第37話 無計画の代償 side小豆

 観光に来たからには、地元では食べられない物を食べたいというのは当然の考えだ。せっかく時間を作って遠くまで来て、いつもと同じチェーン店で食事を済ませていては勿体ない。


 しかし観光地にある食事処というのは大抵閉店時間が早い。早い所では十四時頃には閉店作業に入っている事もある。まだ十六時だからとのんびりしていると、食べたい物も食べられなくなってしまう。


 その事をすっかり忘れてしまっていた私は、その事を思い出してから少し早歩きになったが、坂を下りて少し行った所にあった蕎麦屋は、既に閉店していた。そこは十五時半が閉店時間だったようで、携帯を見てみると、その時間は疾うに過ぎており、十七時半になろうという所だった。


 歩きながら少し調べてみると、どこも閉店時間は早く、遅くても十七時だった。今から行って、閉店時間に間に合ったとしても、恐らくは断られてしまうだろう。


「ごめん」


 これは完全に私のミスだ。確かに飲食店はそこら中にあるが、閉店時間を考えていなかった。


「いいよいいよ。私も気にしてなかったし」


 彼女は顔の前で手を振って笑う。しかしそこにはほんの少し、落胆の色が混じっているように見えた。


「ほんまにごめん」

「この辺のお店は全部閉まってるの?」

「いや、ファミレスとか、あとは居酒屋とかやったら空いてるとは思うけど……」

「居酒屋かぁ」


 しかし調べてみると、夜が更けるまで酒を提供していそうな居酒屋でさえも、この辺りでは十七時になれば営業が終了しているようだった。


「これは……イオンに戻るやつ?」

「そうやね……」


 無意識に謝罪の言葉が出そうになり、咄嗟に喉の奥で堰き止める。


 欄干に手を置き、川を見下ろす。思い返せば失敗ばかりだ。計画らしい計画を立てていなかったのだから、当然と言えば当然なのだが、なんだかんだで上手くいく物だと思っていた。


「デートって難しいんやなぁ」


 呟くと、彼女が隣にやってきて、同じように欄干に手を置いて、私を見る。


「小豆ちゃんって彼氏とどういうデートしてたん?」

「どうって、外でデートするときはこんな感じやったで? 一カ所ここ行きたいってとこ決めて、あとは今日みたいに気になるとこがあったらそこ行って……って感じ」

「なるほどね」

「あとはまぁ、お互いアウトドア派じゃなかったから、大抵家で遊んでたかなぁ。観光も基本的に家族としか行かへんし、ただついてってるだけやから、何していいのか分からんねんなぁ」

「うん。私も前はカラオケで時間潰したからね」


 彼女が自嘲するように笑う。そこで私は彼女に気を遣わせてしまっている事に気が付いた。


「あそこは駅の周りに何も無いっていうのもあるんだけど、私があんまりお城とか興味が無くて、行ってもあんまり楽しめないだろうなぁって思って……」

「で、カラオケにした、と」

「そう。カラオケだったら小豆ちゃんも私も普通に楽しめるし、小豆ちゃんの歌声聴けるし」

「まぁ、無理に観光に行って楽しめへんよりはそういうとこ行った方が楽しめるよなぁ」

「そうそう。だから今さ、明日の予定も最悪清水寺とか行かんでもいいかなって思ってる」

「そうなん? 行きたかったんちゃうの?」


 思わず声が上擦った。恐らく彼女には既に見透かされているが、私は明日行く予定の清水寺も、今日行った平等院も、大して興味が無い。きっとそれらに関する知識が何も無いからだとは思うのだが、何をどう楽しめば良いのかが全く分からない。


 楽しむために多少は知識を取り入れようと思った事もあるが、昔から歴史は苦手で、興味が無いが故にやる気は湧かず、それでも何とか読んだ資料の内容の殆どは頭を通り抜けていくだけで、記憶には何も残らなかった。そしてその結果が今だ。


「うん。でもなんかね、えっと……清水寺とか多分行けなくてもいいんだよね」

「どういう事?」

「京都に観光行くから、じゃあ有名な所行っておこう、みたいな。清水寺に行きたかったっていうより、観光がしたかっただけというか……。まぁ、記念として行くのはありかなぁとは思うけどね?」

「なるほど?」


 理解できなくはない。恐らく、私が鰻や餃子に対して何も思い入れも無く、好物でもなんでもないのに、その土地の名物だから食べたいと言っていたのと同じような事だろう。


「とにかく、小豆ちゃんと一緒に楽しむのが一番って事。だから楽しくなかったり興味が無かったりしたら言ってくれてもいいからね」

「いやいや、さすがにそれは……」

「因みに今は楽しい?」

「えっ、絶賛反省中ですけど」


 そう言うと、彼女はあはは、と笑い、「そんな気はしてた」と言いながら私の手を握る。


「私としては小豆ちゃんの家に行きたいけどね」

「えぇ? まぁ、別に良いけど」

「えっ、ほんとに?」


 彼女が目を丸くして私を見る。


「うん。ええけど、ほんまに清水寺とか行かんでええの? うち来ても何も無いで?」

「じゃあ最初はホテルの近場で時間潰してさ、お昼から小豆ちゃんの家に行こうよ」

「本気で言うてる?」

「うん。興味あるもん」


 そう言う彼女の満面の笑みを見ていると、冗談でも何でも無いのだと分かった。


 私からしても考える手間も省ける上に、入場料や拝観料などの費用も無くなるため、とても有り難い提案ではある。


「えぇ……。じゃあ午前はどっか……水族館とか行く? 駅の近くにあるし。いやでもそんな時間無いか」

「カラオケでも良いよ?」

「そんなにカラオケ行きたい?」

「そんなにって別に、前に小豆ちゃんと行ってから行ってないからね?」

「じゃあ……いいか。カラオケで」

「どこか他に行きたい所はある?」

「いや、今の所は別に無いかなぁ」

「じゃあ決定」


 そろそろ食べに行こう、と彼女が私を欄干から引き剥がすようにして歩き出す。


 笑みを浮かべる彼女を見て、気持ちを入れ替えようと静かに深呼吸をして、彼女の隣に並んで歩く。


 それから私たちは夕飯を食べに、再び電車に乗り、三十分ほど掛けて京都駅に向かう。移動中に話し合い、夕飯には明日食べる予定をしていた京料理を食べる事になった。


 京都駅に着き、ショッピングセンターではなく、地下のレストラン街を目指す。地下にも様々な店が並んでおり、気になる物も多かったが、ここはまた明日来れば良いだろうと寄り道はせずに京料理を食べられる店を探す。


 無事に店を見つけ、ショーウィンドウに並んでいる料理の値段に震えながら店に入る。店の雰囲気はそれほど高級感は無いように思えるが、周りに座っている客を見ていると、どうにも自分が場違いのように感じて、心がそわそわして喉が渇く。


 どれを頼んでも高い事には変わりないので、もう食べたい物をそれぞれ頼み、恐る恐る料理を口にする。静かな空間に彼女の「美味しい」という呟きが聞こえて、思わず肩を震わせる。彼女のお蔭で少し緊張が和らぎ、口に入れた物の味も段々と分かるようになってきた。


 静岡で食べた鰻と同じように、一口一口を大事に味わいながら、高いからと言って飛び抜けて美味しいわけではないのだな、と静かに頷いた。

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