第15話 餃子は餃子
動物園の一番奥、誰よりも広い敷地を使わせてもらっているのではないかと思われる場所で楽しそうに右から左、左から右へと走り回るダチョウを遠くから眺めていると、彼女が訊ねてくる。
「小豆ちゃんの一番好きな動物って何?」
「一番好きな動物?」
復唱しながら考える。一番というのは非常に難しい。それが好き嫌いの話ならば尚更だ。
今私たちが見ているダチョウも好きだ。ああして軽快に走っているのを見ているだけで、何となく心が癒やされる。しかし一番かと訊かれると微妙だ。きっと迂闊に近付こう物ならあの細長くて力強い脚で蹴飛ばされたり、鋭い嘴で突かれて痛い思いをする事になるだろう。それを無視して好きだと言って抱き締めに行ける程の想いは持っていない。
身近な動物で考えるとやはり犬や猫などになるが、そういうペットとして比較的気軽に飼える動物で一番好きなのはハリネズミだろうか。デグーやチンチラなんかもなかなか可愛らしい。
いつだったか、大阪にある小動物カフェで触れ合ったのが最初で最後になっているが、時折動画サイトでそれらの動物の動画を観て癒やされている。あの子たちなら好きと言えるのではないかと思うのだが、ダチョウにしたって蹴飛ばされたり突かれたりしなければ充分に可愛いと言える。そこに好きの差はあまり感じられない。
「そんなに悩む?」
思考の海に沈んでいた私を、彼女が引き揚げてくれる。
「うん。一番って難しくない? って思ったけど、あれやな。梢ちゃんはカピバラが一番好きなんやもんな」
「うん。でも猫とかも好きだよ?」
「でも一番ちゃうやろ?」
「まぁ、一番ではないかなぁ」
「私はなんやろなぁ……狼も好きやし、チンチラも好きやし、鴉も好きやし……」
それからそれから、と思い付く限りの好きな動物を列挙していると、くすくすと笑う声が聞こえてくる。
「何?」と少し声を低くして睨む。
「可愛いなぁって思って」
彼女は少しも怯まずにはっきりとそう言った。彼女の私を見るその目には何となく見に覚えがあった。
「……子どもっぽいって思ったやろ」
「うん」
「……」
自信満々に返されてはそれ以上言い返す言葉も無く、深呼吸を一つして、それから無言でその場を離れる。いい加減次に行かなければ昼食が夕食になってしまう。
「ごめんって」と顔を覗き込んでくる彼女の額を人差し指で軽く弾いてやると、「あうっ」と変な声を上げて彼女が視界から居なくなった。
額を押さえている彼女を見遣り、「昨日の仕返し」とだけ言って背中を向けてさっさと先へ進む。と言っても既に動物園の一番奥には来ていて、後は来た道とは違う道を通ってまだ見ていない動物の所に行きつつ帰るだけだ。
この先にはなんの動物が居るのだろうかとパンフレットを見ていると、彼女が肩を寄せて覗き込んでくる。
「この先は何が居るの?」
「もうちょっと行ったらクジャクが居るんかな?」
「あっ、ここか」
彼女が声を上げて地図を指差した。
「なんだかんだで後ちょっとやなぁ……。ちょっと急ぎすぎた?」
「いや、そんな事ないんじゃない? もう一時過ぎてるし」
「このまま行ったら二時くらいには食べれるかなぁ」
「そうね」
さすがに私も彼女も空腹を強く感じ始め、会話の内容が徐々に食べ物に浸食され始めていた。無意識に歩く速度も速くなり、色鮮やかな孔雀を見ても、出てくる感想はまるで小学生のような在り来たりな言葉ばかりだった。
彼女はペンギンやアシカもなかなか好きなようで、立ち止まって写真を何枚か撮り、お決まりのように私に向けてシャッター音を鳴らしていた。私も隠し撮りをされるよりはこうして堂々と撮られた方が良いかと、半ば自棄になり、どうせならと笑顔の彼女を写真に撮る。
水の中をぎこちなく泳ぐホッキョクグマに別れを告げ、少しクリスマスの色が残る広場を抜け、道なりに歩いていると、ロバやカンガルーの居る場所まで戻ってきていた。
