第40話 小豆の家 side梢

 京都駅から電車に乗り、昨日と同じ景色を眺める事三十分。窓の外をぼんやりと眺めていると、彼女に肩をとんとん、と軽く突かれ、彼女を見る。


「次降りるし」

「おっけー」


 楽しみであると同時に、緊張で胸が苦しい。どうして家に行くなんて提案をしてしまったのか、少し後悔し始めていた。


 その人の心を表すとも言われる私室を見せてもらえるのは嬉しい事だ。親しくない人に自分の部屋を見せようとは思わないし、多少仲が良くても、いつもは自分しか居ない完全にプライベートな空間に他人の侵入を許すというのは、なかなかに勇気が要る。


 それを許されたという事は、つまり彼女は私にそれ程までに心を開いてくれているとも言えるだろう。


 しかしそれはそれとして、実家暮らしである彼女の家に行くという事は、彼女の家族に遭遇する可能性があるという事だ。


 考え事をしている間に電車は駅に停まり、彼女が立ち上がるのを見て私も立ち上がる。ホームに降り立ち、新鮮な空気を肺一杯に取り込み、ゆっくりと肺に溜まった空気を吐き出す。そうすると、少し心が落ち着きを取り戻したが、別の問題に気が付いた。


「そうだ、手土産とか買うの忘れてる……」

「別にええよそんなん。友達の家に遊びに行く度にそんな事してたら切り無いで?」

「そう……なのかなぁ……」

「そうそう。別に彼氏の両親に挨拶しに行くわけでもないんやから、そんな畏まらんでもええって」

「そっか……」

「何をそんな緊張してるん?」

「いや……」


 理由を説明しようとして、吐き出そうとした言葉が途中でどこかへ行ってしまった。


「なんでだろうね?」

「それは梢ちゃんにしか分からん」

「そうだよね」


 どうして緊張しているのか、よく考えてみると、理由が見当たらなかった。確かに今まで散々お世話になってきた彼女の家族に会うというのは緊張するが、友達の親だと考えると、それほど緊張する事でも無いような気もする。それに彼女の言う通り、彼女として紹介されるわけでもないのだから、過度に畏まる必要は無いだろう。


 考え事をしながら駅を出て、彼女について行く。途中、家で食べる用のお菓子をコンビニで購入し、十分程歩くと、彼女がマンションの敷地に入っていく。


「ここ?」

「うん」


 七階建ての煉瓦調の大きなマンション。以前聞いた話によると、彼女はここの一階に住んでいるらしい。もちろんマンションを見た事が無いわけではないが、ここに彼女が住んでいるのだと思うと、妙に感慨深い物がある。


 駐輪場を通り、裏口らしき扉の鍵を開け、彼女に続いて中に入る。


「車無かったからま……お母さんも居なさそうやけど、どうかなぁ」


 そう言いながら彼女が玄関の扉を開き、中に案内される。


「お邪魔します……」


 彼女が何も言わないので、少し遠慮がちに薄暗い廊下に向かって声を掛けると、彼女が「はぁい、いらっしゃーい」と応えた。


 脱いだ靴を彼女が脱いだ靴の隣に並べ、彼女の後に続いて部屋に入る。


「ベッドに座っててくれてええし、ちょっと待っててな」

「あっ、うん」


 彼女が廊下の続く先にある部屋に入っていくのを見送り、言われた通りにベッドに腰掛けると、ギシ、とベッドが悲鳴を上げた。肩に掛けていた鞄を膝の上に抱え、右からぐるりと首を回して部屋を観察する。


 部屋の半分近くを私が今腰掛けているベッドが占有しており、残りのスペースの更に半分は二メートルはありそうな背の高い本棚が二つと、パソコンや辞書などが置かれている机が置かれていて、歩ける場所は部屋の入り口から窓までの距離、一人しか歩けないくらいの狭い通路分しか無い。


