第2話 推しの神様

「ほ、本当に……ストラ様っ!?」


 目の前に焦がれた推し神がいるということが信じられず、胸が高鳴り呼吸もままならない。


 この世界・ハイリヒテルは神々と人が近しい。

 人が神に祈り、神はその祈りの力で人々に恩恵を与えるのがこの世界のことわりだ。


 とはいえ、神々がその姿を人の前に現すことなど現代ではほぼない。

 かつては神に気に入られた人間がその御許おもとに仕えることもあったが、ここ百年ほどはそのようなこともなく更に神の姿を直接目にすることなど無くなっている。


 だが、今ティアリーゼの目の前にいるのは確かにその神の一柱ひとりだった。

 神しか持たないと言われる神力なのだろうか。明らかに人とは違う力を感じる。


「驚いたな。確かにお前は日々私に祈りを捧げてくれていたが、五柱いつはしらの大神以外の姿など神殿にすらほとんど伝わっていないだろうに」

「あ……辺境の神殿に、一つだけあなた様のお姿が描かれた絵画があったのです」


 心臓の音を激しく鳴り響かせながら、ティアリーゼは何とか言葉を紡いだ。



 あれは五歳の頃だ。

 父の友人が国境を守っているからと、一度だけその辺境伯のもとへ連れて行かれた。

 幼い体に長旅は苦痛でしかなかったが、伯の領地を案内される中入った小さな神殿にその絵画があったのだ。


 案内人の話では、全体的に黒く華やかさのない神なのであまり人気は無いということだった。

 だが、絵画からも見て取れる神々しさと美しさ。なにより、冷たくすら見える涼やかな目元が印象的で……。

 幼いティアリーゼにとって、その姿は疲れも吹き飛ぶほどの衝撃だった。


 周囲は見ためも華やかな大神を推しの神とする人ばかりで、大神ではなく眷属神の場合でもやはり華やかで煌びやかな神を推しにする人しかいない。

 神とはすべからく華やかな存在なのだろうと思い込んでいたティアリーゼにとって、落ち着いた雰囲気のストラは真逆にすら見えた。

 その衝撃と、湧き上がる喜びに胸が痛いほど心臓の鼓動が早まっていたのを今も覚えている。

 あのとき、軍神ストラを自分の推しの神にしたいと強く思った。


 すぐに姿絵を模写してもらうよう頼み、公爵邸に帰ると弟を身籠っていて留守番をしていた母に興奮しながら話したのを覚えている。


『火の眷属・軍神ストラ様? その方がティアの推し神様なの? またマイナーな神様を選んだのね?』


 人気のある五柱の神々から選ぶと思っていたわ、と光の神・リヒテル様推しの母は微笑みながら言っていた。


 神々と人が近しい故に、人々は好きな神を推しとして崇め祈りを捧げている。

 ちなみに父は土の神・グルシュの眷属。鉱石を司る女神・エルシュ様推しだとそのとき教えてもらった。

 領地にたくさんの鉱石を発掘出来る鉱山があるからだと。


 あのときからずっとお仕えしたいと願っていた神が目の前にいる。

 目の前で動き、言葉を交わしている。


 ……夢ではなかろうか?


(ど、どどどどうしましょう!? まさか本当にお会い出来る日が来るなんて! やっぱり夢? あ、それかもしかして――)


「やっぱり私、死んだのかしら」

「死んでおらぬ」


 そうとしか考えられないと口にした言葉へ冷静なツッコミが入った。

 タイミングもバッチリ過ぎて、息が合うのではないかと場違いにも思ってしまう。


「お前はいつも祈りを通じて私に聖霊力を送ってくれていた。だから助けてやったのだ。勝手に死んだ気になるな」


 僅かに不機嫌そうな声に、ティアリーゼは慌ててストラの前にひれ伏した。


「申し訳ありません。あまりにも信じられなくて……」


(ああ! また言葉を交わせたわ! そして不機嫌そうなお声も重低音で素敵……)


 お妃教育のたまものなのか、濡れそぼった身でも美しい所作で礼をとるティアリーゼ。

 だが、心の中はお祭り騒ぎだった。


 夢ではなく、死んだわけでもなく、目の前に焦がれた推し神がいる。

 しかもそのお方に助けてもらえた。

 幸福とはこのことだと心が震える。


 歓喜の聖歌でも歌い出したい心地だった。



「まあよい、今後も私に祈りを捧げてくれ。それが私への礼にもなる」


 ゆっくり近付きながら淡々と告げられた言葉にハッとする。

 この白い空間から出されそうな雰囲気に、待って欲しいと顔を上げた。


「あのっ、ストラ様。このままあなた様の御許へ行くことを許してはいただけないでしょうか?」


 戻ったところで罪人扱いされるだけだ。

 冤罪を晴らすことも出来なくはないが、出来たところでまた政略の道具にされるだけ。


 元々王太子妃ではなく、ストラに仕える神官となりたかったのだ。

 公爵家に生まれた勤めと思い諦めていたが、婚約者である王太子にいらぬと婚約破棄を宣言され彼の手で湖に落とされた。

 これ以上他人に人生を狂わされたくはない。


「私のもとへ? 神々の国へ行きたいということか?」

「はい。あなた様にお仕えしたいのです」


 訝しむストラに、ティアリーゼは真摯に訴えた。

 生半可な気持ちではないのだ。

 抑えつけていたからこそ、この願いが叶うのなら何を差し出してもいいとさえ思える。


「神々は百年ほど前までは気に入った人間をお連れになられていたでしょう? 私も彼らと同じようにあなたのお側にいたいのです」


 背筋を伸ばし、想いが伝わるよう真っ直ぐに見上げる。

 だが、ストラの答えは否だった。


「止めておけ。人間が神々の国で過ごすと神力にあてられ十年と持たない。私はお前に早死になどして欲しくはない」


 キッパリと理由まで口にされ、ティアリーゼは途方に暮れる。

 早死にしようともストラのもとにいられるのならば構わなかった。

 もとより先程溺死するところだったのだ。余命が十年となったところで惜しむほどの事ではない。


 だが、目の前の美しい神は自分に早死にして欲しくないと言ったのだ。

 ティアリーゼ自身は良くとも、敬愛する神を悲しませるとなると話は違って来る。


(困ったわ。ストラ様を悲しませたいわけではないのに……でもせっかくお会いできたのに簡単に諦めたくもないわ)


 ストラの言葉にグッと顎を引き、拒否も了承も出来ず黙り込んでしまう。

 そんなティアリーゼにストラは静かにある提案をした。

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