第2話 side梢
「小豆ちゃんに会いたいなぁ……なんて」
その時付き合っていた彼氏に振られて傷心中だった私が、冗談半分に言った言葉だ。当然断られると思っていたし、断られないにしても冗談として話してくれている物だとばかり思っていた。
しかしそんな話をした数ヶ月後。季節も変わり、冬の寒さが顔を覗かせていた頃、いつも通りゲームをしながら話をしていた中で唐突に彼女が言った。
『そうや、オフ会やけどさ、年末……二十七日から暫くは休みやし時間取れるけど、どう?』
私は最初、何の話をしているのか分からなかった。オフ会の事は冗談として流れた物だと思っていたし、何か他に約束をしていた覚えも無かった。
「何か予定あった?」
『え? 会おうって話してたやん』
彼女は少し私を責めるように言った。そこで漸く私は彼女の言葉の意味を理解し、思わずキャラクターを操作する手を止めてしまった事で敵から大ダメージを受ける。
「えっ、ちょっと待って? 冗談じゃなかったの?」
嬉しい筈なのに、驚きのあまりそんな事を口走った。
『別に会いたくないならええけど』
「待って! 会いたい!」
拗ねたような低い声色に焦り、画面に表示されるクエスト失敗の文字には目も呉れず、自分でも煩いと感じる程の大声で返すと、案の定『うるさっ』と笑い混じりに彼女は言った。
それから言い訳を重ね、彼女ともっと仲良くなりたい一心で彼女の機嫌を取りながら予定を立てた。予定と言っても会う日時と待ち合わせ場所くらいの物で、どこで何をするかは当日考えればいいだろう、と会える嬉しさと期待だけを胸に日々を過ごしていた。
そして今、私は新幹線の改札口の前で彼女を待っていた。
緊張で寒さなど感じられないどころか、背中に汗が滲んでいるような気さえした。予め彼女が伝えてくれた時間にはまだ早いというのに、改札から人が出てくる度に彼女が来るのではないかと心臓が跳ねる。跳ねてそのまま口から飛び出てしまうのではないかとさえ思えた。
携帯を鏡代わりに前髪を何度も整え、気にしても仕方の無い服装を気にしながらとりあえず外面だけでも取り繕っておこうと柱に身体を預けて彼女とのメッセージ画面を開く。
今朝から何度かやり取りをしていて、その中に今日の彼女の服装も書かれていた。
『茶色の小さいキャリーバッグ 黒のコート 白いロングスカート』
彼女らしいとてもシンプルな箇条書きの情報。下手をすると同じような人も居るように思えるが、もう一つ間違えようのない情報として、彼女は身長が百五十cmも無いという物があった。それは彼女にとってコンプレックスの一つでもあるようだったが、私にとってそれはとても分かりやすい判断基準の一つであり、ただ彼女の可愛さを表す一つのステータスでしかないだろう。
少し思考が逸れかけた所で改札から人が出てくるのが見えて、心臓がまたドクンと大きく跳ねる。時間的にこの人波の中に彼女が居る筈だった。
一度目を瞑り、ゆっくりと肺一杯に空気を取り込み、静かに、細く長く、喉の奥まで溜まった空気を吐き出してやると、ほんの少しだけ心臓の鼓動が落ち着きを取り戻す。そして瞼を持ち上げ、改札の方へ視線を向けると、黒いコートを着て、小さな茶色のキャリーバッグを傍らに据えた小柄な少女がこちらを見ている事に気が付いた。
思わず目を逸らしてしまい、誤魔化すように携帯で『着いた?』と言い訳としてはあまりにも苦しいメッセージを送る。すると視界の端に黒いコートが映った。
「あの!」
突然の大声に身体をびくつかせながら、聞き慣れた声の主を見る。
「梢……ちゃん、ですか?」
先程の大声はどこへ行ったのか、消え入りそうな声で名前を呼ばれ、返事をしながら思わず笑みが溢れる。
「小豆ちゃん……だよね?」
名前まで呼ばれたのだから間違っている訳は無いのだが、反射的に名前を呼ぶと、彼女はゆっくりと顔を俯かせながら、普段からは想像できないような弱々しい声で返事をくれた。
それから彼女は上目遣いで「えっと……初めまして……?」とこちらの顔色を窺うように挨拶を投げかけてくる。その様子はとても年上の女性には思えなかったが、決して悪い印象ではなく、ただ只管に私の中で彼女への評価が上がっていくだけだった。
まだ少しぎこちなさの残る会話をしながら、ホテルに彼女の荷物を預けに向かい、受付で遠くから見ていても戸惑っているのが丸分かりな彼女を微笑ましく思いながら見守り、戻ってきた彼女を労ってからこれからの予定を話し合う。気付けば随分と緊張は解れ、普段通話をしている時のようなやり取りができるようになっていた。
「じゃあちょっとこの辺り、デパートとか見て回ろっか」
「うん。ええよ。エスコート頼むわ」
「任せて」
ちょっとした気紛れで彼女の前に立ち、手を差し出すと、彼女は一瞬目を丸くしてから恐る恐ると言った様子で私の手を取り、立ち上がる。それから照れたように顔を背け、「ありがとう」と呟くのが聞こえた。
以前から思っていた事だが、時々、彼女が年上だというのを忘れそうになる事がある。良く言えば甘え上手な妹や人懐っこい犬や猫と接しているような感覚になる。
「私が年上の筈なんやけどなぁ」
それなりに年上としてのプライドを保とうとしている所も可愛らしいと思える。
「エスコート頼んできたのは小豆ちゃんでしょ?」
「それはそうなんやけどね?」
行こう、と恥ずかしさを誤魔化すように私の手を引いて歩き出す彼女を見ていると、その身体の小ささも相俟って、背伸びをした妹のように思えて仕方が無かった。
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