第21話 自分語りをした!
なんとか拳を使わず、
「地下最強の男ってなんだ?」
おれは、その一言で一瞬時が止まったかのように固まる。
「あっ......あっ......」
そんな声しか出ない。そのあだ名は単に恥ずかしいだけでなく、おれにとっての暗黒時代を象徴する言葉である。
「大丈夫か
舞愛ちゃんが心配そうにおれの顔を覗き込む。
「あ、あぁ......」
生返事を返す間におれの頭の中には無数の思考がぐるぐるしていた。電波が悪い携帯くらい間を取って、おれは舞愛ちゃんに自分の過去を話す決心をした。
「舞愛ちゃん、聞いてくれるか?おれの話を。まだ誰にも話したことないんだが......」
「あ、あぁ......」
自分ではわからないがずいぶんマジな顔をしていたようで、舞愛ちゃんは何事かという顔をしていた。
「“地下最強の男”ってのは、おれが地下格闘技をやってた時のあだ名だ」
「格闘技?格闘技やってたのか市野!?」
舞愛ちゃんは意外だと言って目を見開いた。その顔には驚きと期待が浮かんでいる。
しかしこれから始まるのは暗い話だ。
「どうりでいい身体してんなぁと思ったんだよ」
おれはプールの時に、舞愛ちゃんに「筋トレが趣味」とかいう嘘をついてしまったことを申し訳なく思った
「だから、筋トレが趣味だって話は嘘だ。ごめん」
「いいよ。何か理由があるんだろ」
俯きがちなおれに対して、舞愛ちゃんは丸本と相対していた時からは想像できないような柔和な笑みを浮かべた。
「あぁ......聞いてほしいんだ。おれが地下格闘技をやめた理由と、舞愛ちゃんに人を殴ってほしくない理由を......」
そう告げて、おれは昔のことをぽつぽつと話し始めた。
†††
小学校3年の時、両親が死んだ。
交通事故だった。一人っ子だったおれは突然一人になり、それからは親戚の家をたらい回し。どこへ行っても煙たがられたが、中学生になって引き取られた最後の家、叔母夫婦の家は酷かった。
虐待、虐待、虐待に次ぐ大虐待。当然、小遣いや娯楽用品などは買い与えてもらえず、飯を抜かれることもザラにあり、教科書すら買い与えて貰えなかった。
そして叔母は自らの実の息子に事あるごとに言った。
「こんなふうになっちゃダメよ」
そんな出来事はすべて序の口、甘いほうだと言っていいだろう。
おれがなにか文句を言おうとすると叔父が出てきて、叩かれ、蹴られ、蹂躙された。
その様子を見ていた、おれよりも年下のいとこは増長し、おれをストレス発散の捌け口にするようになった。殴る、蹴るは当然のように行われ、時には彼の友人グループの集まりに引っ張り出され、その面前で服を剥かれ、自慰を強要されることさえあった。
おれはそういった状況に耐えて、耐えて、耐えていた。
叔母夫婦はおれが当時住んでいた月が浜でも有数の金持ちであり、文句を言えるものはだれもいなかった。当然、学校でもいとこはクラスカーストのトップに君臨し、不可触民のおれを助けようとするものは誰一人いなかった。
しかし、精神は蝕まれ、耐えられなくなってきていた。
ある夜、いつものようにいとこにサンドバッグにされていた。そんな時、彼は言ったのだ。
「事故で死ぬような
許せなかった。一方的に痛めつけることしか知らない癖に。
おれは拳を握りしめ、渾身の力を込めて右ストレートを繰り出した。しかし、素人だったし、飯も食わせてもらえないからろくに力が出ずに、あっけなく止められた。
「あ?誰が反抗していいっつった?」
ひねり潰され、蹴られ、踏みつけられる。
そんな日の深夜、おれはテレビをこっそり見た。深夜ならば家の人間は寝静まっているので、ある程度自由が効いたのだ。
そのテレビでたまたまやっていたのがプロレスの再放送だった。
これだ、そう思った。
おれは強くなりたかった。力が欲しかった。
