第8話


 帝国には戦争が無い。帝国はその強大な軍事力で相手に戦う意思すら与えずに支配領域を広げてきた。ここ数千年は戦争で死んだ人間はいない。戦争すら起こらないからだ。

 そして帝国に支配された文明は、例外なく軍を解体させられるので抵抗するための武力は無くなり、帝国の支配を受け入れるしか無くなる。

 当初は反発もあっただろうが、帝国は最新技術を惜しみなく供与して生活水準を向上させる。人間は便利な生活に慣れるとそう簡単には戻れない。そしてそのために必要な技術は帝国が独占しているから、その文明に生きる人々の帝国への依存度は高まる。

 しかも、ほとんどの文明にとって帝国の法律は従来のものよりも自由が保証されることが多い。

 例えば教育。帝国に生きる人間は、いつでも無償で帝国教育省が公開するインプラント・パッケージを取得することが出来る。数学を学びたいと思ったら教育省のクラウドから数学のパッケージを取得して、インプラント・ラーニング技術ですぐに最新の数学理論を覚えることが出来る。

 もちろん、一般に公開していないパッケージ(軍事分野や帝国が独占する技術理論等)もあるが、その分野の仕事に就けば学ぶことが出来る。

 次に、人々は望まない限り労働をする必要はない。全ての人に貨幣ではなく一定の資源利用枠が配布され、利用枠の範囲内で欲しいものが何でも手に入る。食べたいもの、欲しい服、住む家でさえも。利用枠は消費しなければ累積されるため、蓄えれば民間用の航宙艦すら手に入れることが可能だ。

 消費された利用枠は民間企業や国営組織等に権利が移り、企業や組織でプールする分を除いて、そこで働く人々に再分配される。

 より多くの利用枠が欲しい人は働けば良いし、配布分で間に合う人は働く必要が無い。

 そもそも配布される利用枠を無理やり地球価値に換算すれば、全国民が富裕層クラスなのだ。本当に高いものを望むには足りないが、地球基準ならば贅沢な暮らしができる。

 国民は働く場所ではなく、そもそも働くかどうかを自由に選べる。

 住む場所も成人した時に帝国から提供され、場所を自由に選ぶことが出来る。宇宙空間のコロニーに住みたいならコロニー内に家が用意されるし、既に家を持つ家族と住みたいのなら代わりに利用枠が提供される。

 身体、精神の疾患は無償で治療を受けられるし、全ての国民は自分の考えを自由に発信・表現して良いし、どんな神を信じても良い。

 もっとも、他人への侮辱は言論の自由には含まれないので裁かれるし、神に縋るほど困窮もしていないため宗教勢力は小さいが。

 物質的な余裕があると心の余裕が生まれ、心の余裕は他人に対して寛大になれる。帝国には数多の文明が存在し、国民の種族は数百種に及ぶ。幼い頃から見た目の違う複数の種族と生活してきた今の世代に差別はない。それが当たり前だから。

 小さい頃からの不自由のない生活は当たり前であり、そんな当たり前の生活ができるのは帝国のおかげ。

 こうして帝国はその支配を確たるものにしてきた。支配当時の世代は内心反発していようが圧倒的な武力で黙らせ、その後数世代、不自由のない生活が続けば先祖が抱いていた恨みなんてものは関係なくなる。

 帝国は武力で支配領域を拡大しているが、その武力でもって強制的に平和を維持している。

 周辺に帝国の敵足りうる文明がないのもそれを助けているだろう。

 だが、長期にわたる安定とは停滞も意味する。

 もちろん今でも新技術の研究は続いているが、文明の発展速度は明らかに低下している。

 例えば、AIの研究は既に頭打ちであり、これ以上を目指せば、確実に人類とAIの関係が逆転し、機械に支配される。支配されるのならば良い方で、最悪は殲滅だ。

 帝国はあくまでも人の文明であり、人が機械を使う文明なのだ。

 人を超えたAIがない代わりに、人の脳使用率は限界まで拡張されており、これ以上は脳自体が崩壊するところまで来ている。

 なにより研究する分野がもうなくなってきており、残された大きな研究分野は次元に関することくらいであり、ワープ技術は次元の壁を超える方法についての研究の副産物だ。

 帝国は既にあらゆる研究分野で”頭打ち”状態になっており、文明としての停滞が見ていた。

 

 

 ◇

 

 

 「…私は、今の帝国に不満を持っているのです」

 

