リメンバー・オーガスト
有耶/Uya
少女と幻影
――2xxx年――
それは夏真っ盛りの時期だった。梅雨の名残で汗がベタつく蒸し暑さと入れ替わりに、カラッとした日差しの眩しい暑さが訪れていた。既に日は傾き始めているが、涼しい風が吹くこともない。暖められてその場に溜まった空気が纏わりつく。
それでも裏山の方は涼しい。生い茂る木々が日光を遮り、心地よい日陰を生み出していた。斜面に出来た日陰に座れば、銀色の森と化した都市の全てを見渡せる。遠くには真っ青な海が見え、さざなみが日を跳ね返して白く細かく輝いていた。そして僕はキャンパスに紙をセットし、鉛筆でその都市をスケッチし始める。
こんな時代にアナログで絵を描く人間はそうそういないだろう。電脳空間でも直感的に絵を描け、簡単にやり直しがきく。完成した絵はクラウド上に保存され、破られることも汚されることもない。わざわざ紙に描く必要なんてない。それでもなんとなく、現実の世界に自分の作品を残しておきたいと言う謎のこだわりがあった。
こんな僕の変な癖。それがあの不思議な出会いをもたらしたんだと思っている。
夏の日照りが直接刺すわけではないが、周りで温められた空気が周りを包む。紙に汗が落ちないように定期的に汗を拭う。緑の中に浮かぶ島のような光景は壮観だ。色は無くとも質感でそれは表現できる。
「ふう……」
あらかた描けた。銀に輝く都市部とそれを囲む自然の絵。向こうに広がる海はちょっと雑だけど、描きたいものは描けた。
ここで携帯からけたたましい警報音が鳴る。EASが作動したようだ。だが、その内容はもう見なくても察しがつく。
ミサイルだ。
最近になって隣の国の挑発行為が多くなっているとニュースで見た。先の第三次世界大戦からはもう何十年も経ち、ずっと平和が続いている。そんな時代に再び戦争を起こそうなんて、愚かでしかない。
だが、ここは超大国。そう簡単にはやられないし、手を出せば終わりだ。それは隣国も分かっているだろう……まあ、それでも親が心配しそうだから帰るか。
鉛筆を片付け、キャンパスを抱えて立ち上がる。
後ろから草を踏む音が聞こえ、僕は後ろを向いた。
白いワンピースに身を包んだ少女……と言うには少し大人びているかもしれない。でもほとんど少女だ。僕よりは年下だろうし、背丈も低いし、美しいより可愛らしいという褒め言葉が似合う女の子。
汚れひとつ付いていない純白に輝くワンピース。それに引けを取らないくらい彼女の肌は白く、同化して風で透けてしまいそうだった。
それとは対照的なくらい、黒く艶のある長い長い髪。そして黒く潤んだ瞳。まるで絵に描いたような美少女。
こんな人が現実に存在するのかと疑ってしまいそうな姿だった。
彼女はゆっくりとこちらに近づいてくる。日陰から出たことによって日差しが照り付け、彼女の肌が細やかな光を弾く。
「……何を描いてたの?」
印象通りの、幼く少し棘がある声色で問いかけてくる。でもその話し方は、とても年下とは思えないくらい落ち着いていて、確かに飄々としたものを感じた
「……都市の、スケッチを……」
平静を保って答えようとしたが、どうもその美貌に押されてしどろもどろになってしまった。
「見せて?」
「……いいよ」
恐る恐るそのキャンパスごと差し出す。彼女は紙に描かれた作品に目を通す。左端から右端までじっくりと目を通す。
「そっか……」
安堵したような表情で呟く。しかしその次には目線を下げ、顔に陰を作りながら、
「でも残念……綺麗なのに」
と、さらに小さな声で呟く。かろうじて聞き取れたが、この絵のどこに残念がっているのかは全く分からなかった。
「ねえ、あなた名前は?」
ふと、目線を上げて尋ねられる。
「えっ……僕?」
「他に誰がいるの?」
いたずらな笑みを浮かべ、彼女は僕の目を覗き込んでくる。
「……
「……ケイ」
その名前を身体に染み込ませるように、彼女は復唱して目を細める。
「私はレイ。はじめまして、ケイ」
無邪気さを感じさせながらも、レイは律儀にも握手を求めた。
「……はじめまして」
でも、はじめましてはホントの初めに言うべきなんじゃ……そんな些細な疑問を持ちながら僕はその手を握る。変な気を起こした訳じゃないが、その手は柔らかく、ひんやりと涼しく、猛暑にやられかけていた僕の肌には少し心地良かった。
「……暑いね」
僕の手の熱さ。それはレイにも分かっていた。
「こんな暑いのに、どうした外になんか?」
と、レイは首を傾げて聞いてきた。
「なんとなくこの街の絵を描きたくて……ここから見える景色は綺麗だし」
「ふーん……じゃあここが好きなんだね」
「お気に入りの場所ではある……」
「描くのはいつも夏の風景?」
「うーん、秋や春の景色も描くけど……やっぱり夏が一番多い。多分僕は夏が好きなんだよ」
「夏が好きなんだ……」
含みを持たせた笑みをこぼし、少し溜めてからレイは言う。
「ねえ、違う夏を見せてあげようか?」
「……違う……夏?」
その言葉に僕は戸惑った。彼女が放った言葉の意味は、全く頭の中で想像ができなかった。
「そう。今は私しか知らない、私以外だーれも知らない夏」
くるんと一回転して、またレイは僕の目を下から覗き込む。「見てみたい?」
彼女以外誰も知らない夏……もしかして秘密の場所とかだろうか。僕も昔は秘密基地を作ろうとした時期があったなと感慨深くなる。
まだ見たことのない景色を見られる。その好奇心は、僕の心を動かすには充分だった。
「見せてくれるの?」
と、僕は笑って逆に問い返した。初対面とかはもう、不思議とどうでも良くなっていた。
「もちろん」
と、レイは一言だけ返して僕の手を握る。「それじゃ、行こう」
このとき、僕はてっきり手を引かれてその場所まで連れて行かれるものかと思っていた。
しかし、彼女の手から感じる冷感がみるみる内に僕の体を駆け巡り、背筋を凍らせる。まるで凍てついたように何も動かせなくなり、徐々に視界も暗くなる。そして意識すら凍結されたように、僕は一気に眠ってしまった。
どうも、現実は想像より奇なるものだったらしい。
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