BARタクラマカン

江東うゆう

第1話 蝶ネクタイの男

 死ぬなら、この店と決めていた。

 一度隣の店と間違えて覗いただけだったけれど、琥珀色に汚れた壁が、借金に埋もれた自分に相応しかった。

 

 ドアを開けると、客は誰もいなかった。

 カウンターにいた男が歩いてきて、慇懃いんぎんに礼をする。今時見たこともない、真っ赤な蝶ネクタイをしめていた。細身の男には、ネクタイばかりが目立つ。

 

「カウンターへどうぞ」


 席を指し示した手は萎びて、爪も白い。

 よっぽど血を節約しているな、と彼は思った。

 

「いゃ、テーブルがいい」


 ほとんどを口の中で答えて、彼はカウンターから見えない席に腰掛けた。弱ったクッションを通して、スプリングが体に当たる。

 蝶ネクタイの男はカウンターに戻り、グラスを拭き始めた。そうしていると、バーテンダーに見えないこともない。

 

 彼はカウンターをうかがってから、持ち込んだ薬を取り出した。

 これをアルコールを五パーセント以上含んだ酒で飲めば、確実に死ねる。しかも、体内で完全に分解されるから、自殺の証拠も残らない。薬包紙を両手で包むように持つと、口元が緩むのがわかった。保険金さえ下りれば借金だって無くなる。妻は不倫相手と結婚すればいいし、息子夫婦も父親に金をせびられずに済む。

 

「お水をお持ちしました」


 背後に蝶ネクタイの男が立っていた。銀のお盆にはワイングラスに水が光っている。


「どうも」


 彼が慌てて両手をテーブルの下に隠すと、蝶ネクタイの男は疑うように彼を見ていたが、やがて上体を起こした。


「何にいたしましょう」

「あ、ああ、ウィスキー」

「かしこまりました」


 九十度、腰を曲げてお辞儀をして、回れ右をする。瞬間、窪んだ眼の奥でテーブルの下を睨んでいた。蝶ネクタイが柱の向こうに消えると、彼は薬をポケットに仕舞い、汗を拭った。


「嫌なバーテンだ」


 さっさと酒を持ってきてほしかった。必要最低限しか近寄られたくない人物だ。

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