第39話 意外とちっちゃい水族館 side小豆
ビルの建ち並ぶ大通りを真っ直ぐに進み、歩道橋を渡って細い道へ入る。神社や寺、和風な家々の間を抜けて只管に真っ直ぐに行って、高架を行く車道の下を潜ると、木の壁が目の前に現れる。
恐らくこの木の壁の向こうに水族館がある筈なのだが、相変わらず細かい道筋を調べていない私は、直感に従って右に曲がる。小さい地図があったので、それを見れば早い話ではあるのだが、こうやって歩いている時に地図を見るのはズルをしている気分になるので、極力見ないようにしている。
木の壁に沿って行くと、交差点の手前に入り口らしき広場があり、その奥に見覚えのあるイルカのオブジェクトと、夏になるとミストシャワーが出る通路が見えた。
「良かった。着いた着いた」
「なんか電車があるけど」
「あぁ、確か近くに鉄道博物館があった筈。隣やったかな」
「へぇ」
屋根の下を行くと、目的地である京都水族館の入り口に着いた。記憶にある物とは全く違うような気がするが、以前来たのは小学生くらい、つまりは十年以上前の話だ。こうして見てみると、建物の高さは意外にも低い。ここにも高さ制限があるのか、恐らくは駅前のビルよりもずっと低い。小さい時は随分と大きく見えていたらしい。
「水族館自体久しぶりやって言おうとしたけど、よくよく考えたら高校の修学旅行で美ら海水族館行ったわ」
「沖縄行ったんだ」
「うん。梢ちゃんはどこに行ったん?」
「中学の時に東京に行ったかな。高校の時は京都に行く筈だったんだけど、ちょうどコロナで行けなかったんだよね」
「そっか、その時か」
自分から話しておきながら、彼氏と付き合い始めた時の事を思い出し、思わず眉間に皺を寄せる。早く忘れてしまいたいのに、いつまで経っても私の脳にこびりついて剥がれてくれない。
彼女に感付かれないよう、静かに深呼吸をして、気持ちを入れ替える。今は彼女と一緒に過ごしているのだから、彼女の事だけ考えていれば良い。
この時期はあまり人気が無いのか、つい先程入場していった一組が居たくらいで、少しも並ぶ事なく受付でチケットを購入し、貰ったチケットとパンフレットを持って入場する。
「こういう時ワンチャン子ども料金で行けへんかなぁって思うねんなぁ」
「ダメだからね?」
「分かってるって。ちゃんと大人二枚って言うたやろ? 向こうが信じてるかどうかはともかく」
「姉妹って思われてそう」
「確かに。お揃いの服着てるしな」
「やったら行けそう」
「やらへんけどね」
ゲートを抜けてまず出迎えてくれたのは、この水族館の目玉とも言える存在のオオサンショウウオだ。川を再現した水槽の岩の下、そこに世界最大の両生類とも呼ばれるオオサンショウウオが居た。
水槽の前にしゃがみ、身動ぎ一つしないその姿をじっと見つめる。
隣の少し拓けた水場でたくさんの魚が泳ぎ回っている中、オオサンショウウオは少しも動く気配が無い。両生類なので、呼吸が必要な筈だが、ただじっとしているだけだ。
「寝てるんかな」
「夜行性なんだって」
「じゃあ寝てるんか。いやでも呼吸はするやろ」
「ずっと見てたら動くのかな」
そう思って彼女と二人でオオサンショウウオの前に暫く居座ってみたが、いつまで経っても動く気配が無い。段々と、オオサンショウウオが肺呼吸をするという自らの知識が疑わしく思えてきて、先程彼女も読んでいた説明書きを見る。
「梢ちゃん」
「何か書いてる?」
「この子半日以上水中に居っても平気なんやって」
「あっ、そうなの?」
彼女が立ち上がって、肩をくっつける。
「ほんとだ。皮膚呼吸で……へぇ」
「言うてる間に動いてたりせぇへん? せぇへんな」
振り返って様子を窺うが、先程と場所も姿勢も何も変わっていなかった。
「じゃあ動いてるの見ようと思ったら相当運が良くないと無理なんだ」
「夜に来たら動いてるんちゃう?」
「そっか。夜行性だもんね」
「ここがいつまで開いてんのか知らんけどな」
