春紫菀
日乃本 出(ひのもと いずる)
第1話 突きつけられたオワリ
「柊君、こちらも限界だ。すまないが結論を出してくれないかね?」
電話口で上司にそう言われたのは数日前で、目の前が真っ暗になったのをよく覚えてる。
入社して数年、初めの頃は何もかもまでとは言わないけど、とてもうまくいっていたと思う。
新しい環境に戸惑ったけど、なんとか手探りで仕事というものを学んだ。
苦しかったかと聞かれたらそうかもしれないけど、その時は充実感の方が圧倒的に勝っていて楽しい日々だった。
社会人としての責任や振る舞いを学び、きっちりとスーツを着込んでの出社。
幼いころからの憧れだったキャリアウーマンを自分が体現できていた気がして、とっても嬉しかった。
周囲からの評価もそれなりにもらえ、私はずっとこの会社の一員として生きていくんだって、確信してた。
そんな中、私に託された一つのプロジェクト。
プロジェクトの中で、私の役割はプロジェクトリーダーの補佐役だった。
重要なことは全てリーダーが管理しており、私は毎日、取引先と会社との往来を繰り返し、連絡役として資料の整理や日程の調整にあたっていた。
補佐と言っても、実質は雑用係みたいなものだったけど、取引先の人たちはとてもいい人ばかりで、少し物足りなさを感じてはいたけれど、これと言って不満はなかった。
でも、途中からプロジェクトの雲行きが怪しくなってきた。
リーダーが他のメンバーの知らないところで、勝手に他の取引先を開拓しようとして、それがきっかけとなって取引先が激怒してしまい、プロジェクトが
しかもリーダーは全ての責任を私に擦り付けた。普通ならばそんな不条理、すぐに調べればわかることだけど、運の悪いことにリーダーは社長の息子。
波風を立てたくない上司たちは、リーダーの言うことを全て聞き、私に責任をとるよう要求をしてきた。
まさに、青天の
とにもかくにも、私はすぐに取引先へと謝罪にいった。
誠心誠意謝罪をすれば、きっとわかってくれるはず。
そう思っていたけれど、現実は厳しかった。
取引先の人たちの対応は今までと打って変わってとても冷ややかなもので、私を見る目には強い非難の色が浮かんでいるのがありありと見てとれた。
口調こそ丁寧なものだったけれど、その凄まじい非難の目に耐えきれず、私は逃げるようにその場から立ち去ったことを今でも夢に見てしまう。
それでも私は信頼を回復するには、必死になって働くしかないと思い、今まで以上に頑張ろうとその時は思った。
だけど、そんな私の思いは、すぐに打ち砕かれることになった。
会社に行くと、リーダーだった社長の息子が、同僚や上司の前で私がどれだけ使えない人間であるかというのを雄弁に語るのだ。
周りの人は、薄々それが嘘であることに気づいているのだけど、それには触れようとせずに、苦笑いを浮かべて相槌をうっていた。
だって、もし私をかばおうとでもしたら、どんな攻撃をされるかわからないのだから、そんな危険を冒してまで私をかばってくれる人なんていやしなかった。
それでも負けるものかと、休むことなく通勤してがむしゃらに働いた。
見返してやりたかった。自分はできるのだと見せつけたかった。
実際、少しずつ働きぶりが評価されてきて、一度失墜した信頼を何とか取り戻すところまで来たのだけど……。
ある日、いつものように玄関を出ようとした時、全身を這うような悪寒と鈍器で殴られたような頭痛が襲ってきた。
めまいがして視界がグルグルと回る。
津波のように嘔吐感が何度も押し寄せてくる。
ハッキリ言って、まともに仕事ができるような状態じゃなかった。
でも、私は負けたくなかった。
身体に鞭打って出社したけれど、こんな状態が数週間も続き、集中力も体力も落ちていって、ミスを乱発するようになってしまった。
それでもなんとか歯を食いしばって働いたけど、状況はよくなるどころか悪化していく一方だった。
次第に、今まで自分を支えてきた気力も底をつき、体重も急激に減ってしまい、目の下にはパンダのような濃いクマが出来てしまっていた。
そんな私をさすがに見かねたのだと思う。同僚から、一度病院に行ってみたらどうかと言われ、紹介された病院に行ってみたのだけど……。
紹介された病院は、精神病院だったのだ。
その場で泣き崩れそうになった。
他人から見れば私は精神病患者のように見えていたんだとわかって、全身を虚脱感が支配した。
今まで全力でやってきたと自信を持って言える。
しかし、どうやら世界は私に敗北者のレッテルを貼り付けたいようだった。
診断結果は全般性不安障害。
その日から、会社に届出を出して休暇をもらった。
そして数か月出勤できない日々が続いた。
だからこそ、会社も黙って見ていられなくなったのだろう。
逆に言えば、よく今までクビにしなかったものだと思う。
ひょっとすると、会社の上司の心に罪悪感があったのかもしれない。
でも、逆にそれが私にとって、よりいっそう惨めな気持ちを芽生えさせた。
そして私は、半ば反射的にある言葉を口にしてしまっていた。
「辞めます……」
そう言って電話をきった時、私が人生をささげて築き上げてきたもの全てを失ったような気がしたのだった。
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