覚えの無い街並み
「――起きて。もう着いたよ」
ゆっさゆっさと体を揺すられ、妙に甲高く棘のついた声で起こされる。目を開けると同時に太陽の光が眩しく刺さり、目を細めながら身を起こす。
次の瞬間、僕は目を見開き息を呑んだ。
そこに銀の森林は無く、黒や紺やクリーム色など、様々な色の屋根が見えた。建物はぎゅうぎゅうに敷き詰められておらず、あっても下にある道路が見える高さまでしか建てられていない。そして沿岸には無機質な直方体が立っており、煙突から煙を上げ続けている。その横の港には灰色のコンテナ船や大砲のようなものが付いた船が泊まっていた。
頭ひとつ出ている、ドーム城の屋根を持った一際目立つ大きな建物。あの辺りが中心街っぽい。全然違う。それでも、僕が居た場所とは何もかもが違う……いや、地形は全く同じ?
「ようこそ、あなたの知らない夏へ」
隣で遠くを眺めながらレイは呟く。タイミング良く風が吹き、さらさらの髪の毛が空に舞う。その美しい光景に僕は目を奪われていた。
「どうしたの? 早く行こう」
レイは僕を街へと急かす。
「待ってくれ……描きたいんだ」
それよりも僕は、この街並みがなんだか儚いものに思えた。思わず横にあったキャンパスを構えるも、そもそも紙は先程のスケッチに使ってしまったことを思い出した。
「……ね?」
くすくすと笑って手を伸ばす。「紙なら街にあるだろうから」
そうなると街に降りざるを得ない。レイの手を取りはしなかったが、僕は山を降り始めた。記憶と全く違う獣道を通る。枝葉がいつもより生い茂り、人の手付かずといった感じだ。
麓まで降りると、そこにはありえない光景が広がっていた。
道路は土が剥き出しのまま、背の低い家がその両脇に並ぶ。白いエプロンのようなものを着た女性たちが集まって話していたり、見るからに古そうな洗濯物を干している。
一体、いつの時代の夏なのか。
「ここは、昭和の夏だよ」
「ショーワ……?」
昭和と言ったら、平成の前だ。この頃に初めて、この辺りでオリンピックが開催されたと学んだ記憶があるし、もう百年は前の時代だ。
「じゃあ……これはタイムスリップってことか?」
「うん。そういうこと」
普通であれば、タイムスリップしたことの真偽やその原理について疑問を抱くべきなのかもしれない。
でも僕は、その警戒心が好奇心に負けた。百年前のどこかの夏。なにがどうとかより、まずはこの街を全て描きたい。いや、街を巡ってみたい。僕の知らないものをとことん知ってみたかった。
僕のテンションは一気に高まる。最早、レイを怪しむようなこともない。
「大通りに出よう。ここにお店は無いみたいだから」
と、レイは道の脇を歩き始めた。僕はレイについて行きながら街を眺める。家の壁は金属や樹脂ではなさそうで、石か木か、レンガといった感じだ。思ったよりも街並みは様々な淡い色で色付けされており、歴史の教科書でチラッと見た白黒写真からは想像もつかない様相を呈していた。
少し大きな道路に出ると、コンクリートの道が現れる。ここは現代も同じだが、色が薄いしヒビが入ったりしてる。そして見るからに無骨で古めかしい車がちらほら通る。確か前聞いたニュースで、あんな感じの車がオークションで五百万ドルかなんかで落札された話があったと思い出したが、やはりあれにそんな大金をかける人の気持ちは分かりそうになかった。
「あっ……」
と、レイが声を漏らす。ある方向を凝視し、眉を顰めた。何があるのか、僕も彼女の視線の先を見る。
黒焦げになった瓦礫の山であった。
原型も分からないほど破壊されたものの上で、数人の人々が焦げた板をどかそうと作業している。また周辺の建物も僅かに焼けるか崩れており、街並みとは全く調和しない光景が広がっていた。
僕が言葉を失くして立ち尽くす隣で、レイは低く、短く呟いた。
「悪魔め……」
「……悪魔」
レイの言葉を反復する。
「うん。悪魔だよ。空が黒くなるほど大きな翼を広げて、大きく地面を震わせる音を立てながら、街に火を吐くんだ」