動かないかなぁ、と期待を視線に込めて見つめてみるが、やはり動く気配は無い。横長の水槽の左の方へ移動してみると、そこにはたくさんの小魚が泳ぎ回っており、その更に左下、水槽の角に数匹のオオサンショウウオが重なり合うように固まってじっとしていた。しゃがんで念を込めて視線を向けるが、やはりそこに居る子たちも動く気配が無かった。
ずっとこの動かない生物を見ていても仕方が無いので、次に行こうと立ち上がり、彼女に手を差し伸べると、彼女は一瞬躊躇った後、私の手を取って立ち上がった。
それからゆったりと泳いでいるオットセイを下から眺め、真ん中で竜巻を作るマイワシの群れそっち退けで水槽のガラスに張り付くエイの写真を撮り、ペタペタと歩き回るペンギンと一緒に彼女の写真を撮る。クラゲが水槽の中を漂っている姿に癒やされ、少し前に流行っていたチンアナゴに、その更に前に流行っていたような記憶のあるクマノミなど、時間を忘れて楽しんでいると、いつの間にか出口の手前にあるカフェに着いていた。
人もそれほど多くなく、マイペースに見られたが、さすがに少し足に疲れが溜まってきていた。カフェは混雑、とまではいかないものの、それなりに客は多く、賑わっている。幸い、空席もいくつかあるようだった。
「お昼ここで食べてく?」
訊ねながらカフェのメニューが書かれている立て看板の前に彼女を引っ張ってくる。
「何か変わったメニューが多いね」
「ある意味京都ならではちゃう?」
「確かに。豆腐のソフトクリームってどんな味なんだろう……」
「湯葉ソフトみたいなもんやろ」
「ごめん、湯葉ソフトも分からないんだけど」
これは何だあれは何だと言いながら、最終的にはここで食べる事になり、列に並ぶ。
私ももう以前来た時に食べた物も味も何も覚えていないので、京漬け物ドッグという、その名の通り漬け物を挟んだホットドッグと彼女が気にしていた豆腐のソフトクリームを注文し、席に持って行く。
「食べる?」
せっかく変わった物を頼んでいるので、一口どうかと、漬け物のホットドッグを差し出してみると、彼女は遠慮がちに、けれども大胆に齧り付き、手で口を覆いながら笑顔で頷いた。
「意外と美味しい」
「それは良かった」
「食べる?」
お返しに、とチキンバーガーを差し出され、悩む。
「ネギやんなぁ」
「あれ、ネギ嫌いなんだっけ?」
「うーん……刻みネギが苦手かなぁ。ふにゃふにゃになってるやつやったらいけるんやけど……」
「そうなんだ」
「まぁでも、一口貰おうかな」
「大丈夫?」
「それは食べてみないと」
差し出された彼女の手を取り、引き寄せて、恐る恐る食べてみると、ネギらしき物が舌に触れた瞬間、ネギ特有の苦手な苦味を感じた。
「うん。ネギやわ」
「だめか」
彼女に苦笑されながら、口直しに漬け物のホットドッグを食べる。それから溶けかけのソフトクリームを急いで食べる。コーンに乗っているタイプなので、知覚過敏の私には少々辛い物があったが、彼女にお裾分けしながら何とか完食した。
満足した所で食器を返却し、外のスロープを降りて出口へと向かう。それから受付の横にあるショップでぬいぐるみでも買ってあげようかと提案してみたが、彼女には全力で首を振られてしまった。嫌がっているわけではなさそうだが、一方的に押しつける形でプレゼントしても罪悪感を与えてしまうだけなので、大人しく引き下がっておく。
しかし欲しい物は別にあったようで、小さいペンギンのぬいぐるみを自分用に買っていた。どうせなら私も何か買っておきたくなって、その隣に居たオットセイのぬいぐるみを購入する。
「この後家に行くんだよね?」
「そうやね。他……鉄道博物館とか行かんでいい?」
「うーん。今日は良いかな。満足したし」
「じゃあ行くかぁ」
「うん」
楽しそうに笑う彼女の手を引き、駅に向けて歩く。
道中、私は彼女と喋りながら、朝出る前に掃除機の一つでも掛けてから来れば良かった、と密かに後悔していた。
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