第19話 やっぱり貧乏舌
閉館時間の直前、一階にショップがあった事を思い出し、最後にそこを見てから帰ろうという話になった。
ショップにはまた色々な種類のオルゴールがたくさん置いてあり、一つくらい買って帰ろうか、なんて思って迷っているうちに閉館時間がやってきて、結局何も買わずにロープウェイに乗って下山する事となった。
「これは本格的にリベンジに来なアカンなぁ」
「そうだね」
彼女は少し眠たそうにしていて、このまま私が黙っていれば眠ってしまうのではないかと、ちょっとした悪戯心が擽られた。それを紛らわすように窓の外に意識を向ける。
いつの間にか陽は沈み始めており、空色も朱が藍に浸食されてきている。下の方を見てみれば、遊園地の辺りが色とりどりに輝いていた。
それを見て、何となく綺麗だとは思うけれども、特別心が動かされる訳ではない。あの展望台からの景色も、確かに綺麗ではあったが、あの場でプロポーズされても大して特別感は無いだろうと思うが、ああいう物で感動できるような感性が羨ましいとも思う。
不意に右手に彼女の手が触れる。彼女を見ると、眠たそうにも、どこか悲しそうにも見える、そんな表情をしていた。
「どうしたん?」
思わず訊ねた。すると彼女はゆっくりとその唇を動かした。
「……寒いかなぁって」
寂しいのだろうか。ふとそう思った。それから、そういえばもうすぐこの楽しい時間が終わるのだな、と思う。
別に彼女と何か特別な関係という訳ではない。ただSNSで彼女を知って、ゲームをきっかけに仲良くなって、お互いに相談をし合っているうちに、今日の事が計画されて、こうして実際に会ってみる事にした。ただそれだけの事なのだが、こうして一日にも満たない短い時間を一緒に過ごしただけで、なかなかどうして離れ難くなるらしい。
きっと彼女もそう思ってくれているのだろう。そうでなければこんな風に触れてくる必要が無い。
「ありがと」
手の平を上に向けて、重ねられた彼女の手を握る。彼女のその温かい手は不思議なくらいに私の手に丁度良く合った。そのフィット感が心地良くて、軽く握り締めてみたり、親指で彼女の手を撫でてみたりと、彼女の手の感触を確かめていると、それに応えるように彼女が強く握り締めてくる。
そんな意味も無い事を繰り返しているうちに、車輌は遊園地横の駅に到着し、今度はふらつかないように気を付けて降りようとしていると、先に降りた彼女が繋いだままの手で支えてくれた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ふっ、と優しい笑顔が目に留まり、何となく恥ずかしくなって、咄嗟に目を逸らす。
変に思われてないかどうか不安になりながら、彼女と薄暗い道を歩く。
「次はもう夕飯食べに行く感じ?」
「そうだねぇ。小豆ちゃんは今日帰るんだよね?」
「うん。ちょっとくらい遅くなっても大丈夫やけどね。因みにどこに食べに行くの? さっき通ったとことか?」
「いや、あっちの方行っちゃうと帰るのにまた時間掛かっちゃうし、下手するとバスが無くなっちゃうから、とりあえず駅まで戻ろうかなぁって」
「了解。近くにバス停あるんやっけ?」
「うん。さすがに疲れたでしょ?」
「まぁね。言うても全然歩けるけど」
「帰りに寝過ごしても知らないからね?」
「それは困るわ」
遊園地前にあるバス停まで歩き、待つ事数分、バスに乗り込んで駅まで戻る。行きと同じ時間乗るのだから、酔うのは確実なので、目的地が終点なのを良い事に、二人して眠って誤魔化す事にした。座席に浅めに座ると、彼女の肩が丁度良い高さになるので、彼女の肩を枕に使わせてもらう。