「フィクションじゃないの?」
「ふぃくしょん……?」
僕が言った「フィクション」という言葉にレイは首を傾げる。これは別の言い換えが必要みたいだが、フィクションってどんな意味だったっけと頭を捻る。
「なんというか……架空の話というか、御伽話みたいな感じ……じゃないの?」
今度は伝わったらしく、レイは「ううん」と首を振った。
「本当だよ。本当に悪魔が来るんだから」
と、再度訴えた。それでも僕は悪魔というものに半信半疑であったが、ここまで言うならレイの中ではそうなのだろう。
「そっか……それは恐ろしいな」
と返して、また進み始めた。
※
大通りらしき道に出た。レンガ造の建物が立ち並ぶ。片側二車線の道路の中央には線路が敷いてあり、路面電車がせわしなく進んでいた。
特に路面電車が中々うるさい。僕の時代にも路面電車は僅かながら存在するが、リニアモーターを使用しているためほとんど音がしない。この時代のはブレーキを掛ければ甲高い摩擦音が聞こえるし、進むたびに唸りを上げて、ジョイント音をテンポ良く奏でた。
「乗る?」
よほど路面電車を凝視していたらしく、気にかけたレイが声をかけてくる。「商店街まで結構歩くし」
「楽できるなら乗ろう」
「うん。分かった!」
レイは元気よく返事をすると、そのまま道路に出て駆け出して行ってしまった。
「え? どこいくの?」
僕が呼び止めると、レイは一瞬振り返り、
「早くしないと、乗り損ねるよ!」
とだけ言ってまた走り出した。その先を見ると、路面電車がかなり速度を落として走っているのが分かった。赤信号で止まるつもりだ。
なんとなくやろうとしていることが分かり、僕も走り出した。かなり離れていて不安だったが、幸い車通りがなくなる。体格差もあるからすぐに追いついた。
「ねえもしかして!」
並走しながら僕は尋ねた。「あれに飛び乗るつもり?」
「そうだよ!」
変わらないテンションで答えたレイは速度を上げる。信号待ちをしていた路面電車が丁度発車したところで、扉のない乗車口に設置されたステップに飛び乗った。
いくらなんでも無謀ではないか、と僕は思った。しかし、レイの左手は縦に付いた手すりをしっかり掴み、笑顔で僕に向かって右手を伸ばす。
「ほら!」
既に電車はかなり速度を上げていた。僕は最後に力強く足を動かし、なんとか手を伸ばす。
指が触れた。しかし掴むことはできない。双方がもう一度掴み取るために手を伸ばす。そしてレイがステップから勢いよく体を乗り出し、僕の手首をしっかりと握った。
直後、ぐいんと体が引っ張られる。小さいのになんて力だろうと思った。引き込まれた僕はそのまま乗車口に迫り、投げ込まれるようにして車内に転がり込んだ。
流石にみんなギョッとしてるんじゃないかと勝手に顔を赤くしたが、意外にも少ない乗客は談笑しているままだった。
「ね、大丈夫だったでしょ」
見下ろすようにレイは僕の顔を覗いた。
「……運賃は?」
もう一つの懸念点を思い出し、ぶっきらぼうにレイに問いかけた。ここで僕の時代のお金、ひいては電子マネーが使えるとは到底思えないが、一応だ。
「払わなくても大丈夫。誰も気にしてないから」
と、レイは平然として返す。随分とルーズな鉄道だ。僕は無言で立ち上がり、投げ込まれた方とは反対側の乗車口から上半身を乗り出した。
丁度海が見えた。濃い青色に快晴が照射して、波は真っ白に輝いている。遠くには灰色のごちゃごちゃした大きい船がぼやけて見える。風に乗ってきた潮の香りを嗅ぐと、何故か波音が聞こえてくるような気もしていた。
「綺麗だよね」
いつの間にかレイが隣で同じように乗り出していた。「私も好きな景色なの」
へえ、と相槌を打って僕は顔の向きを戻す。確かにこんな景色、毎日見てもそう飽きるものではない。
「描けそうにないな……」
僕は一人ため息をついた。横でレイが僕をまっすぐ見ている気配がずっとしていた。
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