第17話 あたしだけじゃない

 みんなで道具を拭いて片付け、冷蔵庫のトリュフを確認した。

 十分に固まっているようだったけど、念のため分けるのは学校からもどった後にする。

 由美子はきれいになったテーブルに、あの日あたしがかわいいと言っていた虹色のラッピングバッグを出した。


「もしかして買い出しに行ってたのは、これ?」

「かなえちゃん、気に入ってたし。せっかくだから」


 凛花がラッピングバッグの下敷きになっていた乳白色のカードを引き出した。


「メッセージカードも選んできてもらったよ。これにももちゃんへの愛を思う存分したためてちょーだい」

「は?」


 そんなこと言ったら睨まれるとわかっているだろうに。呆れてしまう。


「こら、凛花。それだよ。かなえがやめてって言ってたの」

「マジか。こんなの愛情表現じゃーん」


 杏にたしなめられて凛花は頭をかかえた。

 苦笑していた由美子がアドバイスする。


「どんな反応が返ってくるか想像してから話すといいのかも」

「うーんと、かなえがぎゃーってなって、いじり展開……?」

「ほら、だめじゃん。それで楽しいのは、いじる方だけだし」


 凛花の回答に杏がつっこむ。凛花はあたしの顔を伺った。


「そうなんだ」

「そうだよ。前からさんざん嫌って言ってたって言ったよね? あれ冗談じゃないから」


 ひとつひとつはちいさいもので、別に平気な時もあるけれど。降り積もると苦しい。


「愛情表現なら相手に喜んでもらえないと意味がないやね」

「確かに」


 杏の指摘に凛花はうんと考えこんだ。ちょっと心配になるくらい長く。

 由美子が顔を覗き込む。


「どうしたの? 凛花ちゃん」

「いや。うちのパパさ、しょっちゅうわたしの天パをメデューサっていじってくるんだけど、あれは愛情表現じゃなかったのかって思って」

「メデューサ? そういやたまに自虐ネタで使うよね」


 髪を整えてくれてた時も言ってた。杏も気になってたんだ。


「あたし、運動会の時にみんなの前で言われてたの覚えてるよ。ひどいと思ってた」


 凛花も覚えているだろうか。あたしと目を合わせると凛花はため息をついた。


「あー、あれね。……あの後、私、恥ずかしいからやめてって泣いたんだ。けど、愛情表現だろ、それくらいわかれよって白けた顔されてさ。一緒にいたママも困った顔をするし。泣くようなことじゃない。ノリのわかんない私がやらかしたんだ。愛情表現なんだからのれなきゃ呆れられるって、わかって」


 小さな凛花が、見捨てられたくなくて親に傷つけられてもなんともないふりをして道化に徹してきたのかと思うと、涙が出そうになる。

 杏は隣にいるあたしにしか聞こえないような小さな、けれど怨念のこもった声で最低とつぶやき、凛花に忠告する。


「もう言うのやめなよ。メデューサ。正直反応に困るもん」

「うーん。でも人に指摘される前に自分で言っちゃったほうが、楽だし」

「うそ。絶対、楽なはずない。天パのあたしにも刺さる」


 どうせゴリラ女だといろんなことをあきらめる時、あたしは苦しかった。

 凛花だってそうじゃないの?

 黙り込んだ凛花に由美子がダメ押しする。


「凛花ちゃんが言わなきゃみんなそんなこと考えもしないよ。凛花ちゃんのお父さんがとくべつ……独創的なんじゃないかな」


 すごく言葉を選んだのが分かった。凛花がそんなパパでも大好きなのがわかるからだろうか。

 パパの評価に話が触れると、凛花はキョトンとした顔をして、それから目をそらした。


「ま、そんなことはどうでもいいんだけどね。おっと時間がもったいない。早く行こう。コートどこだっけ」


 自分の気持ちから目をそらしている凛花を見ていると、もやもやした。

 これまで、どんな気持ちであたしたちをいじり、反応を楽しんできたんだろう。


 いじられ多少傷ついても受け入れて反応してくれることが愛。

 いじりいじられあっているうちは見捨てられない。

 それが凛花の教えられた、愛を感じるための方法だったのかもしれない。


「みんなの荷物はリビングにあるんじゃないかな」


 由美子が椅子にかけた自分の荷物を手に取ると、皆リビングに向かった。



「さむっ。あー天気が微妙だわ」


 混み合うのを避けるため、先に玄関の外へ出てブーツを整えていた凛花が空を見上げている。

 スニーカーに足を突っ込み、頭をあげると玄関横にある鏡に映るあたしと目が合った。

 化粧して綺麗に髪を結い上げたあたしと。


——かんちがいしない方がいいよ、イタイから——


 ふと、心の奥の方からあざ笑う声が浮かび上がってきた。

 何百、いや何千、何万回もくりかえし聞いた、いくら耳をふさいでもしつこく追いかけてきた声が。


「かなえちゃん、どうしたの?」


 鍵を持って後ろに立っていた由美子が心配そうな顔で見つめる。


「……笑われたり、しないかな」

「しないよ」


 由美子がキッパリと言い切った。


「でも怖くなるのは当たり前だよね。イヤな思いをしたんだもの。二度と同じ思いをしなくてすむように自分を守りたい。みんな一緒だよ。私も……」 


 由美子が言葉を切る。それからほうっと息をついて一気にしゃべった。


「実は、三年生の時に本人に向かって、この子大葉くんことが好きなんだよって言われちゃった時のことが忘れられないの。その時大葉くん、すごく困った顔してて。だから私、全然違うよって、好きじゃないよって慌てて否定した。それから、ずっと後悔してる。だから同じだよ。今はまだ勇気がないけど、でも私もがんばるから、かなえちゃんも自分を曲げないで」


 知らなかった。

 あたしたちの誰かが大葉の名前を口にするたびに、頬を染めてだまりこんでいた由美子の姿が浮かぶ。


 あたしだけじゃない。

 みんな何かを乗り越えようとしている途中なんだ。


「ほんと長いよね。由美子の恋は」

「凛花だって、ずーっと王子一筋じゃん」

「そうよ。なのに、杏は毎年コロコロコロコロ……」


 先に靴を履き終えた二人が、いつものようにぎゃあぎゃあやり合いはじめる。


「大丈夫。かなえちゃんは、かわいいよ。勇気を出して」


 心の声は消えなくても、従わないでいることができる。

 ソイツにどんなひどい言葉で罵られようと、あたしは自分を守ることができる。


「ありがとう」


 少し照れ臭いけどあたしは由美子の言葉を素直に受け取った。

 玄関を出ると外はどんよりとくもっていた。このまま天気は下り坂なのだろうか。

 服はひどいままだけれど、化粧をするとわざとラフな格好をしているようなおしゃれな感じに見えた。

 自分を飾って外へ出るのはあの日以来だ。

 空気はうんと冷たいのに、気分が高まっていて指先まであたたかかった。

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