第17話

真衣まい?」

「なに?」

「最近元気なくないですか?」


 柊那ひなは膝の上で寝ていた私に対して、心配そうに声を掛けてきた。


「元気ないように見える? 普通だよ」


 そう普通。

 今まで通りに振舞えてる。

 私は自分に暗示を掛けるように、何度か心の中でつぶやいた。

 朱莉あかりとはあれきりだし、そもそも元が浮気の振りの相手だった柊那に対し後ろめたい気持ちなんて抱く必要はない。


「けど、最近顔色悪いですよ?」

「大丈夫だって……」


 あの日以降朱莉と学校で会うけど、彼女はいつも通りに接してきた。

 初めは和香わかにバレるんじゃないかと、ひやひやしていたけど和香もいつも通りだったし、バレてる気はしない。

 だから私も前と同じようにしないといけないのに。

 した後になってようやく朱莉の言っていた「相手がいる以上バレる可能性がある」という言葉が現実味を帯びてきた気がする。

 まあ朱莉がバレることはないだろうから、今回の相手の意味は朱莉から見た私だと思うけど。


 志保しほの時は、志保も浮気していたし、初めは浮気の振りだったこともあってここまで心配にはならなかった。

 ただ柊那は違う。

 柊那は彼女じゃないし、本当なら柊那に対してこんな裏切ったような、今謝れば許してくれるんじゃないか、みたいな気持ちは抱かなくていいはずなのに。

 けど、柊那が私のためにいろいろしてくれたのは知ってるし、なにも気持ちがないわけじゃない……。


「やっぱり私はいないほうがいいですか?」

「いや、そんなことはないよ……」

「邪魔なら言ってくれていいんですよ?」


 柊那の目には大粒の涙が溜まっていて、今にも零れ落ちそうだった。

 なるべくだったら、私だって心配はさせたくない。

 ただ朱莉の件は言った方が不安にさせそうで……。


「邪魔なんて思ってないよ」

「ならいいんですけどね……」

「ごめん……」


 このごめんが何を指してるかなんて自分でもわからない。

 朱莉と一線を超えてしまったこと?

 それを隠し通そうとしていること?

 それとも、彼女でも友達でもないようなあいまいな関係を未だに続けているくせに、それに罪悪感を抱いていることかもしれない。


「謝るくらいなら、隠し事なんかしなきゃいいのに……」


 今のにはなんて反応するのが正解なんだろう。

 隠し事なんてないよ。って?

 そんな薄っぺらい嘘ついてもすぐにバレるに決まってる。

 だからって、素直にありますなんて言ったら根掘り葉掘り訊かれるだろうし。

 適当に話をずらす?

 けどそれって、ほぼ隠してますよって言ってるようなものだし。

 答えがわからず、ずっと頭の中で答え方をこねくり回していると、冷たい声が降ってきた。


「隠し事なんてないよ、くらい言ったらどうです?」

「隠し事なんか……、ナイデスヨ」

「そうですか……」


 柊那は私に向かって一切の曇りのない、慈愛に満ちた笑みを向けてくるが、今はそれが怖い。

 さっきまで私の手を握っていた手に込められた力も、心なしか強くなっている気がする……。


「あの、柊那さん?」

「別に私に信用も信頼がないのもわかってるし、それを咎めるつもりはありません。ただあからさまに隠されてもいい気はしないんですよね……」

「そうですよね……、ごめんなさい」


 今日だけは、彼女の膝の上で寝ないほうがよかったかもしれない。

 柊那が私に危害を加えることはないと信じたいけど、ただ話してるだけでもこの体勢だと分が悪すぎる。


「別に謝ってほしいわけじゃないのでいいんですけど、悪いと思ってるならちょっと私のお願い聴いてもらってもいいですか?」

「内容にもよるけどお願いって……?」


 さすがに非常識なお願いの場合は答えられないし、現実的に叶えるのが無理なものもあるかもしれない。

 ただそれで少しでも柊那の気がまぎれるのであれば、なるべく聴いてあげたい。


「お揃いのピアス開けませんか?」

「お願いってそれだけ?」


 私てっきり、志保と別れろとか言ってくるかと思った。

 それか隠してること全部話してとか……。


「遠慮しなくていいならまだありますけど、そっちのがいいですか?」

「いや……、ピアスでお願いします」


 ピアスも痛そうだったから今まで開けなかったけど、ほかのお願いに比べたら大分マシだ。

 それどこか、正直一人で開けるのは怖かったし、かといって一生開けないのももったいない気がしていたのでちょうどいいかも。


「じゃあ、私ちょっと取ってきますね」


 柊那は私を下ろすと、自分のバックの中を漁り始めた。

 そういえば志保も初めて開けたピアスだけ残してあとは塞ぐって言ってたっけ。

 柊那も一つ開けたら他もどんどん開けるようになるのかな?


