【短編】わたしはプリマにはなれない【1549文字】
音雪香林
第1話 たとえプリマにはなれなくとも。
わたしはプリマにはなれない。
文字通りつま先に血がにじむまで稽古を積んできた。
それでも、いや、だからこそわかる。
才能の「差」というものが。
「わたし、バレエやめる」
これまで一生懸命に応援してくれていた母に、申し訳ないと思いつつ告げる。
母は「そう……」とだけ言ってわたしを抱きしめた。
これからは体型の維持に気を使う必要もないし、稽古に費やしていた時間が丸々自由時間になるのでケーキバイキングに行ったりゲームを楽しんだりできるようになるだろう。
……と、思っていたのに。
気が付けば駅のホームの掲示板に貼られているバレエの公演のお知らせにくぎ付けになっていたり、テレビから稽古の時に聴いていたのと同じメロディが聴こえてきて背筋を伸ばしてしまったりする。
どうして?
どうして忘れられないの?
苦しいだけだったのに。
プリマになれないなら意味なんてないのに。
(本当に?)
誰かの声がした。
(本当に、プリマになれないのならすべて無駄だと思うかい?)
誰の声だろうか、と考えてハッとする。
小学生だったころの担任の先生だ。
道徳の授業だったか、それとも他の授業で時間が余った時だったか、それは覚えていないが、先生は自分の体験を話してくれた。
「先生はね、本当は数学者になりたかったんだ。国際数学オリンピックを目指して勉強したりしてた。けどね、ダメだった。先生が五秒考えて出す答えを、天才はまるで事前に知っていたかのように瞬時に導き出す。残酷だよ、才能っていうのは」
なんでそんな話をするんだと当時は泣きそうになった。
けれど先生はこう続けた。
「今はね、先生は先生になれてよかったって感じてる。先生として沢山の子に算数という基礎を叩き込んで素地を作れば、いつか僕が行けなかったてっぺんにその子たちの誰かが行けるかもしれない」
それがなんだっていうの。
結局自分はスポットライトを浴びられないじゃない。
一番に成れないじゃない。
当時そんなふうに反発した心に。
「ガガーリンは知ってる? 『地球は青かった』っていう言葉を残した宇宙飛行士。僕たちが見れないものを天才は見させてくれる。でも天才だって一人ではてっぺんを見ることはできない」
いつも誰かしらが私語をしている教室で、このときだけは誰も話さず先生の声だけが響いた。
「天才も凡人も同じ人間で、役割が違うだけなんだよ。凡人は天才に劣等感を抱きがちだけど、天才だって凡人がいなければ至高の場所には到達できない。天才は凡人に感謝して、凡人は天才を天才たらしめるために押し上げなきゃいけない。だから、先生は凡人として天才かもしれない君たちを教えているんだ」
当時は内容がよく呑み込めなかったが、今ならわかる。
才能があっても教育されなければ……先生流にいえば「押し上げる誰か」がいなくては本当に才能が「ある」か「ない」か判断できる領域まで行けない。
わたしはプリマになりたかった。
なれないと判断できたのは、中途半端な位置を越してある程度の高さまで行ったからだ。
凡人だからと卑下する必要はない。
それに先生の台詞通り「天才だって凡人がいなければなにもできない」かもしれない。
かといって、今すぐ「後進を育てよう」だなんて切り替えることはできないけれど。
プリマにはなれないとわかっているのに、わたしはまだあきらめきれないみたいだから。
先生だって最初はそうだっただろう。
でも先生は「プリマになれないからやめる」と逃げたわたしとは違いきちんと数学と向き合った。
その結果、先生になることで自分の力を発揮し、教え子を導くことでてっぺんを「見せてもらう」ことにした。
わたしも「所詮凡人だから」と思考停止せず考え続けるべきだろう。
さて、始めようか。
自分探しの旅ってやつを。
いつか選択する未来が、この夏空のように輝いていますように。
おわり
【短編】わたしはプリマにはなれない【1549文字】 音雪香林 @yukinokaori
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