第16話 side梢
遠くの方で楽しそうに敷地内を走り回るダチョウを目で追い掛ける彼女もまた楽しそうにしていた。
そんな彼女を見て、ふと思った事をそのまま訊ねてみる。
「小豆ちゃんの一番好きな動物って何?」
「一番好きな動物?」
彼女は言葉を繰り返し、それから何も無い地面を見つめて固まってしまった。うーん、と時折唸るような声を漏らしているので、恐らくは考えているのだろう。
「そんなに悩む?」
そう言うと、人形のように固まっていた彼女が動き出した。
「うん。一番って難しくない? って思ったけど、あれやな。梢ちゃんはカピバラが一番好きなんやもんな」
「うん。でも猫とかも好きだよ?」
「でも一番ちゃうやろ?」
「まぁ、一番ではないかなぁ」
「私はなんやろなぁ……狼も好きやし、チンチラも好きやし、鴉も好きやし……、ハシビロコウとかも可愛いよね。あとさっき見たヤマアラシも可愛かったし……」
止めなければいつまでも続くのではないかというくらいに次々と動物の名前が並べられていく。あれもこれも、と想像しながら言うその姿はまるで誕生日プレゼントを何にしようか悩んでいる子どものように見えて、思わずくすくすと笑ってしまう。
「何?」
彼女が眉間に皺を寄せて睨んでくるが、相変わらず可愛いばかりで怖さは無い。
「可愛いなぁって思って」
そう言うと、眉間の皺が濃くなった。
「子どもっぽいって思ったやろ」
どうして分かったのだろう、と驚きのあまり頷くと、彼女はふぅ、と溜め息を吐いて、そのまま何も言わずに背中を向けて歩いて行ってしまう。もしかして怒らせてしまっただろうか、と慌てて後を追いかけて何度か謝っていると、不意に彼女の手が伸びてきて、額に鋭い痛みが走った。
突然の事に驚きながら彼女を見ると、「昨日の仕返し」と悪戯が成功したように笑って、それからさっさと歩き去って行く。文句を言うよりも彼女が怒っていなかった事に安心してしまい、頬が緩みきっていた。
それから孔雀やペンギン、アシカなどを見て、写真を撮り、ついでに彼女の事も写真に収める。初めは少し嫌そうにしていたが、段々と慣れてきたのか、テンションが上がって気にならなくなったのか、ポーズを取ってくれたりもしていた。お蔭で全部を見終わった頃には彼女の写真が一番多くなってしまっていた。
私はこれをこの後どうするつもりなのかと自問するが、とりあえず今は良いかと気付かなかった振りをして、動物園を後にする。
ゲートを出て、道路を渡り、湖沿いの道を進む。すぐそこには港があり、遊覧船なんかがそこから出ているが、今日の目的をそれではない。いつか乗ってみるのも良いかもしれないと思ったが、すぐに思い直す。きっと私たちが遊覧船に乗ろうものならバスに乗った数倍酷い目に遭うだろう。
「ここから歩いて行くんやっけ?」
彼女がこちらを見上げて訊ねてくるが、すぐに彼女の視線は下へ落ちていく。
「うん。バスもあるにはあるけど、多分待ってる間に着くと思う」
「因みに歩いてどれくらい?」
「三十分くらいだったと思う」
「三十分か……。私はええけど、梢ちゃんは大丈夫? 疲れてない?」
「疲れてはないけど、お腹空いた」
なんとなく予定していた時間から、既に一時間以上過ぎてしまっている。朝ご飯を食べた時間と食べた量を考えると、お腹が空くのも当然の事だった。
「ほんまに大丈夫? バス停そこにあるけど」
「うん。大丈夫。バスに乗っても一駅分だし、そんなに変わらないと思うんだよね」
「そうなん?」
「多分ね?」
そんな事を言っていると、噂をすれば影とでも言うべきか、バスが私たちを追い越し、客を降ろしてすぐに出発した。その後ろ姿を見届けた後、彼女が言う。
「まぁ、食前の運動って事で」
「そうね」
