第16話 占われた!

 6月。

 現代文の授業中、おれは水滴がついた窓越しに雨を眺めていた。

 梅雨というのは天気につられて気分も憂鬱になる。

 

 「市野いちのくん」


 おれは雨が嫌いだ。今日の朝も少し濡れた。傘を差すのが得意ではないのだ。


 「市野くん!」


 窓の外は灰色だ。

 ゴールデンウィークのあたかも夏直前!みたいな気候が懐かしい。


 「市野!!!」


 名前を呼ばれた気がして前を見ると、カンカンに怒って鬼の形相をした現代文教師がいた。


 「ど、どうしたんですか?」


 「さっきから呼んでるだろが!」


 「マジかよ」


 隣を見ると、舞愛まいあちゃんがニヤニヤしながらこちらを見ていた。全く。おれが指名されてるのわかってんなら教えてくれよ。


 「それで、質問は......」


 「全く......問3だよ」


 教師はそれだけ言った。

 問3?

 ああ。ええっと......想像の絵の具を塗りつけていくとはどういうことか?

 『檸檬』の一節だ。


 「えー、目の前の風景に、現実逃避の錯覚の中での位置を与えていくということ......」


 「何言ってんの?」


 「え?」


 あれ、違ったかな?


 「今やってるのは『檸檬』じゃなくて『南の貧困/北の貧困』なんだけど......」


 教師は呆れている。

 あまりにもぼーっとしすぎて授業を最初から聞いていなかった。


 「ククク......」


 舞愛ちゃんが笑っている。こいつ、バカにしやがって......


 「築城つきしろさん?笑っているってことは答えられるよね?」


 現代文教師は舞愛ちゃんを指名する。

 だが、彼女はヤンキーのくせに成績は上位だ。元委員長だからな。

 教師もその口ぶりに反して、おれのダメっぷりに対して救いを求めるような目で舞愛ちゃんを見ていた。

 しかし、舞愛ちゃんは立ち上がって、


 「わかんねぇ!」


 の一言。胸を張っているが、誇るようなことじゃない。

 ......おれが言うのもなんだが。

 現代文教師は呆れていた。なんだか気の毒だ。結局問3は、別の生徒が答えて終了した。

 おれは授業後に呼び出されて、説教を聞かされた。なんでおれだけ......

 にしても最近はついていない。

 寝苦しいと思って深夜に目が覚めると顔に猫太郎が乗っていたり、登校していると、おれの頭にだけ鳥の糞が落とされたり、あと授業で怒られることが多い。

 おれは説教が終わると、すぐに机に戻って、突っ伏した。舞愛ちゃんがなにか言いたそうにこちらを見ていたが、人と話すような気分ではない。梅雨はとにかく憂鬱なのだ。

 すぐに喧騒が遠のき、おれの意識はまどろんでいく。



†††

 


 床に座るおれの目の前に叔母が立っていた。場所は彼女の家。おれが3年間を過ごした家だ。

 おれをゴミを見るような目で見下ろしている。

 なぜだ。縁を切ったはずなのに......

 その後ろからひょっこり従兄弟が出てくる。

 体が強張る。叔母以上にコイツには悪い思い出しかない。


 「おい、奴隷、相変わらず汚い面してんなぁ」


 従兄弟は『あの頃』そのまんまの様子で俺にゆっくり近づいてくる。指をボキボキ鳴らし、イキっている。


 「オラッ!」


 おれは蹴り飛ばされる。

 なぜか、体に力が入らない。

 従兄弟は再びゆっくり距離を詰めてくる。おれは『あの頃』のようにギュッと目を瞑って、来るであろう攻撃に対して覚悟を決める。

 しかし、来るはずの蹴りはなぜか来なかった。

 おそるおそる目を開けると、従兄弟の蹴りを舞愛ちゃんが止めていた。


 「なにお前」


 従兄弟は舞愛ちゃんに驚いたようだ。

 舞愛ちゃんは右フックを叩き込む。従兄弟は倒れた。

 だ、ダメだ......たとえソイツでも、舞愛ちゃんは暴力を振るっちゃ......おれが代わりに......


 「大丈夫か?」


 舞愛ちゃんはおれの方に振り返る。


 「大丈夫じゃねぇよ!」

 

 声はおれのものではない。

 舞愛ちゃんの背後に、従兄弟が立っていた。それも1人ではなく、5人。全く同じ顔、全く同じ身長、全く同じ格好。

 ど、どういうことだ......?


