第14話 side梢
動物園に行こうと思ったのは、以前から彼女と話している中で、彼女が何度か動物園に行きたいと話していた事を思い出したからだった。
曖昧な記憶で、ちゃんと確認もせずに今日を迎えてしまった上に、既に入園料を払って中に入ってしまっているので、何もかも手遅れのような気もしたが、それでも安心したくて確認を取ってみると、彼女は「動物というか、生物は基本的に好きやで」とはっきりと答えた。私は嘘を見破れるような鋭い人間ではないが、少なくともそう言った彼女が無理をしているようには見えなかった。
立て看板に従って動物園のある方へ歩いて行くと、小さな白い馬が出迎えてくれた。
「ポニーってこんなちっちゃいんやな」
彼女が呟いた。
看板に書かれているこの馬についての説明を読んでみると、百四十七センチ以下の馬がポニーと呼ばれているだけで、何か特定の種類というわけではない、とあった。
「百四十七センチ以下がポニーだから……」
そこまで言って、しまった、と思い言葉を堰き止める。
「うん。私もポニーやな。馬ちゃうけど」
彼女はそう言って笑い飛ばした。
「うん。可愛い」
言い訳をするのもおかしいだろうと考え、咄嗟に出たのがそんな言葉だった。幸い彼女はそれらに気分を害した様子は無く、白いポニーの方へ手を伸ばして何かをした後、ゆっくりと歩き出した。
次にミニチュアホースという、先程のポニーよりも更に一回りも二回りも小さな身体をした馬が、やってきた私たちに気付いてのそのそと歩いてくる。
それを見た彼女は「子どもが遊ぶようなおもちゃの馬みたい」と、分かるような分からないような、そんな感想を呟いていた。
私が看板にある説明を読んでいる間もじっと馬を見つめる彼女と、そんな彼女に興味があるのか、柵の隙間から顔を覗かせる馬。その睨み合いを無言で見つめていると、彼女は満足したのか、手を振って「またね」と呟き、立ち上がって次へ行こうとする。
次に向かった所に居たのは、似たような顔をした山羊と羊だった。何となく、羊や馬に比べると山羊は怖く見えるのは私だけなのだろうか。別に何か悪い印象がある訳でもないのだが、どこか不気味に見えるのだ。
それを彼女にも言ってみると、「確かに?」と肯定するような言葉の後に疑問符が付いていた。あまり共感はできないらしかった。
「まぁ、山羊って目の……何て言うの? 瞳孔? が四角くてちょっと変わってはいるよね」
絞り出すような苦し紛れのフォローをされてしまったが、確かに、よく見てみると彼女の言うとおり、山羊の瞳にある瞳孔の形が横長の長方形をしていた。それが分かって改めて見てみると、それが原因で不気味に見えるような気がした。
「いや、でも怖いのは怖いな……」
「この子は苦手?」
「うーん……怖いというかちょっと不気味だなぁってくらい」
「そっか」
彼女は少し残念そうにしていた。彼女からすれば山羊も他の動物と同じように可愛く見えているのだろう。
さあ次へ行こうという所で、飼育員の男性から餌遣り体験ができると声を掛けられた。私はあまり興味が無いのもあって遠慮しようと思っていたが、彼女がどうせならやっていこう、と私の腕を引く。目を輝かせている彼女に逆らえる訳も無く、餌遣りをする事になった。
飼育員さんの指示に従い彼女が牧草を手の平に乗せて山羊の口元に持って行くと、山羊が細長い舌を伸ばし、舐めるように牧草を口に運んでいく。私には山羊が不気味に見えているせいで、それがどうも恐ろしく見えたのだが、彼女はとても楽しそうに笑っていた。
それを見ていると、飼育員さんから小さく刻んだ人参を手渡される。説明をされずとも、これを私が山羊と羊にあげなければならないという事は分かった。
ひとまず彼女が羊に餌遣りをしているのを観察し、あわよくば彼女がこの人参を受け取ってくれないかと期待して待っていたが、彼女は私の背中を押すだけで代わってはくれなかった。
人参の端の方を抓み、顔を寄せる山羊の口元に恐る恐る近付けると、早くしろと言わんばかりに山羊が舌を伸ばしてきて、一瞬、指先にぞりぞりと柔らかくて硬い物が撫で、思わず人参を手放して腕を引っ込めてしまったが、山羊は上手く人参をキャッチしたようで、口を動かして咀嚼していた。
