第7話 月夜の独白

「龍族が同盟強化のために縁談の打診をしてきた。相手は、宇翔ユーシャンの娘。噂では美人らしいが、まだらものをつくるのはな……。おまえなら問題ないだろうし、たらし込んで結婚までこぎ着けろ。俺様の願いを叶えたら、雅玲ヤーリンの場所を教えてやってもいい」


 ようやく得た機会を、志偉ヂーウェイが逃すはずもなかった。

 数々の暴言暴力に耐えてきたのは、すべてこのため。


(だから、僕は宸睿チェンルイの提案に飛びついた。淑恵シュフェンを見た瞬間、後悔するとも知らず)


 淑恵を見た瞬間、志偉は雅玲のことをすっかり忘れていた。

 枯渇していた感情が息を吹き返す。

 ほんの少し前まで、雨が降る庭を見て雅玲との思い出に浸っていたというのに。


(自分の変化についていけなくて、初対面は散々な結果になってしまった。それなのに、淑恵は一緒に暮らしたいと望んでくれた)


 なんて素敵な女性だろう。

 こんな女性が自分の妻になってくれるなんて、まるで夢を見ているようだ。


(それなのに、僕は……)


 数刻前。

 志偉は宸睿によって宮城へ呼び出された。


 宸睿は寝椅子カウチにだらしなく四肢を投げ出し、酒を煽っている。

 据わった目で志偉をにらみつけながら、彼は言った。


「おい。分かってんだろうなぁ?」


 金を縫い込んだような服が、あかりに照らされてギラギラ光っていた。

 乱反射するそれが、目に痛い。


 威嚇しながらの乱暴な物言いに、幼い志偉はいつも震えていた。

 しかし、今はそれすらもない。

 ただ無表情に、抑揚のない声で「はい」と繰り返す。


「おまえの役目は、龍公主をたらし込んで確実に結婚すること。おまえ、顔だけはいいからな。楽勝だよな?」


「はい」


「ついでに龍族の弱みも握ってこい」


「……え?」


 聞いていたのは、龍公主と結婚することだけ。

 焦った表情を浮かべる志偉に、宸睿は鼻に皺を寄せた。


「まさか、結婚するだけだと思ってたわけじゃねぇよな。これは政略結婚だぜ? うまみがなけりゃ、する必要なんざねぇ」


「同盟強化のためじゃ……」


「んな必要、どこにある? 俺様は強い。俺様ならファの統一だって夢じゃねぇ」


「……」


「うまくいったら、雅玲の場所を教えてやる」


「それ、は」


「失敗すんじゃねぇぞ」


 もののついでとばかりに飛んでくる拳。

 志偉は避けることなく、甘んじてそれを受け入れた。


(宸睿の機嫌を損ねれば、母上の場所を教えてもらないかもしれない)


 志偉の願いは、母――雅玲を弔うこと。

 そのためなら、なんでもするつもりだった。


(淑恵に出会うまでは)


 幼い志偉にとって、雅玲は憧れだった。


 獣人の多くは、つがいと呼ばれる伴侶が存在している。

 そばにいるだけで満たされる、運命の相手。


 しかし、数少ないとはいえ、つがいを必要としない種族がいる。

 その一つが、虎族だ。


 虎族でありながら、ただ一人を愛し続けるのは異質でしかない。

 開放的な虎族の後宮で、王にしか心を開かない鉄壁の女。

 それが、雅玲だった。


 王のことを話す時の雅玲は、夢見がちな少女のようにふわふわとしていて、愛らしい。

 彼女は志偉のこともそれなりに愛してはくれたけれど、子どもながらに、父には勝てないと思ったものである。


 志偉が雅玲をおかしいと思うことは一度もなかった。

 だって、彼女はいつだってキラキラと輝いていたから。


 雅玲のように、いちずに誰かを愛したい。

 幸せそうな母をそばで見ていた志偉がそう願うようになるのは、自然なことだったのかもしれない。

 たとえそれが、虎族らしからぬ思いだったとしても。


 雅玲が亡くなったのは、五年ほど前のこと。

 虎族の掟に従い、宸睿は王になるために父王と戦った。


 虎族の王は、力で決まる。

 強さこそ正義。王の座は、奪い取るものだからだ。


 王となった宸睿は父王を追放。

 その時、後宮に残っていたのは雅玲だけだったという。


『行くところがなければ、このまま後宮へ残ってもいいぞ』


『わたくしは、生涯あの方だけと決めておりますので』


『そうかよ』


 宸睿の申し出を、雅玲はにべもなく断った。


 後宮を出た雅玲は、交流のあった宇翔のもとへ身を寄せるつもりだったようだ。

 しかしその道中、不慮の事故によって――。


 新王となった宸睿の命令により、雅玲の遺体は火葬されることなく打ち捨てられた。


「どうしてですか⁉」


「まだらものだからだ」


「まだらもの……?」


 宸睿から聞かされるまで志偉は知らなかったが、雅玲は《まだらもの》と呼ばれる存在だったらしい。


 まだらものとは、異種族間で生まれる子のこと。

 その多くは、生きられない運命にある。


「雅玲は、雪狐族と虎族の間に生まれたまだらものだ。成長したまだらものは、男ならば女を、女ならば男をたぶらかす。その色香は死してなお消えることはなく、大昔には遺体を取り合って戦が起こったとも言われている」


「母さんが、そんな存在だったと?」


「俺は王だ。民同士が争う可能性があるなら、その可能性を摘み取らないとならねぇ」


「それならなおのこと、火葬にすべきなんじゃないですか⁉」


 しかし、志偉の言葉は聞き届けられることなく。

 王に逆らったという理由で離宮へ追いやられた。





「おっと。これ以上怪我させたらお嬢さんにバレそうだな。宇翔にチクられるのは面倒だし、今日はこれくらいにしておいてやる。明日からしっかりやれよ? 志偉」


 好き勝手殴った挙げ句、宸睿は志偉を屋敷から追い出した。

 人化した姿では歩くのもつらく、獣の姿で離宮へ戻る。


 森の中で体を引き摺りながら、志偉は思った。


(淑恵を大事にしたい。でも、どうやって?)


 一番は、この婚約を白紙にすることだ。

 けれどそれでは、淑恵を手に入れることができない。


「政略結婚だと割り切れたら、良かったのにな……」


 志偉は淑恵に恋をしてしまった。

 理性で割り切ることなど、もうできない。


「何もかも、うまくいかないな」


 志偉の悲しいつぶやきは、夜の森にむなしく響くだけだった。


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