少し残念に思ったのは事実だが、もし空腹状態の今バスに乗っていたら、たった一駅分の距離だったとしても酔ってしまっていたかもしれない。そう考えると乗らずに歩いていた方が後は楽だろう。
「何か観覧車が見えるんやけど」
彼女が湖の向こうを見て言った。
「あぁ、うん。あそこ遊園地……? うん。遊園地があるから」
「そんなに大きくない感じ?」
「そうだね。子ども向けって感じだと思う」
「なるほどね」
どうやら遊園地にはあまり興味が無いらしい。
彼女は表情がとてもよく動く。昨日はそんな事を気にする余裕も無かったが、彼女は楽しい時には本当に楽しそうに笑っているし、私を心配してくれている時には今にも泣き出してしまうのではないかと思うくらいに顔を歪めていた。今も彼女は詰まらなそうにどこか遠くを見つめていた。きっと本当に遊園地には少しも興味が無いのだろう。
「あんまりジェットコースターとか得意じゃないんだっけ?」
「いや、ジェットコースターは全然平気やで。お化け屋敷は無理やけど」
「あぁ、ホラー系がダメなのか」
「うん。でもジェットコースターは平気過ぎてあんまり面白くないねんなぁ」
なるほど、と彼女が遊園地に興味を示さない理由に納得する。
「梢ちゃんはジェットコースターが無理なんやっけ?」
「無理ではないけど、得意でもないかな」
「じゃあ丁度良く楽しめるくらいか」
「いやぁどうだろう。多分叫んだりとかはしないよ?」
「あれって何? 怖いから叫んでるわけじゃないんやろ?」
「いや、私も叫ばない側の人間だから」
そんな事を話しながら歩く事暫く、この後乗る予定のロープウェイ乗り場を過ぎ、飲食店が増えてくる。その頃には空腹と疲労が重なり、会話も随分と減っていた。彼女もさすがに疲れたのか、笑顔は消え、眉は垂れ下がっていた。それがまた可愛いと感じたのは秘密にしておくことにした。
それからまた暫く歩き、漸く目的の店を見つけた。
「着いた~」
まるで登山でもしていたのかというようなテンションで彼女が達成感たっぷりに言った。私が思っていた以上に疲れていたのかもしれない。
空腹に耐えかねてさっさと店に入ると、すぐに店員がやってきて席に案内される。窓際にある二人用の席に向かい合って座り、二人同時にはぁ、と息を吐いた。
「さすがに疲れたなぁ」
「うん。あのバス逃したの痛かったね」
「ほんまに」
水を飲み、背凭れに身体を預け、重い足を浮かせて軽くぶらぶらとさせる。
少し落ち着いた所でメニューをテーブルに広げ、彼女と何を食べるか相談し、餃子と白ご飯、それからデザートにこの店のおすすめだという団子を注文する。彼女は寒さを忘れたのかアイスクリームを頼んでいた。
届いた餃子を小皿に取り分け、息を吹きかけて軽く冷ましてから口に運び入れる。
さすがに出来たてで火傷しそうなくらいに熱かったが、次第に暑さにも慣れ、そうだこの味だ、と久しぶりに食べた味を味わいながら彼女を見ると、彼女は口を手で覆っており、その目には涙が浮かんでいた。
そういえば彼女は猫舌だと言っていたな、と笑っていると、案の定睨まれたが、気付かない振りをしてご飯に集中する。
涙目の彼女を撮らなかった事を少しだけ後悔しつつ、今度は小さく切ってよく冷ましてから口に入れた彼女に「どう?」と訊ねてみる。
すると彼女は頷き、しっかりと咀嚼して飲み込んだ後、口を開いた。
「うん。餃子」
「えぇ……」
予想の斜め下を行く感想に、思わずそんな声が漏れた。
「あっ、美味しいで?」
思い出したかのように言い訳する彼女を見て、昨日のハンバーグを食べた時も「肉っぽい」なんて事を言っていた事を思い出し、と密かに溜め息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます