循環論法
循環論法が何かを説明するよりも、具体例を挙げた方が早いですね。
「上とは、下の反対である。
下とは、上の反対である。」
と説明されたところで結局、上と下とはそれぞれ何をさしているのか分かりません。この説明から読み取りうるのは、上と下が互いに相反する性質を持った概念であるということだけです。
仮に上をA、下をBとして置いてみると、
「Aとは、Bの反対である。
Bとは、Aの反対である。」
という風に言い換えることができてしまいます。
『環は刃を当てれば切れるんだ。』第6話「不器用、喫茶ヨム」にも、循環論法による進行を取り入れてあったのですよ。テキストの中から1行だけ、引用しますね。
[私は、鏡が大嫌いです。鏡に写る私が大嫌いで、私を写す鏡が大嫌いです。]
これは循環論法になっています。
「私は鏡が嫌いである。なぜなら鏡に写る私が嫌いだから。
私は鏡に写る私が嫌いである。なぜなら私を写す鏡が嫌いだから。
私は私を写す鏡が嫌いである。なぜなら鏡が嫌いだから。」
鏡が嫌いな状態をA、鏡に映る私が嫌いな状態をB、私を写す鏡が嫌いである状態をCと置くと、上の理論は次のように言い換えることが出来ます。
「私はAである。なぜならBだから。
私はBである。なぜならCだから。
私はCである。なぜならAだから。」
私がAであるのは、私がBだから。
私がBであるのは、私がCだから。
私がCであるのは、私がAだから。
つまり、私がAであることを証明するためには、
私がAであるという前提条件が不可欠になるのです。
AだからAなんだよ。って言ってるのと何も変わらないのです。
こうして説得力を失ってしまう論理展開のことを循環論法と言います。
はい。ということで、循環論法って何なのか、分かっていただけたでしょうか?
では、今回はここまで!ご読了、ありがとうございます!
よいお年を
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