第36話 疲れてくると会話が減る side梢

 店を出た後、平等院に向かう。正直な所、抹茶パフェを食べて充分に満足できてしまっていた。しかしここまで来てメインの観光地を堪能せずに引き返すというのもおかしな話だ。

「さすがに藤の花はまだか……」

 彼女が左側にある柵で囲われた場所を見て言った。紺色の柱が規則的に並んでいて、柱同士を格子状の屋根のような物が繋いでいる。その真ん中辺りに細く大きな木が二つあり、格子の屋根を突き抜け、上に覆い被さるように枝が伸びている。もう三月も終わりになるが、まだ緑は少し見える程度だ。

「これ藤棚なんだ」

「うん。五月くらいになったら綺麗に見えるんやろうけど、さすがに早かったな」

「また見に来ないと」

「藤を見るなら今年は無理やな」

「ちょっと無理したら行けるよ」

「来月から実家戻るんやっけ?」

 受付の列に並び、彼女の問いに答える。

「一旦ね。だから大分お金に余裕はできるかな」

「また一人暮らしするん?」

「するつもりではいるけど、お金貯めないとね。審査も厳しそうだから」

「そっか、一人暮らしするってなると審査とか居るのか」

「そう。で、フリーだと収入が安定しないのが基本だから審査もちょっと厳しいらしくて」

「なるほどねぇ」

 列は進み、私たちの番になると、いつの間にか財布の準備をしていた彼女がさっさと拝観料を払ってしまった。割り勘にするのもめんどうな額だったので、小さな言い争いは避けて素直に感謝を伝えておく。

 門を潜り、綺麗に整備された砂利道を進む。こういった風景はあまり馴染みが無いのに、不思議と懐かしい感覚がして、心が安らぐ。

 少し進むと、また花の咲いていない藤棚があり、赤い寺院が見えてくる。

「あれ、こっちが正面じゃないんだ」

「よく見る角度はあっちからかな」

 彼女が池を挟んだ向こう側、人が集まっている場所を指差した。

 池に沿ってそちらへ向かうと、ネットやテレビで何度か見た事のある平等院があった。緑色の池に映るそれは、正確には鳳凰堂というようで、名前の由来は屋根上に据えられている一対の鳳凰だけでなく、この鳳凰堂を正面から見た姿が翼を広げた鳥のように見えるかららしい。

 その鳳凰の姿を撮っている途中、ふと気になって彼女を見る。

 以前から何となく思っていた事だが、彼女は恐らくあまり観光に興味が無い。好奇心自体は人並み以上に強く、気になった物があればすぐにそちらに意識をやってうろうろと歩き回る。ただ、その好奇心は歴史に関する物にはあまり向かないようで、今も彼女は鳳凰堂には目もくれず、手前の池に目を遣っている。

 そんな彼女はこういう物を見て何を思っているのだろうか。そんな事を考えている私も、実はそれほどこういった建造物や景色には興味が無い。ただ、私がこれらにあまり心が動かされないのは、恐らく知識が無いからだ。

 この池にしても建物にしても、いつ建てられたのか、誰が建てたのか、どういう意味があるのか。そういった事に関する知識が全く無いし、興味も無い。もしこれが絵画として飾られていたとすれば、私は興味を示すだろう。しかしそれは描かれている物に対してではなく、絵画そのものに対してだけだ。今も私は写真を絵の参考にしようとしか考えていない。

 そろそろ行こう、と彼女の手を取ると、その瞬間に彼女は笑みを顔に浮かべて頷いた。

 順路と書かれた看板に従い、池沿いを時計回りに進み、洞窟のような場所に入る。どうやらそこは鳳翔館という博物館になっているようで、中には梵鐘や鳳凰などの国宝や重要文化財などが収蔵されていた。

 絵の勉強をしてきた中で、彫刻に関しての知識も学んできた。そのお蔭で、仏像などを見ると、その技術の方に意識が行ってしまう。周りの人とは少し違った楽しみ方をしつつ、展示エリアを抜けると、突然近代的な雰囲気のあるガラス張りの建物に出てきた。

 外には変わらず日本庭園のような景色があり、鐘楼なども見える。向かい側にはカフェがあったが、それなりに混雑していたのもあって、そこには立ち寄らずに、そのまま鳳凰堂の後ろを周り、平等院を出る。