目を覚ますと、「おはよう」と彼女の声が頭の上から降り注ぐ。身体を起こし、口元を手で拭って涎が垂れていなかった事に安堵しつつ、彼女をちらりと見て「おはよう」と返す。それから窓の外を見て現在地を確かめようとしたが、外は真っ暗な上に、もし見えたところで知らない土地なのだから分かる筈も無かった。
「もうすぐ終点だよ」
彼女がそっと教えてくれた。狭い座席で伸びをして、ぱちぱちと瞬きをして頭を覚醒させる。
「梢ちゃん、酔いは大丈夫?」
「うん。今のところは」
「さすがにここからは酔わへんのちゃう?」
「多分ね。小豆ちゃんは大丈夫?」
「うん」
頷いてから、自分の中に意識を向けるが、息苦しさも吐き気も、何も感じなかった。
水を飲もうとして右手を持ち上げると、一緒に彼女の左手も付いてくる。どうしたものかと一瞬だけ悩み、そのまま左手で鞄からペットボトルを取り出し、指先で何とか蓋を摘まんで開いて水を飲む。
「器用だね」
くすくすと彼女が笑う。
「飲む?」
「えっ? ううん。大丈夫」
彼女が顔を振ると、横に垂れた長い髪がさらさらと揺れる。
少ししてバスは終点に到着し、忘れ物が無いかどうかしっかりと確認してからバスを降りる。空はすっかり黒に染まってしまっているが、駅前のこの街はまだまだ賑やかだった。
「どこ行くの?」
「こっち」
彼女が駅の方を指差し、私の腕を引く。私としてはこのまま手を繋いだまま歩いていても何も気にならないのだが、彼女は何とも思っていないのだろうか。一瞬そんな不安がわき上がってきたが、もし嫌だったなら、バスで私が寝ている間に離してしまっていただろう。そう思うと嬉しいような、恥ずかしいような、妙な気分になった。
人の波に乗るように歩く事五分、彼女が好きで鰻を食べるならここだという店にやってきた。店は駅のすぐ近くにある事もあってか、それなりに人気のようで、十分程受付の前で待つ事になったのだが、その間ずっと美味しそうな醤油の匂いが食欲を擽ってきていた。
夕飯には少し早い時間で、昼食も遅めだったために、あまり空腹を感じていなかったのだが、ここで少し待っている間にお腹がきゅぅっと鳴き声を上げ始めた。幸い彼女にも周りにも聞こえていなかったようだったが、それでも聞こえているのではないかと思うと気が気でなく、お腹を凹ませ、背筋を伸ばしてなんとか抑え込もうと試みる。
そうしている間に席に案内され、料理一つ一つの値段に戦きながら、彼女のおすすめする鰻重を注文して、乾燥した口の中をコップの水で潤す。
「いっつもこんなええもん食べてんの?」
「いやいや、さすがにこれは滅多に食べないけど、たまにね」
「誕生日とか?」
「うん」
「まぁ、それくらいの時じゃないと食べられへんよなぁ」
私が今恐れているのは、本物の鰻を食べて、その違いが分かるかどうかだった。決して自慢できる事ではないが、私は所謂貧乏舌というやつで、鰻重の鰻が穴子に変わっていたところで気付ける自信は無いし、経験上、高級な物は慣れていない所為で美味しく感じない事もよくある。
そんな不安を感じながら、届いた鰻を口に放り込んでみる。そして頭に浮かんだのは、鰻っぽい、という語彙力の欠片も無い、薄っぺらい感想だった。それをそのまま口にするわけにもいかず、何とか「美味しい」という言葉を先に吐き出した。
「でしょ?」と彼女は満足そうに頷き、また美味しそうに鰻を味わっていた。
美味しいのは分かるが、いつも食べている物と何が違うのかと訊かれると、何も分からない。同じような気もするし、何だったらいつも食べている物の方が美味しいとさえ思えてくる。結局こういう物は慣れなのだろう。
きっと私はこのまま何も言わない方が良いのだろうな、と思い、とにかく笑顔を貼り付け、一口百円、なんて考えながら大事に大事に味わった。
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