『エルンの大地』

龍宝

00「プロローグ」




 地を赤く染め上げるような夕日に、思わず目を細めた。

 沈みゆく太陽を見送る馬上の男。その背後には、すでに宵闇が迫りつつある。


「――閣下」


 握ったままだった長剣を鞘に戻したと同時、正面から声が掛かる。

 未だに黒煙を立ち上らせる小さな村から出てきた部下に、男は首を巡らせた。


如何どうか?」

「駄目です。やつら、まるでいなご・・・ですよ。何も残っちゃいません」

「水もか?」

「井戸には村人の死体が。あれは、逃げ場を求めてのことだと思いますが……」


 周囲の街道を見張るよう命じて、男は村の中に入った。


「かろうじて、兵は休ませられるでしょう。近くに川もあります」

「夜が明けるのを待って賊を追う。次の村、いやその次も。糧秣の続く限り、どこまでも追い詰めろ」


 馬をいていた従者の手を借りて、男は村の広場に降り立った。

 夜営の用意に走り回る兵たちを見回しながら、数名の部下を伴って比較的原型をとどめている家屋を見つける。今夜は、ここで過ごすことになるだろう。


「地図を」


 テーブルの上に残っていた食器や酒瓶を部下が片付けて、「こちらに」と広げた。


「思った以上に、賊が入り込んできているな。この村が連中の手に落ちていたとなれば、ここより東の町は相当厳しい状況のはず」

「まだ、都市が陥落したというしらせはありませんが」

「時間の問題だろう。街道を寸断され包囲されれば、小さな都市になす術はない」


 地図上の書き込みを更新しながら、男は眉間にしわを寄せた。


「このままでは、状況は悪化するばかりだな」


 率いている兵は精強だ。

 侯爵領を守る騎兵連隊として、ずっと鍛えてきた。たとえ倍する数の敵とぶつかっても引けを取らないという自負がある。

 ……だがそれも、まともな戦い方をする、まともな敵と戦えばという話に過ぎない。


「やつら、少し当たってはすぐに散らばって。負けはしませんが、これではきりがない。四方八方逃げられては、わが連隊一〇〇〇では追撃すら困難です」

「何度追い散らしても、しばらくすれば雲のようにまた集まってしまう。かといって、躍起になって追い込めば数倍の敵に囲まれることになる」

「……閣下。恐れながら、やはり兵の数が足りません。南方では賊ばかりでなく、魔物や魔獣までも大量発生して生活圏に入り込みつつあるという報告も受けています。直属の連隊だけでなく、領内各都市の兵も動員すべきでは」


 部下の提言に、男は地図をにらんだまま答えた。


「都市に配置した兵には、都市を守備するという役目がある。万一賊が拠点を手にすれば、それこそ討伐は長引く。領内も疲弊し、都市攻略にはやはり今以上の兵が必要になる」


 献策を却下されたと思ったらしい、部下が肩を落とす。

 言っていることは、それほど的外れではないのだ。敵の数に比べて、こちらの自由になる兵力が不足している。要は、どこから捻出するかではない。どうやって、水増しをするかである。


「……では各都市に、わが名の下に動員を命じろ」

「は、いえ……しかし、それでは都市の守りが――」

たわけ・・・が。守備の兵はそのまま、兵を集めるのだ」

「それは、どういう……?」


 困惑する部下を尻目に、男は指令書をしたためるためにペンを執った。

 会心の策を思いついた、とうなづきながら。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る