第29話 遅いようで早い集合時間

 彼女から無事に新幹線に間に合ったという報告を受け、ほっと胸を撫で下ろす。


 昨夜は眠れないという彼女から電話が掛かってきて、話し込んでいるうちに日を跨ぎそうになった。それに気が付いたのはほんの五分程前の事だったので、実際に眠りに就いたのは完全に日を跨いだ後だっただろう。


 彼女には申し訳無い事をした。眠れそうな気配が無くて、ベッドの上で漫画を読んで寛いでいた所に彼女から電話が掛かってきて、つい調子に乗って話しすぎてしまった。幸いにも彼女は寝坊する事無く、予定していた時間の新幹線に乗れたようだが、寝不足にはなっているかもしれない。


 念の為、前回のオフ会よりも一時間遅く集合時間を指定していたが、それでも朝早くから色々と準備をしていたらのんびりはしていられないだろう。


 お詫びに思い切り甘やかしてやろうかな、なんて企みながら朝起きてから悩みに悩んだ服に着替える。結局いつも通りの恰好のような気がして、少しでも違いを付けようと、ネックレスを着ける。私を捨てた彼氏が誕生日にくれた曰く付きの物ではあるが、私の誕生月である十一月の誕生花であるブバリアという花が小さく咲いていて、デザイン自体はとても気に入っているし、値段を考えると捨てるのも勿体なくて残していたのだ。


 こんな物を残しているから未だに彼の事が胸に残っているのだろうか。そうやって沈みかけた思考を振り払うように深呼吸をして、鏡の前に立って髪や服などを整える。


 鏡の中の自分を見て、なかなか可愛いのではないかと自画自賛する。気紛れに気紛れを重ね、下着から化粧まで張り切り過ぎない程度に時間を掛けてやってみたが、少なくとも自分好みにはなった。


 壁掛け時計を見て、何をしようかと悩む。今から出ても集合時間の一時間前には着いてしまう事になる。とは言えこんなにも気分が良いのに、何もせずに家でじっとしているのも苦痛だった。


 携帯に財布、お金、ポーチ、鍵、と忘れ物が無いかをよく確認し、鞄を肩に提げて部屋を出る。リビングへ行き、冷蔵庫からペットボトルのお茶を持ち出すついでに寛いでいる両親に声を掛ける。


「行ってくるわ」

「もう? 早くない?」

「暇やし」

「まぁ、向こうの方が色々あるか」


 私が暇だからと予定より早く家を出るのはいつもの事なので、母も一度は驚きながらもそれ以上は何も言わず、私を見送ってくれる。


 忘れ物をしていないか、改めて確認し、靴箱から比較的歩きやすい厚底の靴を取り出し、トントン、と地面を蹴って踵を入れる。


「じゃあ気ぃ付けてな」

「はぁい」


 背中を向けながら返事をして、駅へ向かう。今日も相変わらず鬱陶しいくらいに晴れていて、ただでさえ上機嫌だった私の気分は更に上向きになって、足取りも軽くなる。


 電車の到着時間など何も考えずに出たが故に、駅が見えた頃にちょうど私が向かう京都行きの電車が駅を出発してしまう所が見えた。しかしその程度では今日の私の気分は落ち込まない。


 十五分後にやってきた京都行きの電車に乗り、見慣れた景色に目を遣りながら揺られる事三十分、京都駅に到着し、人波に乗って、一先ず集合場所である新幹線の改札前の広場に向かう。


 当然ながら彼女はそこにいない。念の為に少し待ってみたが、彼女が新幹線に乗ったという時間が正しければ、あと一時間近く彼女は来ない筈だ。


 これが静岡だったなら迂闊に動くわけにはいかないので、どうするか迷っていた所だが、今回は何度も来た事があって、ある程度の土地勘のある場所だ。この辺りで時間を潰せる場所くらいは知っているし、多少離れた場所に行っても戻って来られる。


 しかし暇潰しとして真っ先に思い付いたショッピングセンターなどには後ほど彼女と一緒に行く予定なので、そちらには行かずに、駅の近くにある本屋に向かう。その途中、いくつか土産屋があり、その中に彼女の好きな抹茶のスイーツを見つけ、ふらふらと近寄ってみる。


 彼女にプレゼントをしようと言ってすっかり忘れてしまっていた事を思い出した。まぁいいか、とまたいつものように諦める方向に向かう思考を振り払う。


 目の前にある生八つ橋を手に取り、考える。こういう土産として売られている食品はそれなりに持つ物ではあるだろうが、旅行の一日目に買う物でも貰うものでもないだろう。念の為賞味期限を確認してみると、一週間ほどは保つようではあった。


 食品以外で、京都らしいプレゼント、もしくは私らしいプレゼントは何だろうか。京都らしい物と訊かれてまず思い浮かぶのは扇子だ。扇子なら普段使いもしやすいが、自分ではなかなか買わなさそうなので、プレゼントにはちょうどいいように思える。


 八つ橋を一旦元に戻し、雑貨も売っている筈の本屋に向かう。その途中に見かけたお茶のパックなんかも良さそうではあったが、わざわざ作らなければならないのは、自分が貰ったとして面倒だと思ってしまうので、候補から外す。


 本屋に着いてまず見つけたのが手帳だ。しかし彼女が手帳を使うとは思えない。それから手拭いや、京都らしい柄の入ったハンカチなどもあったが、どれもしっくり来なかった。単に私の好みの問題なのかもしれないが、やはり私は扇子が良いと思えた。


 どうせなら良い物を買おうと、場所を移動し、百貨店へ向かう。百貨店には前回のオフ会で行ったため、今回は行く予定をしていない。そのため、そこで買ってしまえばどこで買ったかバレてしまう心配は無い。


 百貨店に到着し、フロアマップを見て扇子のような和雑貨が売っている店を探し、エスカレーターに乗る。少し早足気味に向かい、寄り道はせずに扇子の売っている場所に来て、真っ先に目に入った扇子の値段に思わず声を出しそうになる。百貨店に売っているのだから、安くはないだろうとは思っていなかったものの、まさかこれほどまでとは思っていなかった。


 眉間に皺を寄せ、彼女に似合いそうなものを考え、覚悟を決めてそれを会計に持って行く。お金を余分に持って来ていた事に安心して、店を出てからほっと息を吐いた。


 思ったよりも時間が経っており、彼女が来る筈の時間まであと十分ほどになっていた。


 私はまた早足気味に歩き、先程無駄に十分程待っていた改札前の広場に向かう。


 無事に集合時間には間に合ったものの、息は切れ、背中には汗が滲んでいる。こんな筈ではなかったのに、と自分の計画性の無さを恨みながら息を整え、携帯を鏡にして乱れた髪と服を直し、彼女を待つ。


 五分程して、新幹線の改札口からたくさんの人が現れる。じっと見つめていると、キャリーバッグを持った一人の女性と目が合った。その瞬間、彼女は花が咲いたように笑みを浮かべた。

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