 「あ?」


 舞愛ちゃんも困惑している。


 「オラッ!」


 お構いなしに従兄弟はパンチを繰り出す。

 舞愛ちゃんはガードし、反撃しようとするが、別の従兄弟が攻撃する。次第に舞愛ちゃんは防戦一方になる。

 おれは這って彼女のもとへと行こうとするが、なぜか体が動かない。

 足音がして後ろを振り返ると、さらに従兄弟が5人。

 一体どうなってる......?

 彼らはおれに目もくれず、舞愛ちゃんの方に向かっていく。

 

 「舞愛ちゃん!後ろだ!」


 おれは叫ぶが、なぜか舞愛ちゃんに声が届かない。舞愛ちゃんは従兄弟に囲まれてしまった。


 「舞愛ちゃん!」


 声は届かないし、体も動かない。

 いくら彼女が星が浜最強のヤンキーとはいえ、360度からの攻撃は防ぎきれない。


 「ぐぁっ!」


 彼女は後ろからの蹴りに悶絶する。

 そうして生まれた隙を従兄弟たちは潰していき、舞愛ちゃんは地面に倒されてしまう。

 従兄弟たちは舞愛ちゃんを押さえつける。嫌な予感をした。


 「おい!やめろ!」


 おれの声は誰にも届かない。

 従兄弟は舞愛ちゃんの服に手をかける。


 「ちょっ!やめろ!おい!」


 舞愛ちゃんは抵抗するが、数の暴力だ。

 ビリビリと制服が破られる。


 「あっ......やめっ......ゴホッ......!」


 舞愛ちゃんは抵抗するが、その度に殴られる。


 「やめてっ......やだっ......!」


 舞愛ちゃんは次第に声も弱々しくなる。

 おれはやめろと叫ぼうとするが、声すらも出なくなる。


 「市野っ!助けてっ!市野っ......!」


 クソっ!全員しばいてやる......!


 「市野っ!」


 動け!動け!動け!動け!


 「助けてっ......!」


 しかし、どうしても体が動かない。それどころか、おれは自分の実体すらないように感じた。

 腕のあるはずの方を見ても、腕がない。自らの顔を触ろうとするも、手も顔も感じられなかった。


 「市野っ......!」


 次第におれは目も見えなくなってきた。


 「市野ぉ.......」


 真っ暗な空間に舞愛ちゃんの悲痛な叫びだけが響いていた。



†††



 「市野っ!」


 「うわぁ!?」


 耳元のどでかい声で目が覚める。


 「夢かぁ......」


 額は冷や汗でびしょびしょだが、おれはホッとしていた。


 「居眠りでうなされてるやつなんて初めて見たぞ」


 両手を腰に当てた舞愛ちゃんが心配そうな顔をしている。彼女の顔に傷はないし、制服も破れていない。

 おれは心底ホッとした。


 「怖い夢でも見たか?お姉さんがナデナデしてやろうかぁ?」


 「いや恥ずいって」


 おれはスッと頭に伸ばされた手をサッと避ける。

 舞愛ちゃんはムッとしている。


 「もう大丈夫だから」


 正直、満更でもないが、教室で撫でられるのは恥ずかしい。


 「お熱いねー」


 レーカちゃんがやって来て言う。その手には弁当がぶら下がっていた。


 「うっすー」


 「どったの?」


 教室後方の扉からあやちゃんと聖哉せいやが入ってきた。

 時計を見ると時刻は12時30分。もう昼休みかよ。

 おれたちは空いている机をくっつけて弁当を広げた。


 「そんなお揃いのお弁当持ってきて『付き合ってない』は無理あるよねぇ」


 舞愛ちゃんとおれの弁当を見て綾ちゃんが意地悪な笑みを浮かべた。

 なにを見当違いなことを。

 舞愛ちゃんはただおれの栄養状態に危機感を感じて、自分の弁当のついでにおれの弁当を作ってきてくれているだけだ。


 「イッチはヘタレなんよー」


 「だって光稀みつき、ドーテーだもんな」


 「あぁ」


 なんかイジってきたが、おれはさっきの夢が気になっていた。油汚れのように頭にこびりついて離れない。


 「どしたん市野くん、元気ないね」


 「市野、梅雨入りしてからずっとこんなんなんだよ」


 なぜ今さらあのクソ叔母とクソ従兄弟が出てきたのか......しかも10人も......そしてなんで舞愛ちゃんを......