もう終わりかと少し物足りなさを感じたが、後半は大分急ぎ足だったため、仕方の無い事だろう。彼女と約束した通り、いつか、また彼女と一緒にどこか別の動物園か、別の季節にこの場所に来れば良い。
「もうちょっと見ていく?」
私を気遣ってくれたのか、彼女がそう訊ねてくる。
「ううん。でも、また一緒に来よな」
「うん。じゃあ……餃子食べに行こうか」
相変わらず仲良しなポニー二頭を眺めつつ、来た道を通り、ゲートから外へ出る。
「ここから歩いて行くんやっけ?」
道路を渡り、水沿いを歩きながら訊ねる。
「うん。バスもあるにはあるけど、多分待ってる間に着くと思う」
「因みに歩いてどれくらい?」
「三十分くらいだったと思う」
「三十分か……。私はええけど、梢ちゃんは大丈夫? 疲れてない?」
「疲れてはないけど、お腹空いた」
彼女は少し照れ臭そうに笑う。
「ほんまに大丈夫? バス停そこにあるけど」
「うん。大丈夫。バスに乗っても一駅分だし、そんなに変わらないと思うんだよね」
「そうなん?」
「多分ね?」
そんな事を話していると、見覚えのあるバスが後ろから現れ、バス停に停車するのが見えた。あっ、と声に出した直後、バスはすぐに動き出し、あっという間に見えなくなった。
「まぁ、食前の運動って事で」
「そうね」
あはは、と二人して乾いた笑みを浮かべていると、湖の向こうに観覧車らしき物が見えた。
「何か観覧車が見えるんやけど」
「あぁ、うん。あそこ遊園地……? うん。遊園地があるから」
「そんなに大きくない感じ?」
「そうだね。子ども向けって感じだと思う」
「なるほどね」
ひらパーみたいなものか、と大阪にある遊園地を思い浮かべながら脚を動かす。目的地はその観覧車が見える辺りで良いらしいが、今進んでいる道が明らかにそちらに進んでいない事に不満を感じながらも、只管脚を進める。
冷たい風が頬を撫で、思わず身体が震える。気が付くと手が痛いくらいに冷たくなっていて、少し行儀は悪いが、コートのポケットに手を入れて温めておく。彼女は手袋とマフラーをしているため、少しも寒がっているようには見えない。むしろ歩いていると暑いらしく、途中でマフラーを外していた。
空腹と疲労から口数が減って暫く、建物が増えてきて、レストランらしき店がちらほら見えるようになった。気付けば遠くに見えていた観覧車がすぐそこになっていて、振り返って見てみると、私たちが居た動物園のゲートはもうすっかり見えなくなっていた。
ロープウェイ乗り場を超え、微妙に辛い坂道を上り、更に先へ進むと、鰻の文字がところどころに見えるようになったが、まだ餃子の文字は一度も見ていない。
つい弱音を吐いてしまいそうになるのを喉奥で堰き止め、彼女の案内に従って真っ直ぐ進んでいくと、漸く目的の店に辿り着いた。
「着いた~」
立ち止まり、詰まっていた息を吐き出すと、自然と笑顔が溢れる。
全く考えていなかった事だが、こんな時期でも店は営業してくれており、人も少なく、待ち時間無くすぐに席へ案内された。
「さすがに疲れたなぁ」
「うん。あのバス逃したの痛かったね」
「ほんまに」
彼女の笑い声からも疲労が伝わってきた。
少し落ち着いた頃、念願の餃子とそれぞれ目に留まったデザートを注文する。
軈て目の前に並べられた餃子を同時に口へ運ぶ。彼女は熱い熱いと言いながら口を手で覆い、満足そうに頷いていたが、私は目に涙が滲んでいるのを感じていた。あまりの美味しさに感動したからではない。ただ、私は猫舌だったのだ。
くすくすと笑う彼女を睨みながら何とか口の中の物を飲み込み、冷たい水で紛らわしたが、熱さに気を取られて味を忘れてしまっていた。
今度は小皿に取った餃子を半分に割り、ふぅ、ふぅ、と何度か息で冷ましてから、覚悟を決めて口に放り込む。
「どう?」
彼女が目を輝かせて訊ねてくる。
「うん。餃子」
彼女が求めていた感想はきっとこれではなかったのだろう。
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