第25話 鞍野梢との出会い

 鞍野梢と知り合ったのは、今から六年ほど前、私が高校二年生の頃だった。


 その頃彼女はまだイラストレーターとして活動はしておらず、趣味でアナログのイラストを描いて、それを投稿して、たまにその作業をしながら配信をしていた。私はその彼女の投稿をたまたま見かけ、配信を見に行っていた、言わばファンのような状態だった。


 仲良くなった明確なきっかけという物は無かったように思うが、同じ学生で、他の人に比べて年齢が近いからか、私がネットで関わっていた人の中では一番中が良かったとは思う。


 初めはただの配信者と視聴者という関係だったが、今流行っている配信者よりはずっと距離が近く、配信上ではなく、SNS上で彼女から話しかけて来てくれる事もあり、いつからかやり取りも敬語からタメ口に変わり、いつの間にか本当に友達のような関係になっていた。


 月日が経ち、彼女が高校受験に集中するために配信の頻度が低くなると、当然彼女と話す機会も減った。私の他に彼女の配信を見ていた人も居たが、その人たちもいつの間にかSNSに投稿される事が無くなり、アカウント自体が消えてしまっている人も居た。


 その頃には私も大学生になっており、彼氏もできて、毎日ピアノの練習や課題、アルバイトなどで忙しくしていたが、せっかく仲良くなった彼女との縁が切れてしまうのは勿体ないような気がして、彼女がたまにSNSに顔を出した時には必ず話し掛けに行った。


 そのうちLINEを交換して、最近やっているゲームの話や学校生活の話、お互いの彼氏の話など、よりプライベートな事を話すようにもなっていった。


 彼女を一緒にゲームで遊ぼうと誘ったのは、現実逃避の意味もあった。当時付き合っていた彼氏が浮気をしていた事を知ったのだ。


 彼とは高校の時に所属していた吹奏楽部で知り合い、その年の夏休みに告白され、付き合う事になった。初めはただ良い人だと思って、何となくで交際を始めたが、付き合ってみると彼の優しくも引っ張っていってくれる所に惹かれていき、いつの間にか好きになっていた。それこそ結婚を考えるくらいに好意を持っていた。


 彼は私の事をとても大事にしてくれているのがよく分かったため、私もそれ以上に彼を大事にして、彼のためにがんばろうと思っていた。大学や研修で辛い事があってもがんばれていたのは、彼が居たからこそでもあった。


 そんな彼の浮気を知った私は、裏切られたような気持ちになり、体調を崩してしまう程にショックを受けた。浮気はたった一度の事で、飲み会で魔が差した、と彼は正直に言ってくれた。しっかりと謝罪もしてくれたし、二度としないとも言ってくれた。それが本当かどうかは分からなかったが、必死になってそんな事を言ってくれるくらいには私の事を想ってくれているのだと思うと嬉しかった。


 結局私は彼を許す事にしたのだが、それ以降、何となく彼の意識が私から逸れているような気がした。気のせいだと思いたかったが、確かに彼の態度が少し冷たくなったのを感じた。


 もうすぐ別れる事になるな、と半ば諦めの気持ちが生まれたが、それでも私は彼の事が好きで、どうにかまた私を見てくれるようにならないかと、以前よりも尽くすようになった。


 しかし一方的な恋愛ほど空しい物は無く、徐々に私も疲れていった。どうして彼は別れを切り出してこないのか、理由は分からなかったが、それでも続く限りはこの関係を続けようと思っていた。


 そんな時、中学生の頃よく遊んでいたゲームの新作が出る事を知った。大学生になってから忙しくなった事もあって、ゲームに対する関心は低くなっていたが、それはどうしてもやりたかったのだが、ゲーム機から買わなければならなかった。


 そのゲームをやるためだけにゲーム機を買うのはさすがに躊躇われたが、誰か一緒にやってくれる人がいるなら買おうと思い、まず彼氏にその話をした。しかし彼はそのゲームにあまり興味は無いようで、断られてしまった。そこで私は彼女を誘う事にした。


 彼氏の他にも大学には友達は居たが、ゲームの話なんて殆どした事が無い上に、遊びに行った事すらも殆ど無かった。本当に友達なのか疑わしい所だが、遊んでいなかった理由の大半はそれぞれが忙しかった所為だ。別に仲が悪いわけではなかった。それに、彼女ともっと仲良くなりたいとも思っていたのだ。


