05「ノランセウムから来たエルン」




 冒険者協会の支部受付嬢といえば、平民出身の若い娘にとってはまさに憧れの的だ。


 メヌエーほどの中規模都市でも、生家の手伝い以外に年頃の婦女子を雇ってくれるような職場は少なく、運よく見つかったとしても大抵は役人の身内か富裕な商人の子供が優先的に選ばれる。一方で、受付嬢という職種はそうした労働機会の不平等に真っ向から否を突き付けるがごとく、平民階級にも門戸を開いていることで有名なのだ。極端な話、素質さえあれば誰でもなれるといわれるくらいに。パン屋の三女であれ、洗濯屋の次女であれ、はたまた町はずれにある孤児院の年齢ぎりぎり二桁ふたけたな幼女であっても、その出自を理由に応募を断られることはない。


 もちろん、楽な職業ではないのも事実だ。まず読み書き、できれば教養も。仮に試験を合格しても、その先には厳しい研修期間が待ち受けていて、ようやく新人の肩書きが外れる頃には同期の数が半分に減っていたという話も珍しくない職場である。街中ですれ違っただけでは想像もできないほど冒険者という生き物は意思疎通が困難なことも多いし、そんな連中が上げてきた目撃情報が正しいかの証拠集めで現地視察に駆り出されるような外勤も日常業務の一環なわけで。決して受付に座っていればいいだけの簡単で楽ちんな事務職というわけじゃない。


 それでも、退屈な日々や親に支配される生活に飽き飽きとした自由と刺激を求める健全な少女たちが憧れるに足る仕事だ。給料も平民上がりとは思えないほど貰えるし、出世の機会も公平ではある。さすがに幹部職は官爵持ちと呼ばれる準貴族階級出身者が多いものの、制度的には平民であっても支部長まで登り詰めることは可能なのだ。そこまでは考えなくても、純粋に上位の階級者につて・・ができることを喜ぶ者も少なくない。待遇も良かった。着れるってだけで価値のあるおしゃれな制服に始まって、果ては受付嬢のための女子寮まで希望すれば支給されるのは、貧乏暮らしに馴染んだ少女にとってはほとんど夢かおとぎ話に入り込んだような好待遇だろう。


 日が落ちて、依頼完了の報告目的な待機列も途切れた冒険者協会メヌエー支部でのこと。そんな支部受付嬢のひとりが、手元の資料を見つめては何度も瞬きする、という挙動を繰り返していた。


「――どしたの、リーシャ? 記入漏れか何か?」


 見かねた先輩受付嬢が後ろから覗き込んでくる。


 肩に届くぐらいで切り揃えられた癖毛が特徴の少女・リーシャは三等受付嬢になったばかりの若手だった。幸運にも配属される班には恵まれて、こうして仕事に悩んだときは頼りになる先輩や上司がすぐに面倒を見てくれる。


「あ、いや。先刻、ゾリスさんが持ってきた簡易報告書の写しなんですけど」

「見せてみ。……何これ? 〝キャンプ・モルマス〟が襲撃を受けて大破――襲ってきたのは、ギガント・パイトォ⁉ いやいや、何かの間違いじゃないの?」

「ですよねー。あたしも受け付けたときは信じられなかったんですけど、ベテランのゾリスさんに限って適当な報告は上げないだろうし……」

「にしたって、あんな浅いところに現れる魔物じゃないでしょ。……あーでも、この前の朝礼で魔物の大量発生の可能性があるとか言ってたっけ。現実になっちゃったわけだ」


 腕を組んで、先輩嬢が天を仰いだ。


 本当に魔物や魔獣が大量発生したとなれば、当然護衛依頼などでそれらと直面することになる冒険者と、それを支える冒険者協会支部の負担は想像を絶するものになる。最悪、他の依頼はすべて中止して、討伐のために支部中が一丸となって対処する事態もあり得る状況だ。


「これ、支部長は何て?」

「他に関連した報告がないか調べ直すから、明日の朝イチで詳しい話を聞く場を設けるって言ってました」

「マズい状況かァ。ただでさえ北部や東部で賊が暴れてるって話なのに。そっち方面の護衛依頼が増えそうだって心配してたら、今度は魔物だなんて」


 次は地震か暴雨の天変地異でも起きるかもね、と肩を竦める先輩に、リーシャは何とも言えない顔を浮かべた。

 自分が支部受付嬢になってから今まで、そんな緊急事態が起きたことはない。災害だけじゃなく、賊や魔物も。ここ数年、メヌエー周辺は平穏そのものだったから。


「あ、そうだ……最後の方、見てください」


 リーシャの指さした箇所を、先輩が「どれどれ」と読み上げた。


「討伐記録? さすがゾリスさん。パイト種を三体も――」

「その、下です」

「へ? ギガント・パイト討伐者・・・……ええっ⁉ 手練れの冒険者が数人掛かっても倒せないかもしれない魔物なのに⁉ 倒しちゃったの⁉」


 報告書を破きかねない驚きようだ。

 自分も何度読み直しても信じられなかった。魔物の分類と脅威度については、研修期間の座学講習でリーシャも学んでいる。だからこそ、この報告が異常だと気付いたのだ。


「ま、マジで……? てっきりやり過ごしたんだと思ってた……しかも、討伐したのは偶然居合わせた女の子って」

「ギガント・パイト一体に取り巻きのコパイト八体。それも個人戦果。ひとりでですよ?」

「人間じゃないね。……うーん、わけが分かんない。何者なんだろ?」

「エルン・ダ・ノランセウム。支部のデータにはなかったです。登録情報もなし、報告書の中で名前が出たことも一度も――」


「――ノランセウム?」


 カウンターに散乱していたファイルをめくっていたリーシャと先輩の正面から、いきなり声が上がった。

 びっくりして顔を上げたふたりの視線の先、受付台から離れたところでたむろしていた冒険者の男がこちらを見ていた。


「何か知ってるの? トマデッラさん?」

「懐かしい響きだ。ガキの頃よくばあちゃんが口にしてた。うたの中で」

「詩?」

「おとぎ話みたいなもんだ。俺の郷里はボッツ山より向こうでな。あそこら辺に残ってる伝承だよ」


 思いもよらない方向からのつながりだったが、〝キャンプ・モルマス〟の位置を考えるに何かしらの関係はありそうだ。

 昔話を始めていたトマデッラをさえぎって、先輩が先を促す。


「それで、ノランセウムが何なの?」

「森の名前だ。あそこに広がる大森林がノランセウム。その奥深くでは、今でも精霊の宿る泉を守る一族がいるって話だった」


 一節を歌い上げるように、トマデッラの渋い声がその場に響く。


「「……精霊・・?」」


 顔を見合わせたリーシャと先輩の呟きがシンクロした。




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