 いや、やめよう。現実のアイツは自分より下だと見なしたおれを一方的にイジメていただけだ。たとえ5人でも10人でも舞愛ちゃんに適うはずがない。


 「ん?」


 舞愛ちゃんの方を見ると、何も考えてなさそうな顔をしていた。


 「ふっ」


 おれはなんだかその様子がツボに入ってしまい、吹き出した。


 「イッチ、なんでそんなんなのー」


 「そんなんってなんだよ」


 「考えこんだと思ったら急に吹き出して、メンタル大丈夫ー?」


 「まぁ、なんか最近ついてなくて......」


 「え、光稀ってついてなかったの?女の子?」


 「飯時だぞお前」


 「やっぱ元気ないね」


 「イッチ、いつもならボケにボケに返すからねー」


 どういうイメージだよ。


 「よし、占ってやろう」


 舞愛ちゃんはいきなりそう言うと、おもむろにバッグからタロットカードを取り出した。


 「は?」


 「え?姐さんって占い好きなの!?あまりにも意外」


 聖哉が驚いているが、おれもまったく同じ感情である。というか聖哉のやつ、最近は舞愛ちゃんが暴力を封印していることをいいことに、調子に乗って“姐さん”などと呼んでいる。舞愛ちゃんは最初は怒っていたが、今の様子を見るに彼女も慣れたようだ。


 「ふふん。得意なんだよ。これで市野の命運を占ってやる」


 命運って。

 まぁ、確かにたまには占いってのもいいかもな。結果によっては気分が晴れるかもしれないし。


 弁当を食べ終わってキレイになった机の上に布を敷いて、舞愛ちゃんはタロットカードを置き、それを崩す。そして両手でぐるぐるとカードをかき混ぜる。

 しばらくかき混ぜた後、彼女はカードを1つの山にまとめた。


 「じゃあ市野、これを3つに分けてくれ」


 「OK」


 おれは1つの山を3つの山に分けた。


 「そしたらもう1回重ねて1つにしてくれ」


 「置く順番はどんなでもいいの?」


 「うん」


 3つに分けられたカードの山を、分けたときとは逆の順番で1つの山にした。

 舞愛ちゃんはそのカードの山を横一列に崩し、カードが全て同じ間隔になるように並べた。


 「ムムム......」


 舞愛ちゃんは2秒ほど唸ると


 「これだ!」


 と言ってカードを取った。

 禍々しいいかにもよくなさそうなカード。塔から人が落下している。


 「うわ、塔の逆位置だ......」


 よくないカードらしい。


 「うーん......このカードが出ると、なんかショックな出来事が起こったり、過去の清算をしなきゃいけなくなったり......まぁ、心が穏やかでない状態になるかもな......」


 すでにおれの心は穏やかではないが。


 「ま、まぁツイてないときってのは、得てしてツイてない出来事が連続で起こるもんだ」


 「舞っち、それ慰めになってないような......」


 「ま、まぁしょせん占いだからあんま気にすんなよ!」


 いや、占い好きがそんなこと言っていいんかい。

 気分転換のつもりでやってもらった所、より気分が暗くなったところで予鈴が鳴った。


 「み、光稀、がんばれよ」


 「イッチ、ご達者でー......」


 「ま、まぁ、舞っちの占いが当たるとも限らないから......」


 3人は気まずそうにおれを慰めて帰っていった。

 机をもとに戻したところで舞愛ちゃんがおれの肩をちょんちょん叩いた。


 「ん?」


 「タロットに正解はないんだ」


 「お、おう......」


 「塔の逆位置は、見方を変えれば、物事が大きく変わる、とも捉えられる。今悪いこと続きなら、いずれ良いことが起こるかもしれねぇ......だから、その、元気出せ」


 そう言って舞愛ちゃんはおれの背中を叩いた。

 舞愛ちゃんにも慰められてしまった。

 だが、ひっさしぶりに背中を叩かれて、なんだか気合いが入った気がした。


 「おれはいつでも元気だぜ?」


 そう言ってズボンのチャックを下ろそうとしたら、頭を思いっきりひっぱたかれた。

 痛かった。



 つづく 

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