第21話 龍族の永安
「おかえりなさいませ、
まるで出陣するかのような面持ちで出迎えに出てきた
(笑いの沸点が低いのは相変わらずね)
宇翔に会うのは、
こんなにも長く、離宮へ顔を出さなかったのは珍しい。
(それほど忙しいってことよね。外の情勢は、どうなっているのかしら)
宇翔の顔に疲れは見えなかった。
隠すのがうまい人だから、そもそも垣間見えることは少ない。
宇翔の後ろで壁のように立っているのは、
淑恵に対する数々の失言、失態を恥じることもなく、堂々としている。
(厚顔無恥という言葉は、永安のためにあるようなものね)
とはいえ、会わない間にずいぶんと雰囲気が変わったようだ。
暑苦しい筋肉野郎でしかなかった姿は落ち着き、理知的な筋肉野郎に進化している。
(会うなり腹を触れって言ってこないし、前をはだけて筋肉を見せつけてもこない)
ごく当たり前のことではあるけれど、以前の彼と比較してみると別人のようだ。
次期族長のうわさも、あながち嘘ではないのかもと思ってしまう。
(もともと
志偉に宇翔に永安。
三人ともそれぞれ違った魅力を持つ、美しい男性だ。
「ただいま、淑恵。今日は、お客さんを連れてきたよ」
「お客さん、ですか」
「可愛いのだから、そんな顔をするものではないよ」
永安に対し
いつもならばそれだけで溶けそうな顔をしていた淑恵だが、志偉に甘やかされた今、この程度では満足できない。
胡乱な目をしたままの淑恵を、宇翔はきょとんと見つめた。
「おや?」
淑恵の変化を感じ取ったのだろう。
宇翔は細い眉をヒョイと上げて、何か面白いものを見つけたように目を輝かせた。
興味深そうに淑恵を見下ろす。
「淑恵」
「な、なんですか?」
「随分と……甘やかされたみたいだねぇ」
誰にとは言わないが、その目は如実に語っている。
志偉に甘やかされたんだね?と。
淑恵の変化を面白がるように、頬や耳を撫でていく宇翔。
「おやおや。これも平気か」
「やめてください。こんな、まるで試すみたいに……」
「すまぬ、淑恵。しかし、彼も男だったのだな」
そう言って、宇翔は遠くへ視線を投げた。
志偉の成長に思いを
宇翔の考えることはちっとも分からないが、これだけは言える。
「宇翔様。私たち、そういうことはまだしていませんからね?」
「ふふ。分かっているよ、淑恵。婚前交渉なんて今時気にしないけれど、できれば結婚後にするよう我がしっかり釘を刺しておくからね」
「そういうことは、私がいないところでやってください!」
淑恵がぷんすか怒ると、宇翔はまたしても腹を抱えて笑い出した。
視線を感じて宇翔の背後へ顔を向けると、永安と目が合う。
彼の目は、ギラギラと妖しげに光っていた。
(分かりたくないけど、分かっちゃった。永安は今、私にとって不本意な妄想を脳内でしてる!)
(助けて、志偉様――!)
心の中で悲鳴を上げながら、しかし淑恵は笑顔を張り付けたままだ。
察しの悪い永安は、フフンとかっこつけた笑みを向けてくる。
「宇翔様、
「あぁ、そうだね。子晴の淹れてくれるお茶は美味しいから、楽しみだ」
案内を口実に、視界から永安を追い出す。
玄関ホールから応接間へ案内しようと移動し始めた、その時だった。
扉がギィと音を立てて開かれる。
外から入ってきた人物は、淑恵を見るなり
「ただいま、淑恵」
「おかえりなさいませ、志偉様。雪が降ってきたようですが、大丈夫でしたか?」
「大降りになる前に戻ってきたから……って、あれ? お客様?」
嬉しそうな声が、凍りついたように低くなる。
警戒をあらわにする志偉に、淑恵はちょっとだけ
(だって、ただいまって言うまで私しか見えてなかったみたいだったから)
特別感が、どうしようもなく嬉しい。
永安の存在も忘れてふわふわと表情を和らげる淑恵に、宇翔はくふりと笑った。
「宇翔様、お久しぶりです」
「おかえり、志偉。久しぶりだね」
客人の一人が宇翔だと分かると、志偉は少しだけ警戒を緩めた。
完全に緩まないのは、永安がいるせいだろう。
永安の雰囲気はほんの少しだけ――特に武力で解決しようとするところが
「二人はまだ会ったことがなかったな」
宇翔は言いながら、数歩移動した。
すると、志偉と永安の間に淑恵が立つことになる。
(紹介すると見せかけて、二人をけしかけるおつもりね?)
自分を取り合う男たちを見て、淑恵がどんな反応をするのか見たいのだろう。
宇翔は人格者だが、時に破天荒なことをしでかす。
長く生きているせいか、娯楽に飢えているのだ。
ここ数年は、淑恵をからかうことで満たされていた。
淑恵が簡単に動揺しなくなったから、次の段階へ移行したに違いない。
「志偉、こちらは永安。今は、我の補佐をしてくれている」
「永安です。よろしく」
「志偉です。どうぞよろしく」
「永安。知っていると思うが、志偉は宸睿の弟だ。そして、淑恵の婚約者でもある」
「ええ、宇翔様。もちろん知っています。俺たちの可愛い龍公主の伴侶になる方ですからね」
志偉と永安はガッチリと握手を交わした。
恋物語で語られるような、水面下の応酬はない。
期待していた宇翔がつまらなそうに息を吐くのを見て、淑恵はやれやれと胡乱な目で彼を見上げた。
「……はぁ」
「宇翔様。物語は物語だから面白いのですよ」
「分かっているけど、期待せずにはいられないんだ」
淑恵は宇翔を窘めたが、実のところ彼女だって期待していた。
志偉が永安に対抗してくれるのではないかと、思ってしまったのだ。
(永安はともかく、志偉様は義務で婚約者に徹しているだけかもしれないのよ。こんな期待をするのは、間違っている)
しょんぼりと肩を落とす淑恵を横目に、宇翔は志偉へ声を掛けた。
「志偉。私たちはこれから応接間でお茶をするのだが、君もどうだい?」
「ぜひ、ご一緒させてください」
和やかな笑みのその奥に、嫉妬の炎が見え隠れしていたことを淑恵は知らない。
おそらく、察したのは永安だけだろう。
向けられた視線の暗さに、永安は身震いした。
「淑恵。すみませんが、花を飾りたいので花瓶を用意してもらえませんか? せっかくですから、花を見ながらお茶にしましょう」
そう言って、志偉は見事なアジサイを差し出した。
南海の砂浜みたいに真っ白で、離宮の中でも奥まったところにしか咲いていない珍しい品種。
宇翔が特に気に入っている品種でもある。
「でも……」
「大丈夫です。宇翔様たちは僕が案内しますので」
「心配しないで、淑恵。年は食っているけれど、離宮で迷子になるほど
(宇翔様、その軽口どうにかしてください!)
恐る恐る志偉を見ると、彼の顔は無だった。
宸睿に虐げられていた時だって、もう少し感情があったと思う。
「そうですか。では、お二人の案内は志偉様にお願いしますね。私は花瓶を探しに行ってきますので。では!」
脱兎の如く逃げ出す淑恵を、見つめる三人の男。
彼らの姿がすっかり見えなくなると、淑恵は心の中で叫んだ。
(
諸悪の根源は、宇翔に違いない。
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