第3話 ウィンドウショッピング

 デパートにやってきた私たちは、一階の化粧品売り場から順に見て回る事にしたのだが、雰囲気からして高級な店ばかりが並んでおり、立ち止まって商品を見るのも躊躇われるくらいには居心地の悪い空間だった。周りを歩いている人は、包み隠さず言うならば、如何にもお金を持っていそうな人ばかりで、歩きながら値札を盗み見てみると、想像通りと言えばその通りだったが、普段使いしている物よりも桁が一つ多かった。


「梢ちゃんってこういうとこはよく来るん?」

「いや、全然。ここに来たとしてもあっちの別館の方に行くかな」

「別館とかあるんや」

「うん。こっちって明らかに……富裕層向けだけど、あっちは普通の……というか、一般向け?」

「それを早く言うてよ」

「いや、こっちも見たいのかなぁって思って」

「見る分には楽しいけど、ちょっと居心地悪いわ」

「うん。分かる」


 今すぐにでも彼女の言う別館に行きたいところではあったが、一先ず他にどんな店があるのかだけでも見ようとフロアマップを見る。


「やっぱりこっちは高級なお店ばっかりなんやなぁ」

「小豆ちゃんここのお店のやつ使ってなかった?」


 彼女の指の先を見てみると、知らない名前の店ばかりがたくさん書かれている中、確かに見覚えのある名前があった。


「あっ、ほら。ここのやつとか前同じの買った所じゃない?」

「ほんまや。こんな所に店舗あるんやな」

「寄っていく?」

「どうしよ。とりあえず見るだけ見て回ろか。せっかく来たんやし」

「うん。良いよ」


 そう言いながらも一階を大して見る事もなくそのままエスカレーターに乗り込み、二階へ上がる。


 二階は雑貨と服の店が並んでおり、一階よりは落ち着いた雰囲気になったものの、どことなく高級感が滲み出ており、居心地の悪さは大して変わらなかった。


「なんかこういうお店の商品って触るのも怖いよな」

「分かる。別に汚すわけでもないから良いんだろうけど、遠慮しちゃうよね」


 なんて話をしながらフロアをぐるっと回り、流れるように三階へ向かい、それから同じように四階も散策していると、着物を売っているのが見えた。吸い込まれるようにそちらへ近付き、視界に入った六桁の数字を見て、少し距離を取って眺める。


「梢ちゃんは着物とか持ってる?」

「お婆ちゃんに貰ったのはあるけど、着た事は無いかな」

「ちゃんと持ってはいるんや。成人式とかで使わんかったん?」

「えっとね、成人式で使えるようなやつじゃなかったんだよね」

「あぁ、そういう事ね」

「小豆ちゃんは? やっぱり京都に住んでるといっぱい持ってたりするの?」

「いやいや、全然持ってへんで。普段使いできるのと成人式で着たやつの二つだけかな」

「でもこの値段するのが二着あるのすごくない?」

「まぁ、そうね。私も買って貰っただけで値段気にした事無かったけど、これは着られへんくなるなぁ」

「ね。帯だけでこんなするんだ……」


 欲しいと思っても手の届く値段ではないので、冷やかしも程々にして五階へ上がり、漸く気軽に見られるようなポップアップストアを見つけ、少しだけテンションが上がったものの、六階七階はまた元の高級感溢れる店ばかりになり、最上階となる八階のレストラン街で漸く少し落ち着けるようになった。


 丁度良く用意されていた休憩スペースの椅子に座り、背凭れに背中を預ける。それから水を飲もうと右手を持ち上げたところで、ずっと手を繋いだままになっていた事に気が付き「あっ、ごめん」と咄嗟に謝り、手の力を緩める。彼女も同じタイミングで気が付いたらしく、何も言わずとも手を放し、鞄からペットボトルを取り出して水を一口飲んだ。


 彼女の手は離れたまま、鞄を抱き抱えるために使われ、少し寂しく思いながら私も同じように両手で鞄を抱える。


 よく考えてみれば今まで手を繋いでいた事の方がおかしかったのだろう。ホテルから出る時に繋いだままでいた所為ですっかり忘れてしまっていたというだけで、まだそんな手を繋いで過ごすような関係ではない。


