第9話 従者の品希
「見つけましたよ、
湖の畔で
志偉の姿を認めるなり、少年はぴゅんと駆け寄ってくる。
青みがかった灰色の髪に、ちょこんと生えた丸い耳。
大荷物を抱えてちょこまかと走ってくる姿は、ネズミを思わせる。
駆け寄ってきた少年は、頬を膨らませて志偉をにらんだ。
「突然走って行くから何事かと思いましたよ、もう」
「すまない、つい。置いていって悪かったよ、
「いいですけどね」
上がった息を整えながら、少年は頰を膨らませたりため息を吐いたりと忙しい。
幼い顔立ちに似合った、はしばみ色の大きな目が印象的だ。
志偉の隣に立つと小さく見えるが、淑恵と同じくらいだろう。
「志偉様、彼は?」
「彼の名前は、品希。僕の従者です」
「申し訳ございません、ご挨拶もせずに。初めまして、品希と申します。志偉様の従者として精一杯勤めますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いしますね、品希」
淑恵は抱き上げられたまま挨拶するのは失礼だと思ったが、志偉が離してくれなかったのでそのまま声をかけた。
そんな二人の様子を見ながら、品希は「お構いなく」と視線で応える。
「おうわさはかねがね。とてもお美しいお嬢様で、ボクも嬉しいです」
「ボクも?」
「ええ。志偉様は今回の引っ越しをとても楽しみにされていて……。あなたに会いたくて仕方がなかったのでしょうね。準備が整うまでお引き止めするのに苦労いたしました」
先日行われた顔合わせでは同居を楽しみにしていると微塵も感じなかったので、淑恵は思わず志偉の顔を覗き込んだ。
「それほど楽しみにしてくださったのですか?」
「まぁ……」
ふいっと逸らされる視線に、淑恵はクスクス笑う。
体格こそしっかりした男性だが、こういうふとした時のしぐさが子どもっぽくて母性がくすぐられる。
「準備があったので三日待っていただきましたが、それさえなければすぐに旅立っていたと思いますよ」
「品希、それくらいで勘弁してくれ」
「はいはい。志偉様はかっこつけたいお年頃ですもんね」
志偉と品希は、気安い仲のようだ。
寂れた離宮で孤独な生活を強いられていると思ったが、どうやら気を許す相手はいたらしい。
(安心したけれど……。ちょっとだけ、複雑ね)
志偉と淑恵の間にはない、長い時間をかけてつくられた絆。
一朝一夕にはいかないそれに、どうしようもないと分かっていても嫉妬してしまう。
(守ってあげなくちゃって思うあまり、母親のような気持ちになっていたのかしら?)
しかし、淑恵は志偉の婚約者である。
なるべきは妻であって、母ではない。
(あとで
困った時の、子晴頼り。
結婚するならそれもやめていくべきなのだろうが、今すぐには難しい。
「品希は僕の幼馴染みなんだ。連れてくるつもりはなかったが、心配だからとついて来てくれた」
「そうでしたか。品希は主人思いの素晴らしい従者なのですね。でしたら、お部屋は志偉様のすぐ近くに用意させましょう」
「急にすまない、助かる」
「見たところ品希は未成年のようですし、慣れた方が近くにいるほうが安心するでしょう」
「淑恵、見た目に騙されちゃいけないよ。こう見えて、僕よりもずっと年上なんだ」
「あら、そうなのですか?」
淑恵が空き部屋の状態はどうだったかしら?と思い出していると、志偉がささやいてくる。
伝えられた事実に、思わずまじまじと見てしまった。
「そこ、聞こえていますよ。仲睦まじいのは結構ですが、内緒話は聞こえないようにやりなさい」
諭すような物言いに、二人で顔を合わせて苦笑し合う。
「怒られちゃった」と笑う二人に、品希はやれやれと肩を竦めた。
「相性バッチリじゃないですか。ヨカッタデスネー」
ぶつくさ文句を言いながら荷物を抱え直す品希は、どことなく哀愁が漂っている。
「品希は恋人もお嫁さんもいないからね。年下の僕が先に婚約したものだから、拗ねているんだ」
「だから、内緒話は」
「はいはい、分かっているよ。それより、このままだと淑恵が風邪を引いてしまいそうだ。早く屋敷へ行こう」
「それもそうですね。では、先に行って湯の用意を頼んで来ます」
一礼した品希は、軽やかに走って行く。
荷物をいくつも抱えているとは思えない、足の速さだ。
あっという間に小さくなった背を見送りながら、志偉は淑恵を抱きかかえたまま歩き出した。
その足取りは、ちっとも危なげなくない。
だが、それはそれ、これはこれである。
「あの……自分で歩けますよ?」
「このままじゃ、嫌?」
「嫌とかでは、ないですけど……」
「じゃあ、このままで」
水に濡れた服の裾が張り付き、淑恵の脚のラインをくっきりと見せている。
「屋敷にいる男性に見られでもしたら大変だ」
「志偉様? 今、何かおっしゃいましたか?」
「いや、何も」
まさか隠すために志偉がそうしているとも知らず、淑恵は恥ずかしそうに顔を伏せるのだった。
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