第26話 梢の思惑

 予め決めておいた所までの作業を進め、データを保存し、ペンを置いて、立ち上がって凝り固まった身体を解そうと思い切り伸びをする。ふぅ、と息を吐きながら天井に向けて伸ばした腕を下ろし、脱力すると、強烈な疲労感と微かな眠気に襲われる。


 ベッドに腰掛け、作業に集中するために放置していた携帯を手に取り、身体を投げ出すように横になって写真フォルダを開く。


 二週間ほど前に行った彼女との旅行で撮った写真をそろそろ整理しなければならないなと思っていたのだ。実家に帰省していた時など、時間は大量にあったので、その時にできなくもなかったのだが、如何せん写真の枚数が多く、その時はやる気が出なかった。結局そのまま今日までやる気を出さないまま来てしまったのだが、そろそろ整理して要らない写真は消すなり他に移すなりしなければ、携帯の容量が無くなってしまう。


 改めて見てみると、写真を撮り始めたのが動物園で、それ以外では殆ど写真を撮っていなかったので当然だが、動物の写真が大半で、残りは大体彼女がメインで映り込んでいた。


 その中の一枚で、シマウマと一緒に映る彼女を見て、小さいな、と改めて少々失礼な事を思った。あの日も口には出さなかったが、もし直接彼女に言っていたら、怒りはしなくとも、悪印象は与えてしまっていただろう。もしかしたらそれをきっかけにもっと早く打ち解けられたかもしれないが、初めての顔合わせでそれを言う度胸は無かった。


 本人から聞いただけなので、本当の所は分からないが、彼女は身長が百四十五センチほどらしい。そういう私も百五十五センチほどで、女性の平均身長と同じかそれ以下なので、あまり彼女の事を小さいとは言っていられないのだが、その私でも彼女と話す時は顔を少し下に向けていたのだから、やはり彼女は相当に小柄だ。


 しかしそれを感じさせないくらいに、彼女はスタイルが良い。外にいる時はコートを着ていたので分かりにくかったが、カラオケに入った時や飲食店に入った時にコートを脱いだ姿を見て、彼女の胸の大きさとウエストの細さに内心驚いたのを覚えている。


 彼女は身長が伸びなかった分の栄養が女性特有の胸元に行っていて、太って見えるから嫌だと贅沢な悩みを言っていた事もあったが、豊満な胸に細い腰というのは、セクハラになりかねないのであの日は口に出さなかったし手も出さなかったものの、女性の私からしても羨ましい限りだった。


 いつだったか、彼女は最近嵌まっている事として自分磨きだと言っていた。恐らくは付き合っていた彼氏のためだったのだろうが、彼氏と別れてしまった今もそれは継続しているらしく、髪も肌も体型も、何もかもが見惚れてしまう程に綺麗だった。


 そんな彼女もメイクが苦手だったり、ファッションセンスが無かったりと、それらしい欠点はあるようだが、それも本人が言っているだけで、本当かどうかは分からなかった。しかし彼女は確かにあまりメイクやファッションについて話さないので、興味自体あまり無いのだろう。


 彼女が映っている写真をじっと見つめていると、時間が流れるばかりで、当然ながら整理は全く進まない。いい加減進めなければと良く撮れている写真や一枚しか無い物は残し、あまり綺麗に撮れていない物は削除していく。


 そうした中で、私と彼女二人のツーショットが無い事に気が付いた。これだけの枚数を撮っているというのに、隠し撮りのように撮る遊びをしていた所為で、すっかり忘れてしまっていた。一枚くらいあるだろうともう一度上から見直してみたが、やはり私たち二人が映っている物は無かった。


 ツーショットを撮った記憶が無いので、無いとは思いつつも、念の為に彼女にツーショットが無いか訊ねてみたが、案の定彼女もそんな写真は持っていないらしい。


 次に会った時には必ず忘れずに撮るようにしようと心に決め、一旦写真整理を中断する。


 身体を起こし、ベッドから立ち上がって台所へ向かう。冷蔵庫からお茶を取り出し、喉を潤してから簡単に昼食を作る。


 今は何となく卵が食べたい気分で、偶にはちょっと頑張ってみようか、と母に教えてもらった朧気な記憶と経験を頼りにフライパンを握る。


 暫くして、色の薄いケチャップライスと穴だらけの卵を見ながら、そういえば彼女は料理が得意だったな、と思い出す。そして出来の悪いオムライスの写真を撮り、彼女に『見て』というメッセージと共に送信する。


 私の記憶が正しければ、彼女はオムライスが好きだった筈だ。より厳密に言うならオムライスに限らず目玉焼きや茶碗蒸しなど、卵料理なら何でも好きだったと記憶している。


 リビングのローテーブルに持って行き、さあ食べようという所で、彼女からの返信が来た。


『練習中?』


 そう言われて写真を見る。なるほど、確かにそういう風にも見える。


 端をスプーンで掬い、口に入れる。味は見た目に反して普通だった。いや、ケチャップライスにしては薄いのかもしれないが、その判別が付くほどの実力は無い。


『今日のお昼ご飯。まずくはない』

『私の分は?』

『無いよ』

『けち』

『小豆ちゃんが作った方が美味しいでしょ』

『梢ちゃんのが食べたいの』

『じゃあ料理教えて』

『それはそっち行った時じゃないと無理やな』


 彼女のメッセージを見て、部屋を見渡す。それもありかもしれないな、と思うが、そんな気軽に行き来できるような距離感では無い。


 食べ終えた食器を片付け、彼女との会話はほどほどにして作業に戻る。


 イラストレーターとして活動し始めて暫く、一人暮らしがなんとかできるくらいには依頼を貰えている。創作キャラクターの衣装デザインや一枚絵だけでなく、最近はVtuberの立ち絵に、それを動かすためのモデリングという作業も請け負っている。


 ただ依頼を受けて絵を描いているだけではなく、もちろん絵の練習や勉強も忘れずにやっている。それ以外にもモデリングの勉強もしなければならない上に、一人暮らしをしているため、買い物に掃除、それから洗濯に料理と、やらなければならない事がありすぎて、最近は趣味の絵を殆ど描けていない。


 家事をやってくれる人がいれば、と一番に思い浮かんだのは彼女だった。彼女は料理が得意で掃除も好きだと言っていた。彼女なら私の仕事を理解してくれているし、通話を初めてからお互いの事はよく分かるようになっている筈だ。女性同士なので、間違いも起きないだろう。一緒に住むとなれば、彼女には仕事があるため、恐らく私が京都に行く事になるが、それはそれで全く問題は無い。


 彼氏と別れたのをまだ無意識に引き摺っていて、人肌が恋しくなっているだけなのかもしれない。実際に同棲をしてみると、互いの嫌な部分が見えて、関係が壊れてしまうかもしれないが、上手く行けば今よりも更に仲が深められるだろう。


 冗談なのか本気なのかは分からないが、彼女も実家を出たいという話をしていた事があった。だからと言って私と暮らしたいかどうかは分からないが、同棲すれば家賃を半分にできる上に、家事も二人で分配することができる。仲が悪くなってしまう可能性がある事以外は、将来の選択肢としてなかなか良いのではないかと思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る