第7話 だれもそんなこと言ってないのに、あたしの中の声が言う

「みんなって? だれもそんなふうに言ってるの、聞いたことないけど」


 とつぜん、道ぞいのレンガづくりの一軒家から声がした。ふわふわのねこっ毛にうすもも色の頬。百瀬だ。

 リードを持つ飼い主と同じくらい体重がありそうな、大きな犬を連れている。ゴールデンレトリバーだろうか。散歩をせかすこともなく門を閉める百瀬の隣にりこうに座っている。


「は? なに、おまえ」

「上級生が、下級生一人相手に集団で言いたい放題。そっちのほうが、は? なに、だね」


 百瀬は、上級生相手にえんりょのない口を聞いた。先輩はあざけるような言葉をはく。


「なんだ、ももちゃんかよ」

「ああ。おまえ、クラブでいつもこいつに負かされてるやつだよな。運動神経女以下のくせに、なんで運動クラブに入ってんの?」

「はは。見た目も女みたい。絶対こいつよりスカート似合うわ」


 暴言を吐いてげらげら笑う先輩たちの姿を前に、百瀬は半眼になりあからさまにため息をついた。


「ばっかじゃないの、あんたら。男子が女子がってそんな重要? 関係ないよね」


 先輩に向かってあんたって。見ているこっちがドキドキするほど挑戦的だ。

 カッとした先輩の一人が声をあららげる。


「ももちゃんごときが、ほえても怖かねーんだよ」

「あっそ。俺も、あんたらが俺に何を言おうと、別になんてことないね。よってたかって下級生を傷つけるのが趣味のひきょうものなんか、相手にしてもしょうがないし」


 やりとりがおだやかじゃないのを察してか、温厚なはずのレトリバーが低くうなり出す。

 男子たちの言い合いはヒートアップしている。


「じゃあ、口出すなよ。弱いくせに、かばってるつもりか?」

「ははっ。ももちゃんの出る幕なんかないって。知ってるだろ、このゴリラ、男より男らしいんだぜ?」


 先輩があたしを指差し憎まれ口をたたくと、レトリバーが勢いよく前足を上げた。

 前のめりになっていた先輩たちはおどろいて亀みたいにひっくり返る。


「おわっ」

「こら。ラム、おすわり!」


 百瀬があわててリードを引く。ラムとよばれたレトリバーは元どおりおすわりしたが、低い声でうなり続けている。百瀬がラムの鼻先に指を当てる。


「どうしたんだよ。ちゃんと待ってなきゃダメだろ」


 きっと飼い主を守ろうとしたのだろう。しかられて、かわいそうに。


「……行こうぜ」


 うなるレトリバーにおそれをなしたのか、立ち上がった先輩たちは百瀬ともあたしとも目も合わせようとしないで、連れ立って歩き去った。


 百瀬は大きくため息をつき、今度はあたしに目をうつした。

 いばったように腰に手を当て、うすい胸を反らせる。


「高橋、なんでだまってんの。言われっぱなしとか、らしくないだろ」


 開口一番に非難されて、針で突かれたように胸が痛んだ。

 だって、怖かった。びっくりしたし、どうしていいかわからなかったんだ。

 胸の中で渦巻く抗議は声にならない。らしくないなんて言われたらもう、怖いなんて言い出せない。


 あたしがおびえているなんて、怖かったなんて、傷ついたなんて、そんなにおかしい? らしくないことなの?

 涙が出そうになって、無理やり堪える。

 

「あんな奴ら、この太い腕でもふり回せば、楽勝だったよね」

「なにそれ。だれもそんなこと言ってない」


 レトリバーのつながれたリードをにぎる百瀬の、折れそうに細く白い腕がまぶしい。

 かつてあたしも持っていた、無駄な肉のない綺麗な身体が。

 今のあたしの身体はもう子供とは言えない。


「あのね。やれると思われたら負けなんだ。集団でなきゃなんもできない奴らなんかに勝手なこと言わせとくなよ」


 言わせたあたしが悪いのか。

 小さなかよわい女の子じゃないんだから、一人で立ち向かえるだろ? だって君はゴリラ女じゃん。

 あたしを見つめる百瀬の顔がゆがみ、そうささやいてくるような気がする。笑われている気がする。

 実際は、ちょっと怒ったような顔をしてまっすぐ見ているだけなのに。

 ふるえる声で百瀬をはねつける。


「あたし、あんたに助けてなんて、頼んでない」

「高橋?」


 困惑した顔の百瀬を前に、よりいっそうみじめな気持ちになる。

 

「よけいなことしないでよ。心の中で笑ってたんだよね? さっさとけちらせ。がらじゃねーよって。あたし、かよわいももちゃんなんかより、ずっとたくましいもんね?」

「俺のこと、バカにしてるわけ?」

「は? なんでそうなるの。バカにしてんのはそっちじゃん。人の気も知らないで。ほっといてよ」


 あたしはそう言い捨ててかけ出した。

 わかってる。完全に八つ当たりだ。助けてくれたのに、酷いことしてる。

 でも、どうしても百瀬のそばにいたくなかった。



 あの日、あたしは決めたんだ。二度とおしゃれなんか望まない。かわいくなろうだなんて思わない。

 そんな気持ちはあたしには似つかわしくないから。

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