あはは、と声を上げて笑う彼女に人参を押しつけ、彼女の背中を押して羊の方へ押しやる。「良いの?」と確認してくる彼女に少し投げ遣りに「良い」と言うと、彼女は手の平に人参を乗せ、少しも怖がる様子も見せず、あっさりと餌遣りを済ませた。
少し負けた気分になったが、彼女が楽しそうにしているならそれでいいかと気持ちを入れ替えて次の動物を見に行く。その途中、自動販売機で飲み物を買い、休憩所で座って一息吐く。
暫く休憩した後、立ち上がって次へ向かう。ふと、時間が気になり、時計を確認してみると、既に十二時半を回ろうとしていた。パンフレットを開き、地図を見て今居る場所を確認してみると、まだ半分も行っていなかった。
「思ったより時間掛かりそうだね」
そう言うと、彼女が肩を寄せて、「今どこ?」と訊ねてきたので、マップ上の現在地を指差す。
「今この辺かな。だからまだ半分も行ってない感じ」
「梢ちゃんのデートプラン的にちょっとまずい感じ?」
「いや、うーん……どうだろう」
彼女が帰らなければならない時間までには余裕過ぎるくらいの時間を確保していたので問題は無いのだが、昼食の事を考えると、今のままのペースで行くと昼食というよりおやつになってしまいそうだった。それに加えてその昼食を食べようと言っていた場所がこの動物園にはないので、そこまでの移動時間を含めると更に遅くなってしまうのは明らかだった。
それらを彼女に伝えると、彼女は右上の辺りに目を向け、少しばかり唸る。
「梢ちゃんはお腹空いてる?」
「えっ? うーん……ちょっと?」
今まで意識していなかったので、空腹感はあまり無かったが、気分で言えばそろそろ食べたい気分になっていた。しかしせっかくお金を払って入った動物園を隅々まで見たい気持ちもあったため、少し答えを濁した。
「じゃあちょっと早めに見て回ろっか。まだ十二時半やし、ぱーっと行ったら大丈夫やろ」
彼女はさらりと言った。
「でもじっくり見たいんじゃないの?」
訊ねると、彼女は少し間を空けて答える。
「まぁね。だから見た事無い子だけじっくり見ようかなぁと。まぁ動物園に来るの自体久々やから見たい気持ちはあるけど、ほら、象とか麒麟は多分京都にも居るし、その辺はまたいつか梢ちゃんが京都に来た時とかに見ようや」
それは充分に魅力的な提案だった。
「まぁ、小豆ちゃんがそれでいいなら……」
「じゃあそれで行こう。オルゴールミュージアムも多分見るとこいっぱいあるやろ? 時間残しとかな」
行こうと、彼女が私と腕を組むようにして引っ張るので、抵抗せずについていく。虎や象などの比較的見る機会の多い動物はエスカレーターの途中にある物のように流し見て、ミーアキャットなど、珍しい動物を見つけると、少し駆け足に近寄り、立ち止まって眺める。
そうしていくつか見回っていると、私の大好きなカピバラの看板を遠くに見つけ、彼女を引っ張って駆け寄る。
「何事かと思ったら、梢ちゃんの好きな子やん」
「うん」
突然引っ張って、彼女に申し訳無いと思う以上に、私は目の前の暢気な顔をして日向ぼっこをしているカピバラに目を奪われていた。
動物の中で一番と言っても良いくらいに好きな動物だが、こうして生で見る機会はあまり無く、いつもはネットで動画を観たり、過去に撮った自分の写真フォルダーを眺めているだけだった。
いそいそと携帯を取り出し、今まですっかり忘れていたカメラを起動し、カピバラをあらゆる角度から撮影する。
暫く彼女を放ったらかして撮影会をしていると、私の手元以外からもシャッター音が聞こえてきた。気になって横目に確認してみると、彼女も同じように携帯を構えて写真を撮っていた。
珍しいなと思いつつ、もう何枚か写真を撮っていると、視界の端に彼女が私に向かって携帯を構えているのが見えた。
彼女は満足そうな表情をして、携帯を鞄に仕舞った。それを見ていると、悪戯心が顔を覗かせた。
「小豆ちゃん」
名前を呼ぶと、先程の笑顔のままカメラの中に収まった。
「お返し」
そう言うと、彼女はいかにも不満だと言いたげに眉間に皺を寄せる。
「後で消しといてや?」
「えー、やだ」
「じゃあネットにあげるのは無しで」
「了解」
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