ネットで出会った彼女と二人

深月みずき

第1話 初めまして?

 帰りたいという思いは新幹線に乗る前からずっと胸の奥にあった。けれども意を決して初めての新幹線に乗り込み、百km以上も離れたこの静岡の街にやってきたのだ。目的も何も果たさずに手ぶらで帰るわけにはいかない。


 深呼吸をしても猶ドクドクと騒ぎ立てる鼓動を感じながら、ガラガラと煩いキャリーバッグを転がし改札を抜けると、何気なく視線を向けた先に、私は目的の人物を見つけてしまった。


 彼女がどんな容姿をしているのか、私は殆ど知らない。身長がどれくらいだとか、どんな髪型をしているのだとか、普段会話をしている中で知った事はあるけれど、それを実際に見た事は無い。ただ、彼女が今日どんな恰好をしていて、どこで待ってくれているのかは知っているし、今視線の先に居る女性がその伝えられた条件に当てはまる事だけは分かった。


 それでも間違っているかもしれない、と観察していると、幸か不幸か、下げられていた彼女の目線が上がり、私の視線と交差する。どうやら覚悟を決める時間は多くないようだった。


 彼女が目線を再び手に持っていた携帯に戻すと、私の手にある携帯に『着いた?』とメッセージが届いた。それを確認した私は短く、大きく息を吸い込み、俯く彼女の方へ真っ直ぐに早足で近付く。


「あの!」


 声が周囲へ反響し、周りの視線が集まったような錯覚に陥り、顔が熱くなるのを感じるが、間違っていればその時はその時だ、と自棄になって言葉を続ける。


「梢……ちゃん、ですか?」


 第一声とは打って変わって周りの雑音に掻き消されてしまいそうなか細い声になってしまい、今すぐにでも方向転換して来た道を帰りたい衝動に駆られる。けれども本当にそうしてしまう前に目の前の彼女から「はい」と肯定する声が聞こえた。


「小豆ちゃん……だよね?」


 機械越しに何度も聞いた透き通るような声で呼ばれ、私は消え入りそうな声で「はい」と答えながら、恥ずかしさに負けて視線を地面に下ろす。


 それから沈黙を埋めるように、あ、と声を絞り出し、恐る恐る彼女の方へ視線を向ける。


「えっと……初めまして……?」


 彼女とは何度も話した事はあるが、こうして顔を合わせるのは初めての事だ。だから挨拶を交わすならこれで合っていると思うのだが、どうにも自信が無かった。


「初めまして……だね」


 彼女も自信なさげに答え、気まずい空気が一瞬流れた後、お互いに緊張しきっているのが馬鹿らしく思えてきて、恥ずかしいのを誤魔化すように私が笑い声を漏らすと、彼女もそれに釣られるように固まった表情を崩した。


「何か変な感じやわ」

「うん。本当にね。知らない人から小豆ちゃんの声が聞こえるのがすっごい違和感」

「ちゃんと本人やからな?」

「いや、それは分かってるんだけど」


 そうやって軽く話をしていくうちに、息が詰まるような緊張は解けていった。そしてそれは彼女も同じのようで、段々といつもの雰囲気を取り戻していった。


「とりあえずホテルに荷物預けに行ってもいい?」

「あぁ、うん。いいよ。ホテルってどこ?」


 彼女にホテルの名前と場所を教え、身軽な彼女に先導してもらいながらホテルを目指す。


 外に出ると冬の寒さが風となって襲い掛かってくる。思わず「さむっ」と口にすると、彼女がくすりと笑って短く「ね」と答えた。


「梢ちゃんはこの辺来た事あんの?」


 いつの間にか少し先を行っていた彼女の背中に話しかけると、彼女は顔だけこちらに振り返り、隣に並んで同じ速度で歩き出す。


「来た事は何回かあるけど、そんなに多くはないかな。この辺りはお店も色々あるけど、わざわざここに来なくてもあるにはあるから」

「梢ちゃんの家ってここから結構離れてんの?」

「そこそこ? 少なくとも歩いて来ようとは思えないかな」

「なるほどね」


 大阪に行くようなものだろうか、と距離感や街並みを記憶にある場所に当てはめて考える。私の住んでいる所から大阪の中心部まで行くとなると、電車でも一時間以上掛かる。そんな場所に歩いて行こうとは思えないが、何度か行ってみようとはなる場所だ。街並みもこの場所と同じような都会らしい風景で、並んでいる店も地元よりは大きいかな、というくらいで、わざわざ来る必要性までは感じられない。


 地元との間違い探しをするようにきょろきょろと辺りを見回しながら歩いていると、ふとある事に気が付いた。


「でもあれやね、思ったより人居らんなぁ」

「そう?」

「うん。都会って聞くと東京とか大阪とかみたいに人が密集してて歩くのも大変!みたいなのを想像するやん?」

「確かに東京とかと比べると人少ないかもね」

「まぁ、これぐらいの方が歩きやすくてええけどな」

「それはそうかも」


 そうは言いつつも人はそれなりに居て、油断して余所見をしながら歩いていると、向かいから歩いてきた人にぶつかりそうになる。キャリーバッグを持ち慣れていないという所為もあるかもしれない。


 それを察してか、彼女が荷物を持とうと提案してくれたが、遠慮半分、プライド半分で断り、階段などで時折鞄を蹴りながらもなんとかホテルに辿り着いた。


 この場所で合っているのかどうか、何度も確認し、恐る恐る受付の人に話しかける。戸惑っている姿を見られているという羞恥心に苛まれながら荷物を預け、貴重品を入れた小さな鞄を抱えて彼女の所に戻り、隣に腰掛ける。


「それじゃあ、これからどうする?」

「実はちょっとだけ計画立てて来たんだけど、小豆ちゃんは今お腹空いてる?」

「んー……あんまり? お昼食べてから来ちゃったし」

 ちらりと左手首に巻いた腕時計を見ると、まだ十四時を過ぎたところだった。

「疲れてたりは?」

「大丈夫やで。新幹線でずっと座ってただけやし」

「じゃあちょっとこの辺り、デパートとか見て回ろっか」

「うん。ええよ。エスコート頼むわ」

「任せて」


 何も考えず冗談のつもりで言ったのだが、妙に乗り気な彼女が立ち上がって手を差し出してくる。驚いて彼女の手を少しの間見つめた後、そっと手を取り、彼女に支えられて立ち上がると、彼女の顔が思ったよりも近くに来て、咄嗟に顔を背けてしまった。


「ありがとう」


 口に出してから、恥ずかしがっているような言い方になってしまった事に後悔したが、彼女は特に気にした様子も無く、私に笑顔を向けていた。


「私が年上の筈なんやけどなぁ」

「エスコート頼んできたのは小豆ちゃんでしょ?」

「それはそうなんやけどね?」


 気にしたらそれこそ負けだろう、と一人で勝手に勝負事を始めた気になって意地を張り、ほんの少しの緊張と、ずっと会いたかった人に会えた喜びを胸に抱き、握ったままになっていた手を引いてホテルを後にした。

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