第3話 虎族の王弟

「さぁさぁ、こちらでございますよ、龍公主様」


 下品な目つきで品定めするような視線を向けてくる狒々爺ひひじじいは、金福ジンフーと名乗った。

 彼は、虎族に仕える召使いだという。


 不躾ぶしつけな視線に、淑恵シュフェンは平静さを装いながら心の中で舌を出した。

 良くない気配を察して隣を歩く子晴ズーチンを見れば、金福を殴りたそうにソワソワしている。


「子晴、我慢よ」


「……」


「子晴」


 ようやく拳を下げた子晴に、淑恵はやれやれと肩をすくめた。


 志偉ヂーウェイとの顔合わせは、瑞香ルウェシャン国の王――宸睿チェンルイたっての希望で志偉が住んでいる離宮で行われることになっている。

 もとは後宮の一部だったという離宮は、宮城と同じ敷地内にあった。

 離宮は奥のほうにあるようで、門をくぐってから、だいぶ歩かされている。


 うっそうとした木々に囲まれた離宮は質素で、とても国王の持ち物とは思えない。

 淑恵に与えられている離宮は規模こそ小さいが、宮城に勝るとも劣らない華やかな建築。

 だからか、淑恵は不思議でならなかった。


「虎族は質素倹約を心がけているのかしら」


「違うと思いますよ。私は以前国王様とお会いしたことがありますが、大変げひ……いえ、派手な装いをされていらっしゃいました。先ほど見た宮城も、目立っていましたでしょう?」


「そうね、とても派手だったわ。はぁ……。志偉様も派手好きだったらどうしましょう。私、落ち着いた雰囲気が好みなのだけれど」


「淑恵様はもう少し着飾ってもいいと思いますよ」


「子晴も宇翔ユーシャン様と同じことを言うのね。私にはこれでも過分なくらいよ。それにしても……ここは迷路みたいね。さっきから何度も曲がって。そろそろ帰り道が分からなくなりそう」


「帰り道はお任せくださいませ」


「さすが、子晴」


「ふふ。ありがとうございます」


 のんきに会話しながらも、子晴の長い耳はピョコピョコと忙しなく動いていた。

 兎族である彼女の耳は、この屋敷の中のあらゆる音を拾い集めている。

 今頃は族長同士の話し合いをしているであろう宇翔と宸睿の会話だって、きっちり聞こえているに違いない。


 やがて、金福は足を止めた。

 彼が止まったのは、質素な扉の前。

 格式があるとはお世辞にも言えない寂れた様子に、淑恵と子晴は顔を見合わせる。


「ここなのですか?」


「こちらにございます」


 信じられない様子で尋ねた子晴に、金福は平然と答えた。


(同盟がうまく機能していないのね)


 淑恵は宇翔が保護した娘だが、対外的には公主ということになっている。

 公主と王弟を引き合わせる場所がこんな寂れた場所だなんて、馬鹿にされているとしか思えない。


(だからこそ、この婚約なのでしょう)


 思い直すように首を振ってから、淑恵は子晴を伴って入室した。


「失礼いたします」


 一礼して顔を上げると、想像以上に質素な室内の様子が目に入ってくる。


 どこもかしこも飾り気がない。

 置いてある家具は高級品のようだけれど、使い込まれてところどころ欠けている。


 窓際に置かれたツボのような形をした陶器の椅子に、一人の青年が座っていた。

 開け放たれた窓からぼんやりと外を眺めている。


(雨が降ってきたのね。雰囲気も相まって、あの方の気持ちを代弁しているように見えるわ)


 まるで淑恵を拒絶しているようだ。

 放っておいてあげたいが、そうもいっていられない。

 淑恵はゆっくりと距離を縮めていく。


(あの方が、志偉様なのかしら)


 金色の髪にところどころ茶色の髪が混じった、金茶色の頭。

 その上にある獣耳は、虎にしてはややとがっている。


 椅子に座っていても分かる、ほどよく鍛えられたしなやかな長身。

 若い頃に比べて筋肉量が減ったと嘆く宇翔と比べると、雄々しく若々しく見えた。


(年齢はたしか、十八歳。私より一つ下ね)


 長い前髪が邪魔をして、顔がはっきり見えない。

 好戦的な肉食獣とは思えない、諦めきって冷めたような空気感を醸しながら、彼は外を眺めていた。


(歓迎する気は一切ない、と)


 後ろに控える子晴から不満の気配を感じて、淑恵は困ったなと眉を下げた。

 このままでは、いつ子晴が飛び出すとも知れない。

 淑恵は子晴が飛び出せないように前へ出ながら、声をかけた。


「あなたが、志偉様でしょうか?」


 淑恵の問いかけに、青年は大仰に体を震わせた。

 今にも飛び上がりそうな勢いに、淑恵も跳ねそうになる。

 一呼吸置いてなにもなかったかのように取り繕って、淑恵は微笑んだ。


「申し訳ございません、驚かせてしまいましたね」


 頭を下げて、もう一度志偉を見る。

 すると、志偉の顔は淑恵のほうへ向けられていた。


 前髪の隙間から見えたのは、切れ長の涼やかな目。

 虎というより狐といったほうがしっくりくる。

 けれど悪人面というわけではなくて、謎めいた色気を感じた。


 志偉は、不思議なものを見るように淑恵を凝視している。

 その視線にじわりと熱がにじんだ気がして、淑恵は思わず顔を背けた。


 背後から、春風の気配がする。

 淑恵が思わず目を背けた理由を、子晴は察したのだろう。

 子晴が「眼福」とつぶやいたのを、淑恵は聞き逃さなかった。


(どうしよう。まだ見ているわ……)


 一体、どういうことだろう。

 最初の拒絶の姿勢はなんだったのかと首をかしげたくなるほど、淑恵を見つめる志偉の視線は熱い。


(射貫かれてしまいそう……)


 初恋すら知らない淑恵に、彼の態度は理解しかねる。

 どう反応したらいいのか分からないまま、ただただ立ち続けるしかなかった。

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