 いざ彼女を誘ってみると、彼女もそのゲームをやりたいと思っていたらしく、そういう事ならと気分が変わって躊躇ってしまう前にゲーム機とソフトを購入し、彼女に報告した。


 そしてゲームをやるからにはやっておきたい事があった。今までこのゲームの過去シリーズを同じように友達とやった事があるが、その時は家に集まってするか、通話を繋げて喋りながらやっていた。そうでなければ一人でやっているのと変わらない。


 彼女が嫌がる可能性は充分にあったし、自分の声には少しコンプレックスがあった。私は身長の割に男性のような低い声をしていて、声変わりをした中学生の時にからかわれた事もあったし、初対面の相手には大体この声に対する驚きの声を貰うが、あまり気持ちの良い物では無かった。


 だから彼女ともそれまで通話をしてこなかったし、彼女のように配信をしたりもしなかった。からかわれるのもそうだが、落胆されるのも嫌だった。しかし彼女ともっと仲良くなると決めたからには、この問題は解決しておきたかった。


 覚悟を決めて彼女に電話を掛けると、忘れかけていた彼女の声が聞こえた。心臓が飛び出そうになるのを必死に隠しながら彼女のハンドルネームを呼んだ。数年の付き合いのある二人のやり取りとは思えないくらいにぎこちないやり取りをして、ゲームをする日を話し合いながら、徐々に打ち解けていった。


 ゲームを一緒にやるようになったと同時に、声でのやり取りも始めた事によって、当然会話は増え、お互いの事を知る機会も増えた。彼女の好きな食べ物や、お気に入りの化粧品など、今までならあまり気にしていなかった事でも、話す時間ができて、場を繋ぐためのちょっとした質問として訊いているうちに、たくさんの事を知った。


 しかし彼女と仲良くなっていくに連れて、彼氏との関係は確実に悪くなっていった。そしてとある梅雨の日の事。彼から電話で別れを告げられた。あっさりと別れましょうとはいかず、納得するために理由を問い質してみると、もう好きじゃなくなったのだと言った。加えて、好きな人ができたとも言われた。


 何となく察していたため、驚きはしなかったものの、涙が溢れた。彼は最後まで優しかったが、その優しさが辛かった。逃げるように電話を切り、部屋で静かに涙が涸れるまで泣き腫らしながら、恨み言の一つでも言えば良かったと後悔した。


 彼女からオフ会の提案をされたのはそれから一ヶ月ほど経った頃の事だった。体調を崩していた彼女が心配で電話を掛けてみると、彼氏に振られたという話を聞かされ、あまりに落ち込んでいるものだから、ちょっとした笑い話にでもなればと自分の話をした。


 彼女は思った以上に食い付き、哀しみは怒りへと変わり、少し道筋は違った物の、笑い話になった。それから慰安旅行にでも行くか、なんて話をしていると、彼女が突然「小豆ちゃんに会いたい」なんて言い出した。


 冗談なのか本気なのか分からなかったが、私も彼女に会いたいという気持ちがあった。


 彼女の事は親友とさえ呼べる程の存在だと思っているのに、一度も会った事が無いというのは寂しいと思っていた。もちろん不安はあったが、それ以上に彼女ともっと仲良くなりたいという気持ちが大きかったのだ。


 仕事にも慣れてきて、行くなら仕事が暫く休みとなる年末年始だろうと、それまでに旅行資金も充分に貯めた。後は彼女にもう一度提案をするだけとなった。


 いつも通りゲームをしながら、ふと思い出したかのように話を切り出す。


「そうや、オフ会やけどさ、年末……二十七日から暫くは休みやし時間取れるけど、どう?」

『何か予定あった?』

「え? 会おうって話してたやん」


 やっぱり忘れていたのかと呆れていると、画面の端に彼女のアバターが敵に吹き飛ばされるのが見えた。


『えっ、ちょっと待って? あれって冗談じゃなかったの?』


 彼女のリアクションがあまりに良いものだから、ついからかいたくなって、「別に会いたくないならええけど」といじけたように言ってやる。


『待って! 会いたい!』

「うるさっ」


 思わずそう言いながら笑ってしまうくらいに大きな声がヘッドホンから響いてきて、彼女の小さな『ごめん』という言葉と同時に、ゲーム画面にはゲームオーバーの文字が表示された。

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