第9話 二日目の朝

 ホテルで朝起きたらどうするべきなのか。そんな事は義務教育では教えてくれない。教えてもらっていない事はどうすればいいのか分からない。分からない事は調べれば良い。


 インターネットとは便利な物で、学校では教えて貰えないような事でもキーワードを入れれば同じような不安を抱えている人が居て、具体的にどうすれば良いのかを知っていて、親切に教えてくれる先人たちがたくさん居る。


 私は今日もこの小さな端末に入った大きなネットワークに助けられ、本当にこれをして良いのかと周りの空気を窺いながらホテルで朝食を取り、チェックアウトまでの時間を部屋でのんびりと過ごす。


 昨夜は寝坊してしまう心配をしていたが、私がこんな慣れない場所でゆっくり寝られる訳も無く、二度寝をしても待ち合わせの時間まで暇を持て余すくらいだ。


 寝転がって目を瞑っていると、つい寝てしまいそうになり、慌てて身体を起こす。寝坊はしなかったが、充分に疲れは取れなかったらしい。


 誰にも見られていないのを良い事に、口を大きく開けて、手で隠す事もせず堂々と欠伸をする。気を抜くと座ったままでも眠ってしまえそうだった。


 これは良くない、と勢い良く立ち上がり、顔を洗いに洗面台に向かった所で、既にメイクをしてしまっている事に気付く。来たついでに乱れた髪を整え、メイクや服装など、おかしな所は無いかよくよくチェックする。


 こうやってテストの見直しをするようにチェックをしてみても、一度間違った物は私が正しいと思って出来た物なのだから、見直しをした所で再び見逃してしまう事の方が多い。何度鏡を見てみても、初めにこれで良いと思って決めたのだから、結局これで良いとしか思えない。


 とは言えあまり見ていると良い筈の物でさえ間違っているのではないかと心配になってきてしまうので、鏡と睨めっこをするのは程々にして、伸びをしながらベッドの方へ戻る。


 ぼうっと過ごしている内に、気付けば時間は約束の一時間前になっていた。彼女は既に起きてこちらに向かってきてくれているのだろうか。万が一彼女が寝坊でもして待ち合わせに遅刻してきたら、その時は思い切り笑ってやろう。


「会いたーい」


 何となく思っていた事を口に出してみる。それからふと、チェックアウトしなければならない事を思い出して、心臓がきゅっと縮こまったような感覚に陥る。


 再びネットに居る先人たちの知恵を借り、チェックアウトをする時は時間に遅れなければ良いとされている事を知って、はぁ、と胸を撫で下ろす。


 待ち合わせの時間にはまだ早いが、チェックアウトをするのが遅れて怒られるくらいなら早めに出てしまった方が良いだろうと、荷物を纏め、気持ち程度に乱れたベッドを直し、忘れ物をしていないか何度も確認してから部屋を出る。


 ゴロゴロとできる限り音を立てないよう無駄に気を配りながら受付に向かい、チェックアウトの手続きをする。


 その途中、対応してくれていたスタッフがこんな事を訊ねてきた。


「もしこの後観光なさるのであれば、そちらの荷物をお預かりさせていただく事もできますが、どうなさいますか?」


 確かに、その事は何も考えていなかった。ホテルに荷物を預け、ホテルで夜を明かし、二日目は観光をして帰る。そんな大雑把な計画しか立てていなかったのだ。細かい事はどうせ調べても出てこないからその場で何とかしよう、なんていつも通り自分を過信していた。


 とは言え荷物に関しては最悪コインロッカーにでも預けられただろうとは思うのだが、恐る恐る訊ねてみると、どうやら日が変わるまでは無料で荷物を預かっていてくれるらしく、有り難く利用させてもらう事にした。


 チェックアウトの手続きを終え、キャリーケースを預かっておいてもらい、暇を潰しに外に出る。扉を潜り抜けた瞬間、冷たい空気が頬を撫で、思わず身震いする。もう少し部屋でゆっくりしていれば良かったかとも思ったが、もうここまで出てきたしまったのだから仕方が無い。


 微かに白くなる息を吐きながら駅の方へ向かう。まだ九時を過ぎたくらいだが、空いている店の一つや二つはあるだろう。そこで昨日のお返しを、と思ったところで貰ったプレゼントを開けるのをすっかり忘れていた事に気が付いた。


 携帯を充電したりメイクをしたりするのに何度も鞄を開けたというのに、プレゼントの存在をすっかり忘れてしまっていた。入っているのはリップクリームとの事なので、鞄の底にお菓子を眠らせておくよりは遥かに増しではあるが、やはり忘れていたというのは許し難い事だ。


 今からでも確認しよう、と座れる場所を求めてきょろきょろと顔を動かしながら少し歩いてみたが、それらしい所は見当たらない。こういう人通りの多い場所には無いのかもしれない。


 仕方無く人の少ない端の方に避け、鞄を前に抱いて箱を取り出す。箱の見た目に特に問題が無い事を確認し、包装紙が破れてしまわないよう丁寧にテープを剥がし、包装紙を開けると、現れたのはとても見覚えのある箱だった。


 包装紙を畳んで鞄のポケットに仕舞い、箱を開けると、そこにはいつも私が使っている物と同じリップクリームが入っていた。偶然なのか、私が覚えていないだけで話した事があるのか。


 プレゼントという物にあまり良い印象は無い。それがサプライズともなれば尚更だ。


 サプライズというのはやる側が相手に驚かせたい、喜んでもらいたいという大半が善意で作りあげられている物だが、やられる側になると相手が思うように驚いたり喜んだりしないと相手をがっかりさせてしまう。私が素直に驚いて喜べるような人間ならば良かったのだが、残念ながら私は有り難いとも嬉しいとも感じても、それを相手が思うようなリアクションとして表せない。それが申し訳無くて堪らないから、私はサプライズやプレゼントという物が苦手なのだ。


 そういった話を彼女にもした覚えがあるのだが、それでも彼女がサプライズのような形で渡してきたという事は、それなりに喜んで貰えるという根拠があったのだろう。加えてプレゼントにリップクリームというのもなかなか勇気の要る選択だ。化粧品は人それぞれ好みや相性があるので、下手をすると困ってしまうのだが、それも踏まえて考えるとやはり彼女は私がこれを使っていると知っていたのだろう。


 貰ったリップクリームを今使っている物と間違えて使ってしまわないように箱に戻して鞄に仕舞っておく。


 今日この後彼女に会ったら、必ずお礼を言おう。それで今日は彼女にも目一杯楽しんでもらおう。そう誓った。

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