01-01「ここは『酔いどれ猫』亭」




 ――シャンドリー侯爵領 南部――




 テーブルの上には、大量の空き皿とコップがあった。

 さっきまでは湯気を立てたり、腹の虫が黙っちゃいないような〝良い〟匂いをただよわせていたそれらも、今じゃすっかり盛り付けられる前の状態に逆戻りだ。

 満足感をもたらした料理の数々に敬意を払いたい。精霊の祝福があるように。名前なんて分からないが、こっちは赤い香辛料で味付けした何かの肉の煮物、そっちは多分果実を発酵させて甘みを付けた酒、よく分からない芋。それで最後に一切れだけ残ったこれが、これでもかとチーズを乗せて焼いたパン。ここいらの人間は贅沢だ。こんなにチーズが乗ってる。


「――お客さん、よく食うねェ」

「店主。あんたは天才。料理の名人。きっと精霊だってたまげる・・・・美味さだ」

「そりゃどうも。そこいらでも食えるような俺の料理がそんなに褒められたのは初めてだ」


 カウンターにもたれていた店主の男が呆れたように空いたコップへ酒を注いでくれた。


「こいつはサービス。……マイルズだ」

「ありがたく。あたしはエルン」

「聞いていいか。見慣れない風体だが、どこから来た?」

「何て呼ばれてるかは知らないけど、森だよ。近くの川を遡っていった先の」


 ここはバンの丘近郊、街道を挟むように設置された宿場町の一軒。〝酔いどれ猫inn〟の食堂スぺ―スだ。あたしの住んでた大森林からは、五日と少々の距離にある。


「――それじゃ、精霊の泉の守り手なのっ?」


 横合いから掛かった声に、ふたりの視線が向けられる。

 料理を運ぶ用のトレイを両手で抱き寄せながら、少女が目を輝かせていた。歳は自分と同じくらいか。「想像通り」とエルンが頷けば、そばかすの散った顔をぱっと明るくするさまに好感が持てた。


「ほんとにいたんだ! ……あ、っていうのは失礼か。ごめんね。昔、お祖母ちゃんが話してくれた童話の姿とそっくりだったから」

「無理もない。ここ百年で森の外に出たのは、あたしぐらいだろうしね」

「うわァ、おとぎ話の中に入ったみたいな気分。わたしミレット。今日は泊まるんでしょう? また後で話そう?」


 別の客から注文が掛かって、ミレット嬢は足早にぱたぱたと離れていった。

 ひらりと舞うスカートの裾と、毛先の巻かれたツインテールが揺れるのを何となく目で追う。


「悪いな。俺の娘なんだ」

「いや。明るくて可愛い。用が済んだら、あたしの村に連れて帰りたいくらい」

「ひとり娘で、看板娘だぞ。非売品だ」

「だろうね。……まァ、どうせ戻ることもない」

「? どういう――」


 突然、食堂の中に短い悲鳴と食器の転がる甲高い音が響いた。

 振り返れば、入り口近くに固まっていた客とミレットが何やら揉めている。大柄な男たちだ。不揃いながらも武装しているところを見るに、傭兵か冒険者とやらだろう。礼儀がなってないのは一目瞭然だが、それにしても目に余る。


「おい。何の騒ぎだ」

「俺たちは、トルビクから来た義勇兵だ。侯爵閣下のために、故郷を守るため賊と戦ってる。分かるか? お前らがこうして呑気に飲み食いして店をやってられるのは、俺たちのおかげなんだ。なら、感謝してサービスのひとつでもするのが筋だろうが」


 品のない笑い声に、エルン含めてその場の大半が顔をしかめる。

 カウンターを飛び出したマイルズが、男に腕を掴まれていたミレットを抱き寄せた。大げさなしぐさ・・・で両手を放した男が、無造作に伸びたひげを濡らしながら酒杯を呷る。


「……義勇兵?」

「知らねェのか、嬢ちゃん。領主さまが、この間から暴れ回ってる賊と戦う義勇兵を募集してるのさ。参加してるやつらはご立派なもんだが、その名を借りて好き勝手しようって連中も増えてきてる。あいつらもその手合いだろうよ」

「へえ。賊と」


 呟いたエルンに答えてくれたのは、すぐそばのテーブルに座っていた客だった。

 周囲を見回せば、誰もかれも苦々しい表情で様子を窺っている。常連客はミレットたちの味方をする気のようだが、相手が武装しているとくればうかつには動けない。


「金を置いて帰ってくれ。二度と、娘と店に近寄るな」

「どっちも聞けねェな。おら、ぶっ殺されたくなきゃ引っ込んでな」

「っ⁉ お父さん……‼」


 突き飛ばされたマイルズに駆け寄るミレットへ、男たちが腕を伸ばす。


「……ッ⁉ なんだァ、てめえ!」


 怯えるミレットの視界を遮るように、エルンは間に割って入った。

 払うともなく腕を払い、男の鼻先に片手を突き出す。音もなく近付いた新手に意表を突かれたからか、エルンの横槍が癇に障ったのか、男たちが身構えて怒声を上げる。

 先頭のひとりが腰の長剣に指を添えたのを見て、食堂中に緊張が走った。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る