「そういえば今日の夕飯ってどうするか考えてる?」

「いや、あんまり。どこかおすすめとかある?」

「静岡と言えばっていう物ならそこに餃子と鰻があるけど」


 彼女が指差した方をちらりと見て、首を振る。


「さすがにね、鰻は無理。食べた事ある?」

「あるけど、そんな頻繁にはないかな」

「因みに梢ちゃんのおすすめは?」

「んー……、小豆ちゃんってお肉嫌いなんだっけ?」

「嫌いではないで? ただ焼き肉とかは焼くのがめんどくさいってだけやし。あとステーキとか固いのはめんどくさいから嫌かな」

「じゃあ夕飯はハンバーグでも食べる?」

「うん。ええよ」

「で、明日のお昼に餃子食べに行こう」

「おっけー」

「まぁ、私が食べたいだけなんだけどね」

「ええよ、全然。私別に食べたい物とかないし。地元の人のおすすめは食べとかんとね」


 そうして暫く休んだ後、エレベーターを使って一階に戻り、今度は別館を散策する。


 別館は居心地の悪い高級感は随分と薄れ、見慣れた店がいくつか入っているようだった。買い物をするためにここに立ち寄っている訳ではないのだが、それでもやはりこういう店に来ると気になる物が目に入り、手に取ってみたくなってしまう物だ。


 服屋で好みの服を見つけては手に取り、鏡の中の自分に着せてみたり、彼女に合わせてみたりと、いつもの楽しみ方をしていると、先程最上階に行くまでに掛かった時間が一フロアで過ぎ去ってしまっていた。


 しかし彼女もちゃんと楽しんでくれているようで、元々予定らしい予定も立てていなかったのだから、これでもいいだろう、と自分を納得させて二階三階四階と順々に歩き回る。


 特に何かを買うわけでもなく、一頻りウィンドウショッピングを楽しんだ後、彼女の提案でカラオケに行く事になった。


「疲れた~」


 部屋に着くなりコートを脱ぎ、柔らかくも固くもないシートに座って、ふぅ、と息を吐く。


「散々歩き回ったもんね」


 彼女はくすりと笑ってコートを壁に掛け、私の隣に座って同じように息を吐いた。その姿を見て、微かに罪悪感が湧いた。


「ごめんな、疲れたやろ」

「いやいや、大丈夫。楽しかったし」

「結局何にも買わんかったけどな」

「そういうものじゃない?」

「そういうもんかぁ」


 コップに注いだホワイトソーダを飲み、顔を顰めると、彼女がまたくすりと笑う。文句を言う代わりに横目に睨んでやると、彼女は「ごめん、ごめん」とへらへらと笑いながら言った。


 そんな彼女を見ていると、無性に彼女に触れたくなって、彼女の手の感触が思い出された。殆ど初対面の彼女に対してそんな事をするわけにはいかない、と理性で衝動を抑え込み、手帳型の携帯カバーについた磁石を指で弾いて発散する。


「どうしよう、せっかく来たし、とりあえず何か歌う?」


 誤魔化すように提案してみるが、「えぇ……どうしよう」と彼女はあまり乗り気ではないようだった。


 微妙な空気が漂い、ホワイトソーダを飲んで時間を稼ぐ。


 少しして、「小豆ちゃん」と名前を呼ばれ、目を軽く彼女の方へ向けると、綺麗に包装された手の平サイズの小さな箱を差し出された。


「何これ。リップクリームか何か?」

「えっ、なんで分かったの?」


 彼女が今日一番の大声を出した。その瞬間、過去にやった失敗と同じ事をしてしまった事に気が付いた。


「ごめん……」

「いや、別に謝らなくても良いんだけど……」


 彼女が気まずそうに笑う。


「ちょっと遅めだけどクリスマスプレゼント。それから会いに来てくれてありがとうって事でそのお礼のプレゼント」

「良いの?」

「うん。いつも遊んで貰ってるし、遠くから会いに来てくれたし、まぁ、そういう色んな感謝の気持ちだから」

「そっか……。ありがとう」

「いえいえ。こちらこそありがとうね」


 今開けてしまおうかどうしようか、と箱をくるくると回しながら考え、最終的にそのまま鞄の中に仕舞う。すると隣からくすくすと笑い声が聞こえてきた。


「別に開けてくれて良いのに」

「だって、なんか勿体ないやん」

「開けてあげようか?」

「ええって。ホテルに戻ってから開けるから」

「まぁ、別に良いけどね。今開けてくれないと困るような物も無いし」


 そう言いながら彼女は徐に手を伸ばし、何故か私の頬を撫でた。


「あっ、ごめん」


 無意識だったのか、彼女はすぐに手を引っ込めてしまったが、嫌な気持ちは少しも無かったどころか、もっと触れて欲しいとさえ思った。


「撫でたきゃどうぞ?」


 そう言うと彼女は再び手を伸ばしてきて、私の髪を撫でる。


 撫でる場所はどこでも良かったのでそれに関して何も文句は無かったのだが、年上としての威厳は欠片も無いな、とふと思い、心の中でそっと溜め息を吐いた。

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