第4話 兄弟の関係

志偉ヂーウェイ。おまえ、また外を眺めてたのか? 相変わらず恵君フェンジュンが恋しいんだな」


 なんとも言えない微妙な空気が漂う中、沈黙を破ったのは虎の族長である宸睿チェンルイだった。


 初めて見る宸睿に、淑恵シュフェンは肝を抜かれる。

 黒地に金糸と銀糸の刺繍は、それはもう派手で。

 洗練された宇翔ユーシャンとはまるで雰囲気が違っていた。


(同じ族長でも、種族によって雰囲気はだいぶ違うのね)


 聞いてはいたが、まさかここまでとは思わなかった。

 想像以上の派手派手しさに、淑恵は声もでない。


「久しいな、志偉。恵君が亡くなった時以来だから、もう五年になるか」


「ええ……お久しぶりです、宇翔様」


 穏やかな宇翔の問いかけに、志偉はおどおどと答えた。

 その目はチラチラと宸睿に向けられている。


(まるでお伺いを立てるように宸睿様を見ている。自分の態度に自信が持てないのかしら?)


 微かに唇の端を上げ、あるかなしかの微かな笑みを浮かべた志偉は、湖面に張った薄氷のようにはかなげに見える。

 椅子から立ち上がって宇翔へ頭を下げる彼は、淑恵が想像していたよりも背が高かった。

 毛並みの悪い尻尾が、宇翔の声に応えるようにゆらゆらと揺れる。


「すまないな、志偉。うちの娘が何か粗相でもしただろうか?」


「娘……?」


「あぁ、娘だ。淑恵、まだあいさつをしていなかったのかい?」


「申し訳ございません、お父様。今しがた、ここへ到着したばかりでして」


 そう広い屋敷でもなさそうなのに、随分と長い道のりを歩かされた。

 この部屋に入ってから自己紹介をするだけの時間はあったが、来たばかりと言っても過言でないくらいには短い滞在時間である。


「おい、おまえ。またやりやがったな?」


 淑恵の話を聞くなり、宸睿は低くうなった。

 直後、彼の拳が金福ジンフーを吹っ飛ばす。

 丸い体がゴロゴロと床を転がっていった。


「ヒィッ! お許しを」


「チッ」


 頭を庇い、這いずるように廊下を逃げて行く金福に、宸睿は忌々しげに舌打ちした。


「すまねぇなぁ。うちのヤツが悪い癖を出しやがった。お嬢さんがかわいいから、つい遠回りしてでも一緒にいたくなっちまったんだろう。これで勘弁してくれや」


 血のついた手をぷらぷらと振りながら笑う宸睿に、淑恵はあまりぞっとしなかった。


「なるほど。どうやら娘は悪くないようだ。疑って悪かったね、淑恵」


「いえ……私も気づかず申し訳ございません」


「んじゃ、誤解もとけたことだし、自己紹介をしよう。ほら、志偉。おまえからやれ。それくらいならできるだろ?」


 宸睿に腕をつかまれた志偉が、突き飛ばされるようにして前へ押し出される。

 乱暴な振る舞いに、志偉が抵抗を見せることはない。


(もしかして、こんなふうに扱われることが志偉様の日常なの?)


 嫌なら嫌だと怒ればいいのに、志偉は能面のような顔で耐えるばかり。

 族長に歯向かったら死刑だとか、理不尽な法でもあるのだろうか。


「虎族族長の弟、志偉です。よろしく」


 あっけないほど端的な自己紹介に、思わず思考が停止する。

 え、それだけ?と思わず志偉をにらんだ淑恵は、彼の美しい色合いをした目に絡め取られたような錯覚を抱いた。

 どうして良いのか分からず、頰が赤らんでいくのを感じて視線を逃がす。


「淑恵?」


 宇翔に名前を呼ばれてハッとなった淑恵は、慌てて視線を元に戻した。


「はじめまして。私は龍族族長の娘、淑恵でございます。どうぞよろしくお願いいたします」


 志偉はどんな顔で聞いてくれたのだろう。

 こっそりと視線を上げれば再び絡まる視線に、淑恵の肩が跳ねた。


(あぁ、もう。どうしてそんなに熱心に見ているの。なんだかドキドキしちゃって落ち着かない)


 むず痒いような視線を感じて、淑恵はそちらを向いた。

 視線を外す一瞬、志偉の目が悲しげに伏せられたような気がしたのは、気のせいだろうか。


 しかし、そんな杞憂きゆうはすぐに消え去った。

 宇翔が微笑ましいものを見るように生ぬるい視線を向けていたからだ。


「やはりここは、若い者同士にしてやるのが一番だろう。宸睿、庭にちんがあっただろう? そこで二人きりにしてやるのはどうだ?」


「それも良さそうだな。志偉、公主様を案内してやれ」


「……かしこまりました。公主様、こちらへどうぞ」


「あ、はい」


 差し出された手に、手を乗せる。

 ほんの一瞬見えた志偉の手首に、淑恵はギクリと体を強張らせた。


(何、あれ)


 嫌な予感がした。

 傲慢ごうまんすぎる宸睿の態度と、それを淡々とやり過ごす志偉。


(もしかして、志偉様は宸睿に虐待されているの?)


 問いかけるように横顔を見上げれば、拒絶するように逸らされる。

 志偉と淑恵を見送りながら、宸睿はしみじみと言った。


「……やっぱ女はいいよな」


「そうかい? 志偉はいい弟じゃないか」


「かわいげはねぇし、鬱陶しいだけ。さっさと出て行ってほしいのに、いつまでも居座りやがる。こっちはいい迷惑だ。思い切り体を動かしたい時はちょうどいいけどな」


 背後から聞こえてきた宸睿の心ない言葉に、淑恵の疑問は確信に変わった。

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