第2話 グラスを選ぶ

 彼はまた薬を取り出し、右の掌に乗せて今度は顔に近づけてみる。薬品会社の友人がくれた薬は臭いがなかった。


 ――味はどうなのだろう。出来ることなら、美味しいのがいい。

 

「お客様」


 足音もなく、蝶ネクタイの男が傍に来て見下ろしていた。彼は慌てて薬を握った手を足の下に潜らせ、息を飲み下す。


「何ですか」

「ウィスキーにはオンザロックとソーダ割り、カルピス割りがございますが」

「カルピス割り?」

「当店のおすすめでございます」


 蝶ネクタイの男は自慢げだった。


「オンザロックでいいです」


 はいと答えて頭を下げた蝶ネクタイの男は、怪訝そうに顔を上げた。


「ソファーの調子が悪うございますか」

「え?」

「手を敷いていらっしゃるので」


 彼はてのひらがじわりと濡れるのを感じた。


「い、いや、て、手が冷たいんでね。暖めているんだ」

「すぐに暖かいおしぼりをお持ちします」


 ――いらないから、もう、来るな。


 喉で空回りする言葉を飲み込むと、彼は唇を曲げて笑顔をしてみせた。

 蝶ネクタイの男は足早に立ち去ると、間もなくおしぼりを持ってくる。彼は左手で受け取ると、また笑顔で男を追い払った。

 

 もういいだろう、と、足の下に挟んだ手を出し、薬を天井から吊り下がった白熱球に透かそうとした。と、声がした。


「グラスはいかがいたしましょう」


 慌てて手をテーブルに伏せると、蝶ネクタイの男がお盆にグラスを乗せて立っている。


「グラス……ぅ、うう、どんなのがあるんだ」


 男は身を屈め、お盆を下ろした。


「模様のないシンプルなものがこれでございます。それからこちらは岡本太郎デザインのもの」


 岡本太郎?


「それ、どっかの酒の会社のおまけのやつじゃないの」


 男は答えず、最後の一つをてのひらで示した。


「こちらが手彫りのクリスタルでございます」


 グラスはボヘミアン調に模様が彫られていたが、線が揺れてがたがただ。


「手彫り、ですか」

「私が心を込めて彫り上げました」


 肩をすくめて、シンプルなのでいい、と答えようとした時だった。


「世界に一つしかない当店おすすめ品でございます」


 カルピスよりも誇らしげに言う。


「……じゃあ、手彫りのクリスタル」


 蝶ネクタイの男は笑顔になった。皺に消える眼の端は、日向に座る老人を思わせる。


「かしこまりました」


 彼は頬に笑みを貼り付け、男がカウンターに戻って行くのを見送る。戻ってこないだろうかと、彼はしばらく身を固くして耳を澄ましていた。が、もう、現れる兆しはなかった。

 ようやくテーブルに押しつけていた手を上げ、薬を見る。包んだ紙はよれよれで、いい加減劇薬を隠しておくのに疲れたようだった。

 

 酒が来れば、彼はこれを飲んで死ぬ。

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