 壁にはジグソーパズルや何かのポスターなどが飾られており、ただでさえ狭い空間を仕切るカラーボックスの上には電子ピアノがでかでかと置かれていた。


 少しして、彼女がお茶とガラスのコップをトレイに乗せて戻ってきた。


「おまたせ。狭いやろ?」

「うん。狭い」


 彼女は脚で部屋の扉を閉め、トレイを慎重に机の上に置いた。


「お茶が今黒豆茶しか無いんやけど、大丈夫?」

「黒豆茶?」

「うん。美味しいで」

「じゃあ貰おうかな」

「はぁい」


 いまいち彼女の味覚への信頼度は高くないのだが、お茶で不味い事などそうある事では無いだろう。


 彼女が隣に腰掛けると、またベッドがギシ、と悲鳴を上げた。


「さて、何しよっか」

「いっつもここでゲームしてるの?」

「うん。そうやで。何かゲームする?」

「何かある?」

「どうやろ」


 言いながら彼女が腕を伸ばし、棚の一番下に置かれているパソコンの電源を入れた。


 勝手ながら椅子に座らせてもらうと、机の作業スペースの小ささに戸惑う。机の奥は棚になっており、二段目の広いスペースに小さなテレビが置かれている。手前の作業スペースには大きなマウスパッドが敷かれていて、キーボードを下に仕舞うことのできるモニター台の上には広辞苑とノートパソコンが置かれている。それによってマウスを動かせるスペースは小説見開き一ページ分程しか無い。


「これでFPSやってるの?」

「うん。だからまぁ、弾当たんないよね」


 あはは、と開き直ったように笑う。


 テレビの電源を入れ、彼女が隣から長ったらしいパスワードを入力する。今更ながら見られても良いのかと疑問に思ったが、こんなにも堂々としているのだから、見られて困るような物は何も無いのだろう。


 何をしようかと彼女のパソコンに入っているゲームを一通り見てみたが、どれもオンラインで遊ぶ物ばかりで、当然ながら二人で一緒にできるようなゲームは無かった。


 せっかくなら彼女がゲームをしている姿が見たいと思い、席を譲っていつもやっているFPSゲームをやってもらう事にする。FPSは音が重要となるので、彼女がヘッドホンをすると、それなりに遮音性が高い物のようで、こちらからの声はあまり聞こえないようだった。


 そうなると悪戯心が湧いてくる物で、彼女がゲームをしている最中、無防備になっている背中を指先ですーっと撫でてやると、「んぐっ」と嘔吐いたかのような声が彼女の口から漏れた。それでも彼女はゲームに集中していたので、無意味な対抗心を持って何度か邪魔をしていると、とうとう彼女は敵に倒されてしまった。


 当然ながら彼女には睨まれ、「はい、次梢ちゃんの番ね」と席を譲られた。確実に仕返しをされるだろうと思いながらも、自分から始めた事なので、渋々席に座り、慣れないマウスとキーボードを手にゲームを始める。するとすぐに彼女の手が私の横腹に触れ、擽ってくる。しかし彼女には悪いが、私は擽りには強く、少し擽ったくはある物の、耐えられない程ではなかった。


 ゲームを終えると、彼女は不満たっぷりな表情で私を見ていて、笑いを堪えきれずににやついていると、頬をそこそこ強めに抓られた。


 他にやるゲームも無いので、パソコンの電源を落とし、再びベッドに腰掛ける。


「やっぱりやる事無いよねぇ」


 彼女が呟きながら身体を倒し、枕に頭を置く。それを見ていると、彼女が腕を広げるので、恐る恐る寝転がると、彼女に思い切り抱き締められ、彼女から様々な感触が伝わってくる。


 ドクドクと心臓の鼓動が聞こえる。拘束が緩み、バレていませんように、と願いながら顔を上げると、彼女顔が目の前にあった。目を逸らすと、逸らした先に彼女の柔らかい胸があり、行く先を失ってうろうろとしている間に、彼女の服の隙間から水色の何かが見えた。


 それの正体に気付いた瞬間、彼女がくすくすと笑い出す。


「梢ちゃん顔真っ赤」


 そう言いながら彼女が私の髪を撫でる。それからその髪の下に彼女の暖かい手が入り込んできて、耳や頬が撫でられる。


 私の理性の糸が切れるのは時間の問題だった。

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