第18話 深夜の喧騒
誰もが寝静まる深夜。
離宮に、不穏な音が響き渡る。
馴染みのある破壊音に、淑恵は寝台に隠している短銃へ手を伸ばした。
「度胸試しは
いつでも発射できるように準備を整えてから、静かに廊下の様子を
暗い廊下を駆けていったのは、寝間着姿の
淑恵は短銃を構え直し、彼らのあとを追った。
騒ぎが起きていたのは、志偉の部屋だった。
先に飛び込んでいった子晴と品希に続けとばかり、淑恵も部屋に駆け込む。
「志偉様!」
目に入ってきたのは、窓を破って侵入してきたらしい赤い龍の姿だった。
指に填まる指輪のように、丸い窓にすっぽりと胴が填まっている。
見覚えのある光景に、緊張の解けた淑恵は脱力した。
「あー……。夜這い、かな?」
「でしょうね。お嬢様の時と同じすぎて既視感を覚えます」
龍というのは愛情表現に夜這いが組み込まれていたりするのだろうか。
淑恵が虚構の私室をつくるきっかけとなったのが、まさにその夜這い事件だ。
「お嬢様。この方のご両親に修繕費を請求してもいいですか?」
「そ、それだけは勘弁してください~~!」
容赦ない子晴の言葉に、赤い龍は泣きながら訴えた。
そうしている間も、この部屋には不穏な空気が流れ続けている。
(見ないふりをしていたけれど、無理よね)
淑恵は目だけを動かして、寝台の上を見た。
大きな虎が、戦闘態勢でグルグルうなっている。
(誰がどう見ても、反撃しようとしているわよね)
耳や尻尾の特徴から察するに、獣化した志偉だろう。
尻尾が怒っている時の猫みたいに膨らんでいる。
「志偉様、落ち着いてください! 志偉様!」
品希の呼びかけにも一切反応しない。
志偉は想像以上に興奮しているようだ。
「グルルルル」
殺気を向けられた赤い龍は、まさか思い人にそんな目で睨みつけられるとは思ってもみなかったようで、泣いて怯えながら助けを乞うている。
(さすが、虎。威圧感がすさまじいわ)
本気で怒った時の
最近向けられるようになった甘い視線からは想像もつかない、獲物を狙うギラギラした目。
(あの目で見られたら、心臓が止まってしまいそう)
「お嬢様、お嬢様」
「子晴? こんな時に何?」
「こんな時こそ、お嬢様の出番ですよ」
「どういうこと?」
「ほら、立てこもった悪い人にお母さんを連れてきて説得する話があるじゃないですか。あんなふうにお嬢様が呼びかけたら、自我を取り戻すかもしれませんよ」
「私、お母さんじゃないわ」
「恋人の真似事をするようになった婚約者、ですよね」
まさか子晴に知られているとは思わず、場違いにも顔を赤くする淑恵。
志偉を
「なんでもいいですから、志偉様を落ち着かせてください!」
「そんなこと言われたって……」
その時ふと、淑恵は持っていた短銃に視線を向けた。
「ふむ」
「お嬢様、何を考えているのですか?」
「短銃を撃ってみようかなと思って。結構音がするし、びっくりしたら我に返るかもしれないでしょう?」
「駄目元でいいのでやってください。ボクの声では届かないようなので。このままじゃ、志偉様が龍の一族を傷つけてしまいます」
品希は焦っているようだ。
確かに、今の状況は良くない。
夜這いしてきた赤い龍が全面的に悪いけれど、反撃行動に出たら志偉も責任を負うことになる。
龍は身内と認めた者にとことん甘くなる一族だ。
つまり、最悪の場合は戦争に行き着く可能性もある。
(相手は獣。心で負けたら、声は届かない)
宇翔の教えを胸に、淑恵は一歩前へ出た。
「志偉様、止まって。龍を襲っちゃ駄目よ」
「グルルゥ」
短銃を構え、静かに志偉へ照準を合わせる。
煮えたぎるような視線を受けて、淑恵の背中にじっとりと汗が浮かんだ。
志偉の視線は、短銃ではなく淑恵に向けられている。
睨み合うこと、しばし。
長いような短いような時間のあと、スッと志偉の目から戦意が消え失せる。
「……ふぅ」
「お嬢様、やりましたね!」
「淑恵様、ありがとうございます」
しょぼんと目尻を下げた志偉が、のしのしと寝台を下りてきた。
淑恵のそばに腰を下ろすと、謝るように彼女の手へ頭を押し当ててくる。
「素敵な毛並みね」
のんきに感想を漏らす淑恵に、子晴と品希が苦笑する。
喉を鳴らして目を細める志偉を、淑恵は調子に乗って撫で続けた。
「淑恵様は肝が据わっていますよね」
「そう?」
「ボクは、興奮している志偉様を短銃一丁で止められる気がしません」
「狙いが自分になりかねませんよ。お嬢様への愛がなければ、食い殺されていたかも」
ホッとしている品希に、手を組んで「愛だわ~」と夢中になる子晴。
そして、同意するようにグルグル喉を鳴らす志偉。
淑恵が見つめると、志偉は照れたように頭を下げた。
人の姿になった志偉が身支度を整えている間、子晴と品希によって赤い龍は救出された。
赤い龍は泣きながら志偉に謝罪を繰り返し、その後は子晴を背中に乗せて、宇翔のいる宮城へ事情を説明しにいったのだった。
その翌日からだ。
宇翔から事のあらましを聞いた龍たちが《志偉様と淑恵様の中を進展させ隊》という謎の部隊を結成し、志偉にあれやこれやと吹き込むようになったのは。
おかげで淑恵が赤面しない日はない。
公主としてふさわしい態度を貫こうとする淑恵が素直に恥ずかしいと言えないのをいいことに、志偉は腰を抱いたり肩を寄せたりと練習に余念がない。
「淑恵。今日は抱っこさせて?」
「だ、だっこぉ⁉」
「そう。僕の膝に淑恵を乗せて、ぎゅってする」
腕を広げている志偉は、淑恵が拒否すると
ニコニコと笑みを浮かべている。
(この可愛さに、つい誤魔化されてしまうのよね……)
かっこいいところがあって、可愛いところもあって、誰の手にも負えない
(言葉に出されなくても伝わってくる。私が特別だって)
自分のものより少しだけ早い鼓動を感じながら、今日も淑恵は頬を赤く染めるのだった。
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