相手の技を受けきって、その上で相手を倒す。そんな強さがあれば、いとこの暴力を跳ね返せるだろうと思った。
夢が出来た。
その日から、おれは自己流のトレーニングを行った。
実戦経験を積もうと地下格闘技の試合に出た。最初は連敗続きだったが、持ち前の打たれ強さと慣れ、場数を踏むごとに強化されていく格闘技術により、その大会最強クラスにまで登りつめ、ファイトマネーも稼げるようになった。その金を貯金し、進学しようとしていたのだ。連戦連勝でおれの格は上がりまくり、三年間なんとか生活できるくらいの金を稼いだ。
そして中学3年の卒業式の日、おれは叔母一家全員をぶん殴って家を出た。
いとこは拳を握りしめておれに殴りかかって来たが、あっさり躱し、アッパーカット一発で伸びてしまった。あまりにもあっけなかった。
おれに今まで暴力によっておれを支配してきた一家は、唐突に行われた反撃に太刀打ちできなかった。彼らは所詮素人レベル。強くなったおれには通用しなかった。
おれが暴力による脅しで、この家族が俺に対してしてきた数々の虐待を社会にばらすぞ、と言うと、最後は出ていってくださいと全員に土下座までされる始末だった。
これでおれは覚えてしまったのだ。暴力という力による解決を。
おれは地下格闘技の試合で勝ちまくり、幸いにも高校に合格し、アパートも借りることができていた。すべてがうまくいき、はっきり言って天狗になっていた。夢のことなんて忘れ、目先の成功に目が眩んでいたのだ。
「やっとお前と戦えるよ」
控室で話してきたのは今日の対戦相手―
おれが地下格闘技をはじめたときから大会に参加していて、そこそこ話す、唯一友人と呼べるような存在だった。その日はそんな彼とはじめての手合わせだった。もちろん因縁などはなく、純粋な一戦だった。
しかし、天狗になっていたおれは
「せいぜいがんばれよ」
と言ってしまった。今考えれば、傲りによって、あの憎たらしい、いとこに自分が近づいてしまっていたのかもしれない。
「そんな言い方はねぇだろ?」
遼太郎は反論した。おれはそこで謝ればいいものを
「本心から言っただけだが?」
などと余計なことを言った。
そのあとは口喧嘩を続け、つかみ合いになった。
「才能だけで勝ちあがってきたバカが!」
「んだとオラ!?」
おれの苦労も知らないくせに、好き勝手言いやがって......当時はそう思っていた。
「試合で潰してやるから覚悟しとけよ」
完全に頭に血が上っておれはそう言った。
「言っとけ」
彼はそう言って、控室を出ていった。
数十分後、おれと遼太郎はリングに立っていた。
コールを受け、おれと彼は向かい合う。ゴングが鳴り、拳を合わせて試合が始まった。
おれの参加していた団体は、地下格闘技というより、闇格闘技と言った方がいいかもしれない。当然のように賭けが行われ、汚いヤジが飛ぶ。ルールはあってないようなもので、武器さえ使わなければ、大体なにをしてもOKだった。そんな中、おれはクリーンファイトで勝ち上がってきたが、今日は怒りに満ちていた。いきなり遼太郎の目を狙った。しかし、彼もなかなかの強者だ。おれの攻撃はクリーンヒットすることはなかった。ブーイングは耳に入らない。
一方で、遼太郎は一点集中攻撃、おれの腰を狙って蹴りを繰り出してきた。おれもこれをガードする。そんな駆け引きが永遠に思えるほど続いた。
その時、彼は左足を軽く引いた。おれは身構える、しかし実際に飛んできた右足の蹴りだった。鋭い打撃が腰に入り、おれは思わずひるむ。そこを起点に、腰に何度も打撃を食らわせてくる。そして馬乗りになろうと飛びかかってくるが、おれはかれの身体を掴み、瞬時にパワーボムで叩きつけた。
「かはっ!」
彼は空気を吐き出し、おれの腰はおそらく逝った。
おれは気合のみで彼を押さえつけ、馬乗りになり、左目を狙ってぶん殴った。遼太郎は気を失い、おれも意識が遠のき、リングに倒れた。
