第20話 不速の客人

子晴ズーチン志偉ヂーウェイ様を見なかった?」


「いいえ、お見かけしておりませんが……」


 淑恵シュフェンの問いかけに、子晴はニマッと笑んだ。

 何を言いたいのか言わずとも分かって、淑恵は頬を赤らめる。


 志偉と品希ピンシーが加わり、新しい生活が日常となりつつある今日この頃。

 淑恵と志偉の距離は、日を追うごとに縮まっている。


 思い返すと、新しい生活が始まってから今に至るまでの出来事ほぼ全てに志偉がいる。

 朝食の時間から夕食の時間まで、ほとんど一緒。

 お茶の時間に至っては、彼の膝に座らされて手ずから点心おやつを食べさせてもらっている。


「あれだけベタベタしているのに、一人になった途端に探すなんて……。お嬢様と志偉様はよほど相性がよろしいのですね」


「でも私たち、政略的な婚約じゃない。もしかしたら、志偉様の努力や我慢で成り立っているかもしれないって、たまに思うの」


「どんな結婚であれ、歩み寄りは大事です。志偉様ばかりでなく、お嬢様からも何かして差し上げては?」


「そうね。何がいいかしら」


 志偉と触れ合う時間は、あたたかくて穏やかだ。

 寂しさなんて感じる暇もないくらい、甘やかされている。


(願わくは、志偉様が無理をしませんように。彼は優しいから、義務感で我慢をしていそうだもの)


 しょせんは同盟のための婚約だ。

 宇翔ユーシャン曰く、淑恵の気持ちが他にあるなら破棄しても構わない程度の、口約束ほどの効力もない婚約。


 それなのに、志偉があまりにも優しいから淑恵は勘違いしそうになる。

 これは同盟のための婚約ではなく、志偉自身が望んだ婚約なのではないかと。


(つまるところ、言葉がほしいのよね)


 行動では、十分に示されている。

 それ以上を求めるのは、志偉の負担になるだろうか。


「志偉様を迎えに行って差し上げるのはいかがでしょう? 雪がちらついてきましたし、心細く思っているかもしれません」


「いいわね! でも、どこにいるのかしら」


「もしかしたら、お庭ではないでしょうか?」


「ああ、アジサイのところね」


 離宮の庭には、冬に咲く珍しいアジサイがある。

 志偉はその花を気に入っているらしく、つぼみの頃から足繁く通っていた。


「最初に見に行ったけれど、すれ違いになっていたのかもしれないし……。もう一度行ってみるわ」


「ええ。ですが、お早めにお戻りください。この様子ですと、大雪になるかもしれませんから」


「分かったわ」


 子晴に言われ、淑恵は空を見上げる。

 彼女の言うとおり、曇天の空には雪が舞っていた――のだが。


「げっ」


 空を泳ぐ白龍姿の宇翔と黒龍姿の永安ヨンアンを見つけて、淑恵は公主らしからぬ声を漏らした。

 淑恵の目に、黒龍は害獣としか映らない。

 目を凝らしても見える黒龍の姿に、淑恵は顔をしかめた。


「子晴」


「はい、お嬢様」


 窓の外を見つめて鬼気迫る声を上げる淑恵に、子晴は冷静に返した。

 子晴の長い耳が、鬱陶しい虫を追い払うようにぴょこぴょこと揺れる。


「あれは、幻覚かしら?」


「いいえ、お嬢様。お嬢様の目は正常でございます」


 空を泳いできた白龍と黒龍が、離宮の庭に向かって降下してくる。

 ポンと音を立てて煙に巻かれた龍たちが地面に着地すると、毛月色深い青紫色の服を着た宇翔と、明黄色明るい黄色の服を着た永安がそこにいた。


「朝から胸騒ぎがしていたのは、このせいだったのね」


 防衛本能か、淑恵の手が拳銃嚢ホルスターに伸びる。

 その手を、子晴が止めた。


「お嬢様、龍族は短銃程度で殺せません。せめて、大砲くらい使いませんと」


「そうよねぇ」


「弾の無駄になります」


 淑恵は気を鎮めるように深く息を吐いて、手を握った。


「やぁ、淑恵。志偉様と仲良くやっているかい?」


 窓の向こうで、宇翔が手を振っている。

 朗らかな彼の笑顔は、相変わらずだ。

 淑恵は永安を視界に入れないように宇翔だけを見つめて手を振り返した。


(宇翔様の後ろで手を振っている暑苦しい男なんて、見えていない。幻覚に決まっているわ。幻覚だと思い……たい)


 苦々しい顔で子晴は言った。


「とうとういらっしゃいましたね」


「永遠に来てほしくなかった」


「私もです。どのようなご用件でいらっしゃったのでしょうね?」


「さぁ……考えたくもないわ」


 少なくとも、和やかな場にはならないだろう。

 永安と対面した志偉が嫉妬をあらわにするところを想像して、淑恵は胸を高鳴らせた。


「嫉妬する志偉様を見たいって思うのは、ちょっと意地悪かしら?」


「それだけ、志偉様にご興味があるということでしょう」


「いいこと?」


「良い傾向だと思いますよ」


「そっか。いいこと、なのね」


 子どものように安心した顔をする淑恵に、子晴はくつくつと笑った。

 少し乱れていた淑恵の髪を直し、子晴は一歩下がる。


「お嬢様。私はお茶の用意をしてきますので、お出迎えをお願いできますか?」


「気は乗らないけど……。宇翔様のお出迎えは私がしないとね」


「はい。では、お願いいたします」


 足早に去っていく淑恵を見送り、淑恵は庭を見渡す。

 志偉がいるであろうアジサイが咲いている場所は、ここから見ることはできない。


「志偉様のお迎えに行きたかったなぁ」


 後ろ髪引かれる思いで、淑恵は屋敷へ戻る。


「永安の前で隙を見せたら何をされるか分からないわ。気を引き締めて、出迎えないと!」


 キリリと笑顔を張り付けて、淑恵は駆け出した。

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