第22話 公主の期待

 志偉から受け取った花を花瓶へ生けたあと、淑恵シュフェン厨房ちゅうぼうへ向かった。

 綺麗に整えられた調理台の上に材料を並べ、てきぱきと作業を始める。


 作っているのは、包子パオズだ。

 黒練り胡麻を使った、濃厚なあんを入れる予定。

 今日は若い男性が二人もいるから、肉や野菜を使った餡も用意したほうがいいかもしれない。


「どうしよう」


 小麦粉に砂糖とぬるま湯を入れてこねながら、淑恵はつぶやいた。

 応接間では、宇翔ユーシャン志偉ヂーウェイ永安ヨンアンがお茶を飲んでいる頃だろう。

 志偉と永安がにらみ合っている光景が容易に想像できて、淑恵はため息を吐く。


「ひと波乱終わるか、ふた波乱終わるか。とにかく、ある程度の時間を稼いでから行ったほうが良さそう」


 子晴ズーチンには悪いが、巻き込まれたくない。


 時間をかけて包子を作り、蒸かしたてのそれと花瓶を持って応接間へ向かう。

 お茶のおかわりを用意していた子晴が、淑恵を見て拗ねたようにささやいた。


「遅いですよ、お嬢様」


「ごめんなさい。包子を作っていたものだから」


「ははーん。そういうことですか」


「宇翔様が来るのは久しぶりなのよ? お疲れのお父様に甘いものを食べさせてあげようと思う、娘のまごころ。分かってちょうだい」


「仕方ないですねぇ。そういうことにしておいてあげます」


 言いながら、子晴はちょいちょいと手を招いた。

 物言いたげな視線を向けてくる子晴に、賄賂として包子を一つ渡す。

 子晴がいそいそと包子をしまい込んでいるのを見ていると、今度は宇翔が声を掛けてきた。


「おや。遅かったね、淑恵。わざわざ包子を作ってくれたのかい?」


「はい。宇翔様がお好きな胡麻餡入りの包子を作りました。お口に合えばいいのですけれど」


「淑恵が作る包子はわれの好物だ。口に合わないわけがない」


 淑恵はちらりと室内を見回した。

 拍子抜けするくらい普通の応接間に、淑恵は内心ホッと胸を撫で下ろす。

 幸いなことに、淑恵を取り合って志偉と永安が戦う――なんて展開にはならなかったようだ。


(どうやら杞憂きゆうだったみたいね)


 宇翔は二人が喧々囂々けんけんごうごうする様を見たがったはずだ。

 けれど、志偉と永安の間には喧嘩けんかのけの字ほどの気配もない。

 三人は普通に椅子に腰掛けて、普通にお茶をしながら、男同士の会話っぽく外界の情勢について話し合っている。


(絵巻物で見た龍と虎のように、険しい顔でにらみ合っているところを想像していたけれど……)


 男性たちの付き合いは、淑恵が思う以上にさっぱりしたもののようだ。


(期待していたのは宇翔様ではなくて、私だったのかも)


 淑恵は花瓶を子晴に任せ、三人が待つテーブルへ歩み寄った。

 待っていましたとばかりに、宇翔がニコニコと微笑む。


(さぁ、淑恵。ちょっと演技でもして二人に発破をかけておくれ)


(何を仰います、宇翔様。そんなこと、するわけがないでしょう。余計なことを言うなら、お皿を下げてしまいますよ?)


 言葉を飲み込んで、視線で会話する。

 宇翔はやれやれと肩をすくめた。


「ところで、志偉。ここでの生活にはもう慣れたかい?」


「はい。今日は庭でアジサイを楽しませていただきました。ここの庭は、どこもかしこも見事ですね」


「冬に咲くアジサイは八仙花バーチエンファの由来となっている花だ。存分に楽しんでくれ」


 宇翔と志偉の会話を聞きながら、淑恵は宇翔の隣の席へ腰掛けた。

 永安から一番遠い席を選んだだけだったのだが、志偉は寂しそうに淑恵へ目を向ける。


(うっ、これは……)


 僕の膝に乗ってくれないの?と声が聞こえてきそうな視線。

 みんなが見ているのに、淑恵の胸はきゅんと高鳴る。


(そんな、甘えるような熱視線を向けないで……!)


 宇翔から向けられる、生温かい視線がつらい。

 放っておいて、と思春期の娘のような言葉が出掛かって、淑恵はごまかすように茶杯に手を伸ばした。


「志偉は淑恵と随分仲良くなったみたいだね。頭や頰を撫でると動揺してあわあわするのがかわいらしかったのだけれど、しなくなってしまった」


「宇翔様、残念そうに言わないでください」


「残念なのだから、仕方がないだろう。娘が大人になってしまったようで、父は寂しい」


 そう言うと、宇翔は淑恵を抱き寄せてうりうりと頬を擦りつけた。

 龍族の王がすることとは思えない幼い所業だが、不思議と嫌悪感はない。

 されるがままにおとなしくしている淑恵に、志偉は物言いたげな視線を投げる。


「なんだ。義理とはいえ、親子の触れ合いにも嫉妬しているのか? 男のくせにみみっちいな。婚約者なんだから、それくらい流せよ」


「……」


 永安の心ない言葉に、淑恵はムッとした。


(以前はこんなことを言う方ではなかったのに)


 もう少し空気を読める男だったはずだ。

 少なくとも、志偉に「男のくせにみみっちい」と言うような男ではなかった。


 にらみ合う志偉と永安の間に火花が散るのが見えるようだ。

 志偉が怒るのは当然だと、淑恵は彼を見守ることにした。



「そういうあなたは、淑恵の部屋に忍び込んだことがあるそうですね。女性の部屋に忍び込むなんて、紳士として恥ずかしくないのですか?」


「仕方ねぇだろうが。気付いたら窓ぶち破って入っていたんだから」


「仕方ない? 淑恵が感じるであろう恐怖を考えたら、とてもじゃないがそんなことはできませんよ」


「龍はそういうもんなんだよ。好奇心旺盛なんだ。コレって思ったら一直線。いちずなんだ」


「龍? イノシシの間違いでは?」


 淑恵は心の中で「あーあ」とつぶやいた。

 すぐ隣から、ワクワクしている気配を感じる。

 ちらっと視線を向けると、宇翔が気持ちの良い笑顔を浮かべて包子を頬張っていた。

 おいしい点心おやつに、楽しい芝居。なんて充実した時間なんだ――と言わんばかり。


(少し前まで、宇翔様の幸せが私の幸せだったんだけどなぁ)


 今、淑恵の心を占めているのは宇翔でないことは確かだ。

 志偉と永安の言い合いを聞きながら、淑恵は物思いにふけるのだった。

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