第23話 反感の龍虎

 淑恵シュフェンがのんびりと構えている間も、志偉ヂーウェイ永安ヨンアンの応酬は悪化していく。

 先に感情が抑えきれなくなったのは、永安だった。

 龍化した彼の体が、応接間の天井を埋め尽くす。


「おやおや、血気盛んだねぇ」


「のんきにしている場合じゃありませんよ⁉」


宇翔ユーシャン様とお嬢様はこちらへ」


 淑恵と宇翔を部屋の隅に案内した子晴ズーチンは、テーブルをひっくり返して防壁にする。

 ハラハラする淑恵とは対照的に、宇翔はいつも通りだ。

 宙を舞った包子を器用にキャッチして、ちゃっかり食べている。


「淑恵の包子は最高だ」


「宇翔様……」


 どんな神経をしているのだと淑恵がゲンナリした時、獣の咆哮ほうこうが聞こえた。

 慌てて卓の後ろから様子をうかがうと、獣化した志偉の姿が目に入ってくる。


「わっ、モフモフ!」


「淑恵はモフモフが好きなのかい?」


「ええ、大好きです」


 嫌いな人なんているのだろうか。

 目をキラキラさせて、淑恵は志偉を見つめる。


「俺のほうが先に淑恵を好きになったのに!」


「こういうものに順番は関係ないでしょう。僕だって淑恵が好きです」


 恥じらいもなく思いを口にする二人に、淑恵は顔を真っ赤にしてうつむいた。


(好きって、言ったわ)


 不意打ちだったがほしかった言葉をもらえて、淑恵は嬉しくてたまらない。

 視線を感じてニヤけたまま振り返ると、上機嫌な宇翔と目が合った。


「良かったねぇ。志偉は淑恵が好きだってさ」


「どうせ言うなら、お嬢様の顔を見て言ってほしかったです。どさくさに紛れて告白とか、情緒に欠けます」


「~~~~!」


「はは。淑恵、顔が真っ赤だよ」


 赤くなった頬をつんつんされて、淑恵は恥ずかしさのあまり顔をぷいっと背けた。

 しかし、壁がきしむ大きな音を聞いて、すぐに前を向く。

 志偉と永安は壁を突き破り、外へ躍り出た。


「なにをしているの! ここが離宮だってこと、忘れちゃった⁉」


「お嬢様、お待ちを!」


「でも……」


「今行っても、怪我をするだけです」


 志偉と永安を追いかけようとする淑恵を子晴が引き留める。

 壊れた壁の向こうでは、志偉と永安がにらみ合っていた。


(永安。志偉様を傷つけたら、許さないんだから)


 壁を壊した志偉には腹が立つが、それ以上に彼が怪我をすることが嫌だ。

 警戒の視線を永安へ向けながら、淑恵は携帯していた短銃を構える。


「いざとなったら、これで……」


 飛距離が足りないが、気を引くことはできるはずだ。


 空には、永安。

 地には、志偉。


 分が悪いと踏んだのか、志偉は崖をひょいひょいと登って永安との距離を詰める。

 人の姿の時とも違うしなやかな動きに、淑恵は目を奪われた。

 躍動感あふれるその姿に、陶酔のため息が漏れる。


 永安の仕業なのか、志偉の周りは強風が吹き荒れていた。

 竜巻に巻き上げられた壁の残骸が、淑恵たちに向かって飛んでくる。

 子晴は自慢の脚でそれらをいなしながら、「離宮にも大砲を用意すべきだと思います」と物騒なことを言っていた。


「さぁて。包子も食べ終えたし、そろそろ帰り支度をしようか」


「まったりしすぎです、宇翔様」


「すまないね。こう見えておじいちゃんみたいな年齢だからさ」


「もう! それよりも、この状況をどう治めるつもりですか?」


「簡単さ。淑恵がやめろって言えばいい」


「そんな簡単にいくわけ……」


「いやいや、ちょっとやってみなさい」


 まぁまぁとなだめすかされ、淑恵は全壊した壁から崖の上を見上げた。

 不安定な崖に立つ志偉と、宙を泳ぐ永安が対峙たいじしている。

 がれきの山の上に仁王立ちした淑恵は、大声で叫んだ。


「志偉様! 永安様! 今すぐやめないと、嫌いになっちゃいますよ!」


 声が届いたのか、強風がやむ。

 伏せる志偉の姿を見て、淑恵はホッと息を吐いた。


 その時である。

 どこからか岩の破片が飛んできて、淑恵の頬を掠めた。

 頬に痛みを感じて、淑恵は手を伸ばす。

 指先が濡れる感触に、彼女の目が据わった。


「……許すまじ」


 地を這うような声に、その場にいた全員がゾクッとする。


 とはいえ、淑恵が怒るのは当然のことだ。

 乙女の柔肌に傷を付けるなど、言語道断である。

 宇翔も子晴も同じことを思ったのか、短銃を構える淑恵を止めようともしない。

 次の瞬間、秘境に銃声が響き渡った。


 ──パーン!


 一発目は永安に。


 ── パーン!


 二発目は志偉に。


 だが、しょせんは短銃。

 狙ったところで彼らに届かない。


「子晴。ボウガンはあるかしら?」


「お嬢様……子晴は弩の扱いを教えた覚えはありませんよ?」


「大丈夫よ。扱い方は宇翔様の書庫で読んだもの」


「淑恵。熱心に勉強していると思ったら、そんな本まで読んでいたのかい?」


「ええ。乱世ですもの。なにが役に立つか分からないでしょう?」


 言い聞かせるようにギロリと志偉と永安をにらむ淑恵。

 淑恵の目には彼らの表情まで見て取れないが、身じろぎしたのは見えた。


 のちに彼らは言う。

 あの時の淑恵は女夜叉のような顔だった、と。


 淑恵の怒りに触れて、ようやく事態の深刻さに気がついたのだろう。

 戻ってこようとしている二人を拒絶するように、淑恵は彼らに背を向けた。


「来ないで!」


 淑恵の言葉に、志偉と永安の足が止まる。

 彼女は振り返らないまま、告げた。


「私、実家に帰らせて頂きます!」


 ギョッとする志偉と永安に構わず、淑恵は宇翔のもとに歩み寄る。


「しばらく宮城で過ごします」


「構わないよ。でも、いいのかい? 宮城に来たら、侍女たちが世話を焼くよ」


「構いません。今は、お二人と顔を合わせたくないので」


「おやおや」


「好きと言いながら私の安全確保もせず、男同士で勝手に盛り上がって戦って。本当に好きなら、不毛な争いなんかしていないで私を口説いたらいいんです!」


 怒りで理性が緩んでいるのか、とんでもないことを口走っている自覚がないらしい。

 淑恵を口説く許可をもらったも同然の志偉と永安は、にわかに浮き足だった。しかし。


「その通りだ。そういうわけだから、二人はしばらく淑恵の前に顔を出さないように」


「ぐっ……。畏まりました」


「分かり、ました」


 宇翔様の鶴の一声に、永安と志偉は項垂れた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る