第5話
「疲れた……」
家に帰ったらすぐさま部屋に入り着替えもせずにベッドにダイブする。
もう何もしたくない。
「おかえりなさいませお嬢様。杏仁豆腐食べますか?」
「食べる」
起き上がってベッドのふちに座りフウカから杏仁豆腐を受け取る。
よく冷えていてお皿まで冷たい。独特な風味をつるんと飲み込む。
「今日はめっちゃ良い時間割だったの。それなのに彼奴のせいで台無しになった」
「彼奴というのは育樹様のことですか?」
「そう。様をつける価値の相手じゃないから。彼奴がさ、どの授業でも私の視界に入って昨日のことを思い出させてくるんだよ」
一日中そうだった。
どの授業でも彼が視界にやってきては脳の奥底へ沈もうとしている記憶を引き摺り出して私につきつけるのだ。
ずっと。ずっと。ずぅぅぅっとだ。
「それは大変でしたね」
フウカは私の横に腰掛け背中をさすってくれる。
機械の温度のない手が不思議と落ち着く。
「育樹様、いえ彼奴がお嬢様の視界に入ってくるのではなくお嬢様が彼奴を見ているのではないですか?」
「は? ない。絶対にない」
第一どうしてアレを目で追わねばならぬというのだ。
あんな気持ちの悪い脂肪ボールを好んでみるものなどいないだろう。
「癖でしょうね」
「癖?」
「はい。今まで好きでずっと目で追っていたのでその癖が抜けずに残っているってことです」
「別に彼奴のこと目で追ってなかったし」
彼奴のことなんか見てないし、アレなんか好きじゃない。
そんな癖あるはずない。
「昨日まで私に彼の良さをたくさん語っていましたよね?」
「そんなことしてない。フウカ壊れちゃったんじゃない。修理に出そうか」
「壊れていませんよ。昨日のお嬢様は『今日の育樹もかっこよかった』と話していましたよね」
なぜか録音されていた昨日の会話を流された。
自分の甘ったるい声が聞こえる。今までなんとか抑え込んでいた記憶が全て引き摺り出された。
私があんなクソ野郎を愛していたことも、彼奴が浮気をしてたから別れてほしいと言われたことも、全てを思い出した。
無駄に鮮明な記憶は私の感情を爆発させるのに十分だった。
「フウカひどい」
私はそれだけいうと食べかけの杏仁豆腐を机に置き、布団にくるまった。
暑くて息苦しいけれど出たいとは思わない。
心臓を鎖で縛りつけたような苦しみに襲われる。
「全部アレが悪いんだ。アレが悪いんだ」
私は布団の中で無理やり叫ぶ。
空気が薄くって頭が痛くなっても叫ぶ。
涙がこぼれぬよう必死に叫んで苦しみを逃す。
「さやかお嬢様はたくさん傷付きましたね」
「別に」
「全ての責任はあの男にあります。だから」
フウカは私の言葉をさえぎってはなす。
「だから、泣きたくないのに涙が出てしまうのもお嬢様のせいではありません。あの男が悪いのです」
優しい声だった。機会がもつはずのない慈愛に満ちた声だった。
心臓を縛っていた鎖がほどけていく気がした。
「私は泣きたくない。あんなやつに泣かされたくない」
もぞもぞと布団から這い出る。ベッドの中央に座り、自分の心と相談しながら言葉を紡ぐ。
「あんなクズに泣かされるのがいや。あんなゴミにおこらされるのがいや。あんなやつに自分の感情を左右されるのがいや。気持ち悪い」
「そうですね。いやですね」
「あんなやつに負けたくない」
あんな酷いやつに負けて、可哀想な元カノになるのが嫌だ。
私は可哀想な人間なんかじゃないんだ。
私は幸せなはずなんだ。
「私は真の勝利を掴むためにこの試合を相手に勝たせるのもアリだと思います」
「え?」
フウカは何を言い出すのだろうか。真の勝利? 本当に故障してしまったのか。
「今、ここで泣いて感情の整理をしませんか? ここには私しかいません。お嬢様を傷つけた男も、可哀想とレッテルを貼る世間もここにはいません。私というロボだけですから」
フウカだけ。ロボットだけだ。
こんなの一人だけみたいなものだ。
誰も見ていないなら、いいか。
私が忘れさえすれば良いんだから。
私はぬいぐるみを抱きしめ、声をあげてないた。
怒りも苦しみも悲しみも全てを吐き出すように泣いて泣いて泣き叫んだ。
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