第6話

「落ち着いたようですね」

「うん。フウカありがと」

「私は何もしていませんよ。あ、氷とってきますね」


 フウカはテキパキと動いている。ロボットらしい動きだ。

 対する私はのっそりと起き上がり、ぐだぐだしてから座った。


「私、どうしたらいいんだろうね」


 ただでさえ同じクラスだから視界に入ってくることが多い。

 その上、今までの癖で無意識に彼が視界に入ってきてしまう。


 よくよく考えれば日常の一部に彼が食い込んできて大部分を占めていた。

 学校では彼を眺めたり話したり、家に帰ってきても彼のことを考えてばかりいた。

 勉強をするときも、食事をするときも、ずっと頭の中心には彼がいた。


 だから、頭の中が急に空白になってしまった。

 どうやって時間をつぶせばいいのかわからない。

 楽しいことも思い出せない。何が好きだったのかもわからない。


 今まで空いた時間をどのように使っていたか記憶がないのだ。


「私は今までどうやって生きてたっけ?」

「お嬢様はお菓子作りが好きでしたね」

「そうなんだ。じゃあ何か作りたい」


 言われてみればそうだった気もする。

 ぼんやりと楽しんでいた記憶があるような気もする。


「クッキーなんてどうでしょう?」

「いいね。それ作る」


 私はさっそくキッチンへ行き手を洗ってエプロンをつける。


「材料はバター、卵、砂糖、薄力粉です」

「了解」


 フウカに教わりながらクッキー生地を作る。

 バターをレンジでチンして混ぜる。

 卵も混ぜてバターと混ぜる。

 砂糖を入れて混ぜる。

 薄力粉を入れてまた混ぜる。


「腕の力がいるね」

「そうですね。お嬢様の腕力ですと少しツラいですね」


 フウカはロボットなのでどんなに力のいる仕事もラクラクこなすが、人間はそうにもいかないのだ。

 ロボの体は便利そうだなと思う。


「でもお嬢様すごいです。もう混ざりきりました。昔のお嬢様よりもはやくなっています」

「ほんと。それはよかった」


 思い出せない記憶が胃の底でぐるぐるしているのは気にせず、素直に喜んでおく。

 自分の成長を褒められて悪い気はしない。


「これを綿棒で伸ばして、冷やします」

「はーい。ちなみにどれくらいの時間冷やすの?」

「だいたい一時間くらいですかね」


 一時間。結構な時間だ。


「じゃあその間は宿題しとく」

「それがいいですね」


 部屋に戻り、数学のノートを開く。

 難しい問題で詰まっていると脳裏にチラつく彼奴は脳内で殴ってぶっとばした。

 彼奴は何度でも蘇るので、根気よく何度でも殴り飛ばし蹴り飛ばし対処した。


「そろそろいい時間ですよ」

「はーい」


 フウカに呼ばれてキッチンへと戻る。

 よく冷えたクッキー生地と大小様々なクッキー型が並んでいた。


「これとかどうですか? 可愛いですよ」


 とフウカはクマ型の型を差し出してくる。

 確かに可愛いが、私はその奥にあるハートの型から目が離せなかった。


「どうされました?」


 膝から崩れ落ちた。

 色々なところがぼんやりと痛む。フウカの声も遠くに聞こえる。


 さっきまではっきりしなかった記憶が鮮明になってきた。

 確かに私はお菓子作りを楽しんでいた。しかしお菓子作り自体が好きだったわけではない。

 彼に渡すためのお菓子を作るのが好きだったのだ。



 なんでもない休日に、ふと思い立ってクッキーを作った。

 彼にクッキーを渡すだけでドキドキしていた。

 彼の渡した後も感想が気になってドキドキしていた。

 嬉しそうに受け取ってもらえて嬉しかった。

 美味しかったと感想をもらえて嬉しかった。

 そんな、些細な記憶まで鮮明に覚えている。


 また彼に心を乱されてしまった。

 ほんと、厄介なものだ。


「なんでもない」


 私は立ち上がってクッキー生地と向き合う。

 今日は何も気にせずに形を選ぶんだ。


 愛を込めて彼へ送ったハート型も、トゲトゲしてるから送るのをやめた星形も、彼の雰囲気を感じさせるクマ型も全部使ってやる。

 あんなやつに私の人生を邪魔されたたまるか!

 あんなやつと付き合ったという我が人生の恥、綺麗さっぱり忘れてやる!


「私は彼奴にとらわれない」

「それがいいですね」


 できるだけ楽しいことを思い浮かべて型を抜く。

 全部終わった頃にオーブンから音がする。

 温まったようだ。


「ぴったりだね」

「ですね」


 ちょっとしたいいことは、きっと大きないいことの予兆だ。

 明日は今度こそいい日になる。そう信じて私はクッキーをオーブンへ送り出した。

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