翌日、おれは病院のベッドで目を覚ました。
診断結果は椎間板ヘルニア。遼太郎の打撃によって生じたものでなく、日々の積み重ねが最後のパワーボムによって爆発したらしい。おそらくもう大会には出られないだろう。
遼太郎はというと、失明まではいかないものの、麻痺性斜視というものになったらしく、ものが二重に見えるらしい。彼もまた、大会には出られないだろう。
一応、彼とは和解したが、おれは激しく後悔していた。
格闘技の試合で、相手に人生を左右させるような大けがを負わせてしまった。しかも、真剣勝負ではないダーティファイトによるものだった。
おれは自分が暴力という、人を傷つけるものに基づいて傲り高ぶっていたことに気づいた。その結果、友人と夢を一度に失った。大事なモンを失ったのだ。鼻は急速に縮こまり、おれは新たな決意を固めた。このクソッタレな拳を封印しよう。そして誰かを傷つけることがないように、人と関わらないようにしよう。
†††
自分の過去を振り返ってみると、自分がろくでもない人間だと気づかされる。
数十分前に舞愛ちゃんに告白しようなどと思っていたことが相当浅ましく感じられる。
おこがましい。二度とそんなことは思わないようにしよう。
「市野......」
おれが長くて暗い自分語りを終えると、舞愛ちゃんは涙をためておれを見ていた。
「失望した?おれはそういう人間なんだわ」
「いや?むしろ嬉しい......?かな?」
舞愛ちゃんから返ってきたのは想像もしていない言葉だった。
「なんで」
「だって、市野、はじめて人に話したんだろ?」
「ああ......」
「その相手が私ってのが嬉しいんだ」
「へ、へぇ。奇特だな」
おれは照れ隠しでそう言った。
「それに、過去の市野がいるから、今の市野がいるんだろ?」
舞愛ちゃんはそう言っておれの肩をポンと叩いた。
彼女の優しさに、おれは熱いものがこみ上げてくるのを感じた。そして同時に、やはりおれではこの女の子には釣り合わない。
そう思ったのだった。
†††
彼の両親がもういないということ、叔母夫婦に虐待を受けたこと、格闘技をしていたこと......全て初耳だった。
私は話をしている時の辛そうな顔を見て、彼を抱きしめたくなってしまった。だが、それはガマンした。
抱きしめたら今の関係が壊れ去ってしまうと思った。
市野と知り合ってから、私の人間関係は広がった。
彼は私にヤンキーを辞めさせると言った。そして体を張っていた。なぜそこまでして私に人を殴らせたくないのか疑問に思っていたが、彼の話を聞いて納得した。
市野は自分が暴力をふるうことで「大事なモン」を失ったのだ。
そして彼はもう大事なモンを失いたくないと思っている。だから意地でも私に人を殴らせたくないのだろう。
私はあまりにも、あまりにも自己中心的なことだが、彼の「大事なモン」に自分が入っていることがたまらなく嬉しかった。そして同時に私では彼と釣り合わないと思った。
市野が壮絶な経験に基づいて、私のことを考えて人を殴らせないようにしているというのに、私自身は考えなしに頭に血が登ると人を殴ろうとしてしまう。さっきだって丸本をぶん殴る一歩手前だった。私はバカな自分を責めた。
私は彼に惚れている。
テキトーな冗談を言う市野、猫太郎に優しい市野、ちょっと落ち込みがちな市野、私のために体を張る市野。
全部好きだ。
今日、彼に告白しようと思っていた。だが、彼の話を聞いてその考えがひどく浅ましく思えた。こんなヤンキー崩れの私に、彼に告白する権利などあるだろうか。
私はいろいろな感情が混ざって、目にたまった涙がこぼれ落ちないように上を向いた。
夕暮れにそびえたつ入道雲が梅雨の終わりを告げていた。
つづく
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