部屋に訪れた。
「すまぬなぁ、ゆう。では、頼む」
「はい! ゆうにお任せください!」
水影の役に立てることが嬉しくて、ゆうは、張り切って水影と麒麟に化粧を施した。
「——うわぁ! 水影さま、すごく美人っ……!」
完成した水影の化粧姿を前に、ゆうが感嘆の声を上げた。
「それに麒麟様も、か、かわいいっ……!」
熱を込めて二人に化粧を施したため、その経過途中では気付かなかったが、完成してまじまじと見たゆうが、二人を褒めちぎる。
元々涼しげな目元と綺麗な顔立ちの水影と、中性的で愛嬌のある麒麟のポテンシャルは、女性であるゆうを落胆させるものだった。
「女人よりも美しいなんて……」
「いやいや、ゆう様。ゆう様の方が美人で可愛いから、そんな風に落ち込まないでください! そんな風に落ち込まれると、おれ達も居たたまれないと言うか、申し訳ないと言うか……。ねえ、鳳凰様」
「左様。我らなど、ただの男ゆえ、女人であるゆうの可憐さに比べたら、
水影が、乾いた声で言う。鏡の中に映る自分の化粧姿に、水影は頭を抱えた。
(これはまずい。主上好みの女人となってしもうた気がする……)
人恋しい主のテンションが爆上がりする予感しかない水影は、げんなりする他なかった。
「ゆう様、上手く化粧を施していただき、ありがとうございました」
麒麟が女人になりきり、礼を述べる。隣で溜息を吐いた水影に、小声で言う。
「残るは、衣装と
麒麟に訊ねられるも、「そうだのう……」と水影がじっと考える。その時、背後の襖が、ほんの少し開いた。見れば、屋敷籠り中の兄——
「あ、あにうえ? その衣装は一体……?」
衣文掛けには、
襖の隙間から、さっと文が出てきた。それを手に取り、水影が実泰からの文を読む。
『——
初めて聞く両親の馴れ初めに、水影は「ほう!」と興味深く、続きを読む。
『母上——
「……そうでありましたか。父上は、私には、何も話してはくれませなんだでな」
母、菫式部は、水影が生まれて一年程で、流行病で亡くなった。その面影など、ほとんど記憶にない。父、晴政も、鷲尾院と共に入った鳥籠の中で、半年前に隠岐で亡くなった。兄、実泰は、その昔、武芸を競う
「であらば、母上の形見である此の小袿をお借り致しまする」
水影が、襖の向こうにいる兄に向かい、礼を述べた。
「あの、鳳凰様、おれは……?」
「麒麟はそうだのう、女官として潜入するには、学が足らぬでなぁ。下働きとして、潜入する他ないか」
「そういうことでしたら、ゆうの着物を持って参ります」
事を理解したのか、ゆうが自分の着物を部屋から持ってきた。それを麒麟に差し出し、「どうぞ、お使いくださいな」と満面の笑みで促す。それに、麒麟は躊躇した。
「あの、鳳凰様、よろしいのでしょうか? おれがゆう様の着物を着ても……」
「ん? ああ、大事ない。されど、
水影もまた、主同様、黒い影を顔に差し、ゴオオオ!と脅しにかかる。
「や、やだなぁ、鳳凰様! 今回は主上のご命令ですよ! お師匠様の意に反することなんて、絶対にしませんって! それに、どう見ても、ゆう様は鳳凰様のことを……」
そこまで言って、麒麟はゆうに目を向けた。その顔は、完全に水影に惚れている。水影に目を向けると、その表情もまた、好いた女人に頬を赤らめていた。
(もう、とっととくっつけよな!)
「なんて言えねーし!」
一人麒麟がツッコんだ。
二人はそれぞれの衣装に着替え、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます