第10話 神の助力 後編

 ストラは見守っていると言ったのではなかっただろうか。

 ピューラを通じて、神々の国から見守るのではないのだろうか?


「……来てはいけなかったか?」


 切れ長な目が不機嫌に細められる。

 赤茶の目に冷たさが宿り、ティアリーゼは慌てて首を横に振った。


「いいえ! どんな状況であろうともあなた様に会えるのは至上の喜びです!」


 キッパリ、ハッキリ断言する。

 ティアリーゼの推し神への思いは他の人間の比ではない。

 仕えたいという思いを押さえつけられていたからだろうか。

 少々こじらせてすらいた。


「……そうか」


 だが、ティアリーゼのこじらせ具合いなど知らぬストラは僅かに笑みを浮かべ安堵のような息を吐く。

 気を取り直すようにスッと背筋を伸ばすと、彼はこの場にいる理由を口にした。


「お前一人で行動するのが少し心配だったのでな」


 強力な術はつかえるし頭も良いが、どこか抜けていて今のように絡まれてしまうと思った――だそうだ。

 今まさに絡まれてしまった身としては言い返す言葉もない。


「それに……」


 ツイ……と、視線が流れストラはティアリーゼの肩に乗るピューラを見た。


「今朝、お前が気落ちしていると【それ】が伝えてきたのでな」

「え? ピューラが?」


 今朝ということはフリッツのことを思い出していたときだろうか?

 確かにあのときピューラは心配そうにしていた。


「そう、ですか……」


 大丈夫だと言ったのに、と思う反面、愛らしい小鳥の気遣いが素直に嬉しくもあった。


「……」

(……ん? と言うことは、ストラ様は私が気落ちしていると思って来てくれたということ?)


 言葉をそのまま受け取るとそういうことになる。

 だが、いずれ妻になる相手だとしても今は一介の神官に過ぎない。

 そんな相手のためにわざわざ神である彼が来てくれるものなのだろうか?


「その……もしかして他にも何かご用事が? よろしければ私もお手伝い致しますが?」


 自分の心配だけでストラが平民に扮してまで人の地に下りてくるはずがない。

 他にも用事があるに決まっている。

 そう判断しての言葉だったのだが……。


「何を言っている? 他に用事など無いが?」

「え? ですがその……だとするとストラ様が来てくださったのは私を心配したから、という理由だけということに……」

「だから、そうだと言っている」

「へ?」


 まさか本当に自分への心配だけだとは思わず、驚きの心地で端麗な顔を見上げた。

 すると赤茶の目で真っ直ぐティアリーゼを見下ろしていたストラと目が合う。


(ああ、こんな近くにストラ様がっ! 平民姿でも溢れ出る美しさ……尊い……)


 尊すぎて今すぐ膝を折り祈りを捧げたくなってくる。

 だが、膝を折る前にストラの手がティアリーゼの頬へと伸ばされた。

 長い指が頬を掠め、そのままティアリーゼの髪を耳に掛ける。その仕草に、息が止まった。


 ストラの指はさらに流れるように動く。

 顎のラインをなぞり、到達した先端を軽く掴まれ固定されてしまう。

 逸らせない視線に、ティアリーゼの胸の鼓動がドキドキと早まった。


「妻となる女の心配をしてはいけないか? これでも私はよき夫となるつもりはあるのだぞ?」

「お、夫!?」


 妻として仕える約束はしていたし、恐れ多いと思いつつそうなるよう頑張ろうと思った。

 だが、ストラを夫とする意識はなかったのだ。


 ストラの妻になるというならば当然彼が夫となるのは道理だ。

 でも、理屈を現実として捉えられていなかった。


(そ、そうよね。妻になるということは嫁ぐ相手が夫になるということですもの。嫁ぐ相手が……)

「ストラ様が私の夫……っ!」


 頭で理解しても実感が湧かず、確認するように声に出してみて失敗したと思う。

 じわじわとその事実を意識し、なんとも表現し難い恥ずかしさで顔に熱が集中する。


 赤くなった顔を見られたくないのに、顎を軽く掴まれ固定されている頭は動かせない。

 恥ずかしいのに逸らせなくて、涙まで滲んできた。


「……何故泣く?」

「分かりません。でも、その……ただただ恥ずかしくて……」


 ここまで心を乱されるなど幼い頃以来だ。

 どうしていいか分からず、胸の鼓動を抑えることも出来ない。


 顔を背けたいから離してほしいと思うのに、でも触れていてほしいとも思ってしまう。

 自身の矛盾した思いに、ティアリーゼは困惑した。


「恥ずかしい、か……。恥じらうお前は可愛いが、いつまでもその様な状態では手が出せないではないか」

「え?」


 少し呆れ気味にため息を吐いたストラは、その整った顔をティアリーゼに近付ける。

 何を? と思うと同時に、目尻の涙を吸い取る様に彼の唇が触れた。


 瞬間、ティアリーゼの全てが停止する。


 身体も、思考も、呼吸さえも止まり、先程までうるさいほどに鳴っていた心音すら止まってしまった様に感じた。


「妻となったら、この可愛らしい唇にも口付けしたいのだがな?」


 あまり表情が動かないストラだが、そう口にした彼は楽しそうに笑みを浮かべている。

 少し意地悪そうに見えるのは気のせいだろうか?


 硬直して微動だにしないティアリーゼから手を離すと、ストラは感情の読み取れない表情に戻り「さて」と手を差し出す。


「冤罪を晴らすのだったな。私も共に行こう」


 何故それを知っているのかと一瞬思ったが、ピューラを通じてこちらの状況を把握している様子だったことを思い出した。


(共に……一緒に行って下さるの? ……いいのかしら)


 何とか呼吸の仕方を取り戻しながら思う。

 冤罪を晴らすのは自分がやるべきことだ。

 わざわざストラの手を借りる必要はない。


 だから大丈夫だと、そう言えばいいのだが――。


「はい、ありがとうございます」


 ティアリーゼは礼を言って、硬く大きな手に自らの白い手を乗せた。


 ストラはずっと仕えたいと思っていた推しの神。

 聖女となって妻として仕えると決めてからも、あくまで仕える相手。

 だから未来の夫として手助けしてくれるという彼には戸惑いが大きい。


 なのに、ストラの手を借りる必要はないと思う反面、心強いと思ってしまった。

 共に来てくれるという言葉を……嬉しいと思ってしまった。


 この気持ちは何なのだろう。


 敬愛、信頼、崇拝。

 どれも近いようで全く違う。


(そう、もっと近しい……親しみのようなもの)


 トクン、トクンと優しく脈打つ鼓動に身を任せるように、ティアリーゼはストラと共に歩き出した。

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