推し神様へ嫁ぐため聖女を目指します!
緋村燐
第1話 プロローグ
ドボン――。
そんな音と共にティアリーゼは湖の中に落ちた。
このアインツ王国は温暖な気候のため冬でも雪は降らない。
とはいえ、寒くないわけではないのだ。
冬の湖の水は凍てつきそうなほどで、全身を冷たい水が覆う。すぐにドレスを侵食し、布地で守られているはずの素肌にまで到達した。
(冷たい……)
息苦しいよりも冷たさがティアリーゼの身体を包む。
刺すような痛みに、つい先ほどまで感じていた悪意の棘とどちらがマシだろうかと、陽の光が差し込む水面を見上げながら思う。
婚約者を奪った令嬢に毒を盛ったという罪を被せられ、婚約破棄の宣言と共に処刑だと湖へ沈められた。
沈める直前に足へとつけられた重石が、自分を水底へと連れて行こうとしている。
今まで王太子の婚約者という立場に恥じぬようにと頑張って来た。
そんな自分への突然の仕打ちに、思うところは大いにある。
だが、怒りがこの身を包むより先にティアリーゼの体温と酸素は冷たい水に容赦なく奪われていった。
(苦しい……)
息苦しさも感じ、このまま命尽きてしまうのだろうかと死を意識する。
十七という若さで死んでしまうなど考えたこともなかった。
まとめられていた髪がほどけ、柔らかなウェーブの金髪は水草のようにゆらゆらと揺れている。
この湖と同じ色のアクアマリンの瞳でそれを見つめながら、恐怖より走馬灯のようなものが脳裏を駆けた。
思えば、物心ついたときから好きなことなど何一つさせてもらえなかった。
焦がれた方へ仕えることも許されず、公爵令嬢という地位故に王太子の婚約者としてお妃教育に明け暮れる日々。
その結果が“これ”とは浮かばれない。
(せめて、命尽きた後はかのお方の元へ赴きたい。……私の推し神……ストラ様の
薄れゆく意識の中願うと、突然声が頭の中に響いた。
『助けてやろう、ティアリーゼ・ベルンハルト』
(!?)
力強くも聞き心地の良い通る声。
初めて聞く男の声が直接頭の中に響き、驚き目を見開く。
すると、何かに抱き締められるような感覚と共にティアリーゼは光に包まれ水中から姿を消した。
***
「――ごほっ! かはっ!」
水に覆われ、重石に引っ張られるまま沈んでいた所から急に空気のある場所へと変わり、状況を認識する余裕もなく咳き込む。
急に入って来た酸素が逆に苦しい。
何度か咳き込み、やっと落ち着いてきたころには肌に張り付く髪やドレスが気になった。
足にくくり付けられていた重石は何故かなくなっていたが、しっかり水を吸ったドレスはズシリと重い。
いつもはフワフワと軽そうな金の髪も元のウェーブが見る影もなく肌に張り付き水を滴らせている。
まだわずかに残る苦しさとその不快さに眉を寄せるが、すぐに身だしなみを整えることが出来ないため状況把握を優先させた。
(何がどうなったのか分からないけれど……助かった、のよね?)
床も、周囲も真っ白な空間。
ここがどこなのかは分からないが、少なくとも自分の命を奪う冷たい水はない。
ちゃんと呼吸が出来る状況に安堵しつつ、本当に死んでしまうところだったのだと思うと体が震えた。
「……寒いのか?」
「!?」
突然降ってきた声に驚く。
人がいたこと自体にも驚いたが、その声が先ほど頭の中で響いた声と同じものだったからだ。
良く通る聞き心地の良い低い声。それでいてしっかりと力強さを感じる重厚さもある。
ティアリーゼは何とか息を整え、ゆっくり顔を上げた。
少し離れた場所にたたずむ男の姿を見て、せっかく出来るようになった呼吸がまた止まりそうになる。
何故なら、視界に映った男の姿は焦がれた方その
「っ! ストラ、様?」
「ほう、姿を見ただけで私が分かるか?」
切れ長な、ルビーのように赤い目。
通った鼻梁に楽し気な笑みを浮かべる薄い唇。
輪郭は女性の様になだらかでありながら、しっかりと男の面差しをしていた。
黒曜石のように光を放つ長く真っ直ぐな黒髪は、緩く一つに結わえられ胸の前に垂らされている。
髪と瞳の色に合わせるように身にまとう衣服は黒を基調に差し色で赤が所々にあった。
極めつけは長い裾に刺繍されているクジャクの尾羽のような模様。
その姿こそ、ティアリーゼが幼い頃から推してきた神・軍神ストラそのものだった。
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