第10話 side梢
朝起きて、すぐに時計を確認し、ほっ、と息を吐く。
乱れた髪を手櫛で整えながら手探りで眼鏡を探し、レンズに触ってしまった事に軽く落ち込みながら眼鏡を掛け、携帯を持って部屋を出る。欠伸を噛み殺しながらゆっくりと階段を降り、洗面所で顔を洗ってしっかりと目を覚ましてからリビングに向かう。
「おはよう」
「あぁ、おはよう」
「おはよう。早いじゃん」
父に続き、母が答えた。休みだと言うのに、二人は相変わらず早起きで、既に朝やるべき事は終えているらしく、テーブルに肘を突いてテレビを眺めていた。テーブルに弟の使っているマグカップが置かれているため、恐らく弟もとっくに起きて朝食まで済ませて自室で寛いでいるのだろう。
「早い……けど、もう一時間もしたら出ないと」
「そう。とりあえず朝ご飯食べなさいね」
「うん」
どこかで静岡県民は早起き、だなんて話を聞いた事があるが、私にそれはあまり当て嵌まらないようで、いつも私が最後に起きてくる。それはきっと寝る時間が遅いという事もあるのだろうが、縦令早く寝たとしても他の三人のように六時前に起きるなんて事はよっぽどの事が無ければできないだろう。
水道水で喉を潤し、朝食には菓子パンを一つ食べる。あまりのんびり過ごして遅刻しても面倒なので、食べ終わったらさっさと片付けをして、出掛ける準備をする。
自室に戻り、服を着替え、鏡台の前に座ってスキンケアとメイクをする。実を言うと、昨日は少し張り切り過ぎたと反省している。彼女はあまり気にしていないようだったが、まるで彼氏とのデートに行く時と同じようなメイクになってしまっていた。
今日はその反省を活かして昨日よりも薄く、シンプルなメイクをする。とは言えあまり昨日と差が出過ぎても変に思われてしまうかもしれないので、ほんの少し鮮やかにしておく。
思ったより早くメイクが終わったと思ったが、それは昨日と比べての事であって、家を出ようと思っていた時間まで残り十分を切っていた。
慌ててメイク道具を片付け、コートを着て、お気に入りの鞄を持ち、姿見で軽く整えて部屋を出る。それほど焦る必要は無いのだが、少しくらいは余裕を持って向かいたい。
リビングに顔を出し、変わらず寛いでいる父と洗い物をしている母に「行ってくる」とだけ声を掛け、母の声を背に玄関へ向かい、昨日とは違う靴を履いてドアハンドルに手を掛ける。扉は昨日のような重さは無く、すんなりと開いた。
誰も居ない住宅街を一人歩く。肌に触れる空気は冷たく、吐いた息は白くなる。もう少し陽が昇ってからにすればもっと暖かいのだろうが、そういうわけにはいかなかった。なにせ彼女がこちらに滞在していられるのが今日までだからだ。
今日彼女と別れるまでに行こうと思っている場所に全て行ってゆっくり楽しもうと思うと、時間が足りるかどうか分からない。彼女は何でもない風にこちらに来てくれているが、新幹線やホテルに掛かるお金が安くない事は知っている。いくら彼女が社会人だからと言っても、そう何度も気軽に来られるような距離ではない。
そんな彼女には絶対にがっかりして帰ってほしくはない。正直な所、今回のオフ会で心配していた事の殆どは昨日の顔合わせの事だ。その間に仲良くなれさえすれば、後はどうとでもなると思っていた。そのため、今日はあまり不安も緊張もしていない。今はただ彼女に会うのが楽しみだった。
駅に着き、踏切を渡って小さなホームで電車を待つ。電車が遅れていなければ待ち合わせの時間には充分に間に合いそうだった。
数分後、無事に電車が到着し、さっさと乗り込んで空いていた席に座る。時間の割に人が少ないのは年末だからだろうかとも思ったが、よく思い返してみるとこの電車はいつの時間も大体こんなものだったな、とたった二年程前の事を懐かしみながら窓の外の景色を眺める。
二年前まではこの景色を毎日のように眺めていた筈だが、意外と覚えている景色というのは少ない。変わったような気もするが、何も変わっていないような気もする。自信を持って変わっていないと言えるのは、人が四人程横並びになれば一杯になるくらいに細く小さな駅くらいだった。
暫くして窓の外に映る景色は、電車が高架に上がった事によって一気に開け、住宅と商店街くらいしか無かった街並みも、所々に高層マンションが見えるようになった。それから私が高校生の時に利用していた駅を過ぎ、電車に乗って約三十分、漸く終点に到着した。
電車を降り、周りの人に続いて歩き、改札を抜け、階段を降りると、目の前に彼女と散策した百貨店が現れる。その中央の道を通り抜け、彼女の泊まっているホテルを目指す。
日差しに感謝をしながら歩く事十分、彼女の泊まっているホテルの前に辿り着いたが、彼女の姿が見えなかった。
時計を確認すると、迎えに行くと言った時間の五分前だった。携帯を開いたついでに彼女に連絡をしてみる。
『着いたよ!』
続けてメッセージを送ろうとしていると、既読の文字が表示された。
『どこ?』
起きてはいるらしいと安心したが、文字から察するに、彼女もこの近くに居るように思えた。そこで辺りを見てみるが、やはりどこにも彼女らしき姿は見当たらない。当然、ホテルが間違っているわけでもなかった。
『まだホテルの中?』
もしやと思い訊ねてみると、着信があり、携帯を耳に当てると、くぐもった声が聞こえてくる。
「はい。小豆ちゃん?」
『梢ちゃん? 今どこに居る?』
「ホテルの前に居るよ?」
『あれ? 擦れ違った?』
彼女は何を言っているのだろうと少し考えてみて、一つの可能性に思い当たった。
「もしかして駅の前に居たりする?」
『うん。駅の前というか、改札の前というか』
「なるほどね」
状況を理解し、思わず苦笑する。
「今からそっち向かうし、待っててもらっても良い?」
『分かった』
彼女の返事を聞いて通話を切り、彼女が居ると思われる駅に向かう。
先程とは違う道を通り、昨日彼女を待っていた駅に入って改札の前を見ると、すぐに彼女が見つかった。それと同時に彼女がこちらを見て、花が咲くように笑顔を浮かべた。
「おはよう、梢ちゃん」
「おはよう。やっぱりこっちに居た」
「いつの間に通ったん?」
改札口を指差し、不思議そうに首を傾げる彼女を見て、思わず笑みが溢れる。
「いつの間にというか、私ここの駅使ってないんだよね」
「えっ?」
「昨日さ、百貨店行ったじゃん」
その方向を指差すと、彼女は一瞬そちらに視線を向け、また私を見る。
「うん。行ったなぁ」
「そこの奥に別の駅があるんだけど、私が使ってるのそっちなんだよね」
「えっ? あっ、なるほど……そういう事か。いや、ごめん。暇やったからついでにこっちから行ったろうって思ってんけど……そっか、じゃあ素直にホテルの前に居とけば良かった」
「寝坊する可能性は考えてたけど、まさか……ねぇ?」
「ごめんって。お詫びに今日のお昼ご飯は私が奢るから」
「それはダメ」
なんでやねん、とべたべたなツッコミを返してくる彼女と笑い声を駅に響かせる。そこに昨日のような緊張感は欠片も無かった。
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