 少しずつ陽も傾いてきて、空に赤色が混ざり始めていた。しかしまだまだ帰るには早い時間なので、彼女に連れられて河川敷を歩く。

「密かにさっき通ってきた道でアイスでも食べようかなぁって考えてたんだけど」

「あっ、そうなん? ごめん」

「いやいや、大丈夫。私も言ってなかったから」

「ソフトクリームでええならそこにあったと思うで?」

「あっ、じゃあそこにしよう」

 そうして分かりやすく宇治茶と書かれている店に立ち寄り、抹茶のソフトクリームを二人で食べ、ついでに資料館を覗く。

 それからまた宇治茶の誘惑を浴びながら川沿いの道を歩き、喜撰橋という小さな橋を渡って宇治川の中州を歩いていると、鵜飼いで活躍しているというウミウに出会った。

しかし鵜飼が行われるのも今の時期ではないようで、時間帯ももっと遅くの時間らしく、残念ながら活躍している瞬間を見ることはできなさそうだったが、彼らが寛いでいる姿を間近で写真に収める事ができたので良いだろう。

「この時期って以外と何もやってないよね」

 遠くにぽつりと咲いている梅を見て呟く。

「そうやね。何か入学式やら卒業式やらでイベントいっぱいありそうな感じするけど、学校以外やとイベントらしいイベントは無いなぁ」

 細長い中州をのんびり歩き、朝霧橋を渡って、宇治川の対岸まで来ると、正面に赤い鳥居が見えた。

「ここは何かアニメの聖地巡礼で一時期すごい混んでたとこやな」

「へぇ」

 彼女の雑な説明を聞きながら辺りを観察していると、重要文化財と書かれた看板を見つけた。

「今更訊くのもなんやけどさ、梢ちゃんって源氏物語に興味はある?」

「源氏物語?」

「あっ、無さそう」

「うん。あんまり無いかも」

「じゃあどうしようかなぁ」

 彼女は悩む素振りをしながら鳥居を潜り、奥へと進んでいく。私はここが宇治神社だという事以外何も分かっていないので、彼女の手に引かれるままに足を動かす。

「源氏物語がどうしたの?」

 彼女が何に悩んでいるのか気になって訊ねてみる。

「いや、ここからちょっと歩いたとこに源氏物語ミュージアムってとこがあんねんけど、正直疲れたなぁって」

 彼女があはは、と誤魔化すように笑う。

「どっかで休む?」

「梢ちゃんは疲れてない?」

「私は……まぁ、疲れたといえば疲れたかな。ベッドに入ったらすぐに寝られるくらい」

 嘘ではない。アルバイトで多少身体を動かしていたとは言え、普段からあまり運動はしていないので、高校生の時よりも体力は落ちているし、今もふくらはぎの辺りが張ってきているのを感じる。

「じゃあ今日は行くのやめとくか。遠いし。山登るし」

「あっ、そうなんだ」

 階段を上りきった所で、彼女は軽く息を切らしていた。

「時間はまだ全然あるけど、今日の所はもうゆっくりしよう。疲れたし」

「うん。そうしよう」

 突然の幕切れに戸惑いながらも笑って頷き、ほんの少し気が抜けた瞬間、欠伸が出そうになって、咄嗟に手で覆い隠す。しかしそれを彼女にはしっかりと見られていて、視界の端に彼女の微笑みが見えた。

 せっかく登ってきたので、すぐそこにある本殿まで行って挨拶をして、坂を下る。

「夕飯どこにする? 和食? パフェ?」

「さすがにパフェはもういいかな」

「この辺りで探してもいいし、またイオンに戻って探すのもありやで」

「小豆ちゃんの家こっちの方じゃないの?」

「そうやけど、どうせホテルまで梢ちゃん送っていくつもりやったし」

「いやいや、大丈夫だよ?」

「一緒に居るん嫌?」

「そ……れは、ずるいでしょ」

 あはは、と今度は疲れを吹き飛ばすように彼女が笑う。

「まぁ、とりあえず夕飯決めてからやな。時間的にもまだ余裕あるし、京都駅の方行ってもええし、この辺で探してもええし。因みにあっちの方に行くとファミレスもあるで」

「ファミレスはいいかな。いやでもお金そんなに無いからファミレスでも良い気がしてきた」

「どうする?」

「どうしよっか」

 二人であれはどうだ、これはどうだと悩みながら、和風の家が建ち並ぶ坂を下っていく。不意に街灯が点り、気が付くと、空は段々と暗くなり始めていた。

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