第35話 お茶屋さんにて side小豆
「同棲とかする?」
彼女が前のめり気味に言った。
同棲、つまりはシェアハウスという事だろうと、簡単にメリットを考える。
まずは家賃を折半できる事だろう。一人暮らしをする上でまず立ちはだかってくる問題がお金だ。家賃に家具に生活費など、決して安くないお金が必要になるが、その費用を二人で分ける事ができる。
それから寂しくなくなるという事だろうか。一人暮らしだと何をするにも一人だ。家に帰って誰かが居るというのはとても安心感がある。
「それも良いかもねぇ」
目の前に置かれた水を飲みながら想像を膨らませる。
まず家に家族が居ないというのが良い。家族と一緒に居ると、あまり気が休まらないのだ。家族と一緒に過ごしていると、自分が子どもなのか大人なのか分からなくなってくる。もっと素直に甘えられれば良いのだが、それはどうにも恥ずかしくて、思わず大人の自分を演じてしまう。
その点、彼女と居る時は、子どもっぽい自分と大人っぽい自分が、なりたい時に顔を出して、ずっと素の自分で居るような感覚だ。要するに、彼女と一緒に過ごしている時はとてもリラックスできている。
きっと、寂しい時は彼女が一緒に居てくれるだろうし、辛い事があったら彼女を抱き締める事ができる。その逆に、彼女が寂しいと思っている時は私が一緒に居てあげる事ができるし、彼女が困っている時は私が手を差し出す事ができる。
家に帰れば彼女が居て、一緒に料理をして、一緒に夕飯を食べる。風呂に入る事だってあるかもしれない。すっぴんや裸を見られるのは少々恥ずかしいと思うが、女性同士なのだから、特別恥ずかしがる必要は無い。
「梢ちゃんって自分の部屋欲しいタイプ?」
訊ねると、彼女の手にあるコップに入っている氷がカラン、と心地良い音を響かせた。
「うーん……別に無くてもいいかなぁ」
「そうなんや」
「小豆ちゃんはあった方が良い?」
「いや? 私も別に無くてもええけど、本を置くスペースは欲しいかなぁ」
言いながら、彼女が見ていたメニュー表を覗き見ていると、彼女がそれを横に向けて見やすいようにしてくれた。「ありがと」と短く礼を言って、どれにしようか悩みながら話を続ける。
「梢ちゃんは作業スペースあった方がええんちゃうの?」
「あぁ、確かに」
「今は……一人暮らしやから普通にリビングでやってんのか」
「うん。でも実家の時は自分の部屋でしてたかな」
「じゃあリビング兼作業部屋になりそうやなぁ。あんまり家賃高くなっても困るしな」
「そうだね」
私はこれにしようかな、と彼女が茶壺抹茶パフェというのを指差した。その名の通り壷のような器に抹茶アイスや生クリーム、茶団子などが入っているパフェだ。
「全然ランチメニュー見ぃひんなぁって思ってたけど、ほんまにデザート行くんや」
「せっかく抹茶が食べられるんだから、食べられる時に食べとかないとね」
「別に向こうでも食べられるんちゃうの?」
「それはそれだから」
「あぁ、そう」
メニュー表が私の方に向けられ、ぱらぱらとページを捲る。昼食がパフェだけだったので、それなりにお腹が空いていた筈なのだが、歩き回って疲れているのか、いまいち食欲が無い。彼女のようにパフェが食べられるような気分では無かったので、量が少なそうな宇治抹茶クリームぜんざいというのに決め、店員を呼んで注文する。
それからまた少しそれぞれの理想の家について語り合っていると、彼女のパフェが先に運ばれてきて、それから五分も経たないうちに私のぜんざいが運ばれてきた。
早速食べようかと箸を持つと、ちょっと待って、と彼女に止められる。何事かと思いながら割り箸を割って彼女を見ると、彼女は携帯を構えていた。どうやら写真を撮りたいようだった。
カシャ、カシャ、と彼女が角度を変えながら何枚か写真を撮り、それから私にレンズを向けた。私は咄嗟に左手で目を隠した。その瞬間、カシャ、と小気味良い音が聞こえた。
「ちょっと」
彼女が携帯を下ろし、睨んでくる。
「さっ、食べよっか」
「もう」
拗ねたような声が聞こえて安心し、食べようと器を持って口を近付けた時、カシャ、と嫌な音が聞こえた。見ると、彼女がにやにやと笑みを浮かべて私を見ていた。
軽く睨んでから、見なかった事にして白玉を食べる。馬鹿正直に感想を言うと、抹茶は抹茶で、白玉は白玉だった。美味しいのは分かるが、他の抹茶や白玉との味の違いが分かる程、私は詳しくない。当然、これをそのまま口にすると、また彼女から冷たい視線が飛んでくるのは分かっているので、無難に「美味しい」とだけ口にする。
「小豆ちゃんって新しく彼氏作ったりしないの?」
不意に彼女がそんな事を訊ねてきた。
「今の所予定は無いかなぁ。出会いも無いしな」
保育園で働いていると、出会うのは女性ばかりだ。子どもを迎えに来る人の中にも男性は居るが、十中八九結婚している。一緒に働いている保育士にも男性は居るが、仕事以上の関係にはなりそうにない。私の好みではないのだ。
「前の彼氏に未練があったり……?」
恐る恐ると言った様子で彼女が訊ねてくる。
「んー、別に無いかな。階段で足滑らせればええのに、とは思うけど」
「ふぅん」
正直に答えたつもりだが、これだけでは彼女は納得できないらしい。しかしいくら訊かれても私の答えは恐らく殆ど変わらないだろう。ふと彼の事を思い出す時はあるし、その度に別れた時の事が思い出されて、泣きたくなる時もあるが、そこに彼への恋心は全くと言って良い程無い。
「そういう梢ちゃんはどうなん?」
「私はもう、小豆ちゃんより出会い少ないから」
「仕事仲間とかそういうなんは?」
「いないかなぁ」
「うん。そんな気はしてた」
私も彼女から何でもかんでも聞かされているわけでもないので、彼女の交友関係についても殆ど知らないが、普段から聞く彼女の話では、彼女は買い物以外の殆どの時間を家で過ごし、仕事ばかりしている。そんな彼女が話す相手の大半が仕事関係だという事は簡単に想像できる。
「新しく彼氏作らんの?」
「……彼氏も別にいいかなぁ」
「梢ちゃん男運悪いもんなぁ」
「ほんとにね」
はぁ、と彼女が大袈裟に溜め息を吐いた。
器を空にして、これからの予定を軽く話してから立ち上がり、会計に向かう。彼女から財布を出すなという圧を受け、それに屈した私は仕方無く彼女に会計を任せ、カフェの手前にあった雑貨を眺める。
鞄に入れたままになっている扇子の存在を思い出し、どうしようか悩んでいる間に彼女が会計を済ませ、さも当然かのように私の右手を取って、店を出た。
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