 まさか、帝国に対する不満が帝国の皇女から出てくるとは思いもしなかった俺は、驚きの表情を隠すことが出来なかった。

 目の前にいる彼女は宇宙最大最強の帝国第3皇女だ。最も恵まれた環境にいるであろう彼女が、帝国に対する不満を持っている。その事実を咀嚼するのには時間がかかった。

 

 「どうして、という顔ですね。アルスと初めてあった頃には既に、帝国の在り方に疑問を抱いていました。今でも、どうして私がそんな疑問に至ったのかは分かりません。そして今の私は、このままでは帝国に未来ないと思っています」

 

 確かに俺は帝国では夢を見ることはできないと思った。だが、帝国の未来がないという考えにまでは至っていない。

 

 「未来がないって言うのは、どうして?」

 「分かりませんか?この帝国で生きる人々が、夢を、未来を見て生きていないのです。今に満足していて、未来がどうなるかに興味は無いのです。長い間帝国の支配体制が変わらなかったことで、この先も同じ生活があると、心のどこかで思っている。夢を見る、未来を見る者が居なくなった帝国の行先は、良くて停滞、最悪は衰退からの破滅です」

 

 確かに、未来を見据えて生きている人はほとんど居ないだろう。なにせ今のままで良いのだ。

 実際に帝国の技術研究はその多くが停滞している。今の帝国研究者たちが想像できる限界まで来てしまっている。ほとんどの研究者が、人が次元の壁を超えるための研究をしているほどだ。今の帝国にできないことが、そのくらいしか残されていない。

 研究が終わって、危険だとか、不必要ということで使われていない技術は多くあるが、現在実現している技術だけでも既に地球文明からすれば魔法の国だ。

 文明としてやることが無くなりつつある帝国は、停滞へ向かっているとも言える。


 「帝国は現状、この宇宙のほとんどを知るに至りました。帝国上層部は、帝国が停滞に向かっていることをわかっている。しかもそれは、競争する敵国がいても変わらない。既に目の前に壁が迫っているのです。これ以上、進みようがありませんからね」


 行ける先が無いのに態々敵を作る必要も無い。敵に勝るために先を急いだとて、行き着く先は目の前に見えている。

 だから、今の統治を変える意味もない。例え今まで支配してきた全ての文明が帝国の技術を持って離反したとしても、行き着く先は衰退か破滅。それならば、このまま停滞している方がマシかもしれない。

 

 「今も続けられている次元の壁を超えるための研究も、一般には実現の可能性は極めて低いとして発表しています。でも本当は、既に理論は確立しています。人は次元の壁をも超えることが出来る可能性がある。帝国上層部がこの事実を隠している理由は、なんだと思いますか?」

 

 人が次元の壁を超えること、その事実を隠す理由…。

 今までのように危険と判断されたか、不必要だと判断されたか…。だが、単純に公開されていないだけならば危険技術だと推測できるし、不必要だと判断された技術も申請すれば閲覧出来る。

 しかし今回は、理論が確立されたにもかかわらず、危険であるとして非公開にするでもなく、実現の可能性が極めて低いなどと発表している。

 国民の興味を惹きたくないのか…?それなら単に発表しなければ良いはず。どうして嘘の発表をして、態々関心を集めるようなことをしたのか。

 自分たち以外に研究して欲しくなかったのか?文字通り宇宙最高の頭脳とも言える研究者とAIが不可能というのならば、他に自分もやってみようという者は出てこないだろう。

 他に研究すらされたくないとすれば、軍事的優位性が失われるのか、それとも既存の法則が根本から覆されるのか…。

 

 「その理由は、人が次元の壁を超えるために必要なものが、大量の人であるからです。人の意識をひとつに統合して次元の壁を超えるためのエネルギーにする。そうしてようやく、人は次元の壁を超えることができるそうですよ」

 「…意識を統合する?」

 「はい。一度統合されれば元に戻ることはなく、元の意識があった体は消滅します。次元を超えるのです、この次元から消滅するのは当然ということらしいですよ?しかも、次元を超えるために必要な人の数は、推定で最低500億以上」

 「ごひゃく…」

 

 訳が分からない。人が次元の壁を超えるために、人が500億必要なのか?

 これほどの犠牲を強いる技術、なるほど帝国も研究すらされたくないだろう。使い方によっては帝国とて容易に滅ぶ。

 

 「この数は多ければ多いほど成功確率は上がるそうです。そして帝国上層部は、停滞から脱するために、帝国に生きる全国民の意識を統合し、次元の壁を超えるそうです」

 「…は?」

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