「真衣さんって開け方わかります?」

「えっと……」


 わかるって言った方がいいのかな。

 ただ私が開けてないのになんで知ってるのって話になりそうだし……。

 けどこれで嘘ついたらまた隠し事とか言われるのかな。

 柊那は私が一通り慌てるのを楽しんだのか、わざとらしく口の前に手を置いて笑うと言った。


「あっ……、そういえばあの人のピアス開けたのは真衣さんでしたね」

「……そうですね。あの柊那さん怒ってる?」


 声も明るいし、顔は笑顔なのにどうしてこんなに恐ろしく感じるんだろう。

 明るい表情の中で唯一氷のように冷たい瞳で見つめられると、嫌な汗が出てくる気がする。


「えー怒ってるわけないじゃないですか。別にこの間友達と遊ぶって言った後からなんかよそよそしくなって、あー友達から関係性変わったのかななんて思ってないですよ」

「そうですか……」


 今の言葉を額面通り受け取れたらどれだけよかっただろうか。

 できることなら、「怒ってないんだよかった。じゃあピアス開けようか」と言ってしまいたい。

 ただ今はそれが悪手なことぐらいわかる。

 そんなに態度変だったのかな。

 朱莉とした後もなるべくいつも通りに過ごしてたはずなのに。


「真衣さんは私は彼女じゃないし妬かないとか思ってないですよね?」

「いや……、そんなことは……」


 今までの態度から、志保に妬いてることはわかる。

 じゃなきゃお昼にわざわざ私のところに駆け寄ってきたり、会わないと約束した後に家を訪れたりはしないだろう。


「私言いましたよね、愛情は与えるだけだといつか枯れますよって」

「言ってましたね」

「真衣さんはなんで私のこと拒絶してくれないんですか? ほかに彼女ができたから私はもういらないって言ってくれれば今すぐにでも消えますよ」

「彼女なんかできてないし……」


 柊那は極力明るい声を出しているつもりなのかもしれないけど、表情と全く合っていなかった。

 怒っているわけでも悲しんでいるわけでもなさそうな真顔からは彼女が本気なのが伝わってくる。

 確証があるわけではないけど、今私が「もう柊那はいらない」と言ったら彼女は二度と私の前に姿を現さない気がする。


「嘘でも言っておいた方がいいんじゃないですか? せっかく友達から関係が変わりそうならこんなめんどくさいやつなんか捨てて、そっちの方に行った方がいいですよ」

「どうしたの? 柊那?」


 めんどくさいなんて思ったことはないし、朱莉と言えないようなことをしてしまったのは申し訳ないけど、だからって朱莉と付き合いたいなんて心変わりしたわけじゃない。

 それに柊那は自分のことをめんどくさいと思ってるのかもしれないけど、志保からしたら気を引くために柊那と関係を持った私の方がめんどくさい彼女だと思われる気がする。

 柊那は目から大粒の涙をこぼしながら絞り出すように言った。


「不安になってることぐらいわかりません?」

「わかるけど……」

「本当に捨てるなら今ですよ……。振られるのも当然だなって思うし、誰かに今までのことバラしたりもしませんよ」


 ズルいな……。

 そんなこと言われてじゃあねなんて言えないのわかって訊いてるでしょ。

 そんな言い方しなくても捨てたりなんかしないのに……。

 文句がないわけではないけど、言っても柊那が納得しないとわかってるし。

 彼女を抱きしめると私は言った。


「だから捨てないって……。あれはただ友達と遊んだだけだし」

「なら好きぐらい言ってください……」

「……好きだよ、柊那」

「嘘つき……」


 柊那はそう囁くと、何度か目元を拭う。

 私が口を開こうとしても、柊那はそれを聴きたくないのか重ねるように言ってきた。


「いや――」

「――じゃあ開けましょうか」


 多分この話題はこれで終わりにした方がいいんだろうな……。

 彼女が手渡してきたピアッサーを受け取ると、私は訊いた。


「本当にいいの?」

「結局開けなかった方が嫌ですから、なるべく早く開けたいな~と。真衣さんこそ私が開けたのでいいんですか?」

「? 私はいいけど?」


 まあ柊那も慣れてないだろうから、開けるのに不安がないわけじゃないけど、まあ何も知らない私でも志保に開けられたし大丈夫だろう。

 彼女の声はいつも通りの聞き心地のよい声に戻っており、さっきの不安に押しつぶされそうな感じはいつの間にか消えていた。


「わかりました」


 一度開けたことがあるせいか、裏にあった説明を見れば簡単に開けられそうだ。

 それに、柊那も事前に必要なものは準備してたみたいで、印をつけて開けさせればすぐに終わると思う。


「じゃあ、開けたい場所決めて」

「あの……、せっかくなら同じ場所に開けてもいいですか?」


 彼女は少し照れくさそうに笑いながらそう言ってきた。


「私と? いいけど」

「真衣はどっちがいいとかあります?」

「柊那に任せるよ」


 どっちって言っても、そのうちもう片方も開けるだろうしどっちでも。

 今日突然開けることになったからなんの準備もしてないしなー。


「わかりました、じゃあ印付けるので、確認してください」


 柊那はそういうと、手鏡を渡してきた。

 彼女が付けた場所は問題なさそうに見える。


「いいんじゃない?」

「じゃあ開けますねー」


 表情の合図とともに、バチンという音と鋭い痛みが一瞬だけ走った。

 え? もうこれで終わり? と思っていると、柊那がくすくすと笑いだしている。


「いつまで身構えてるんですか? もう終わりましたよ」


 耳たぶを触ってみるとさっきまでそこには無かった塊があるし、鏡にはちゃんと写っているけど、あれで終わりだとなんか開けた実感があんまりない。


「じゃあ今度は私が開ければいいの?」

「そうですね、お願いします」


 柊那にピアッサーを手渡されたが、他人の耳に穴を開けるっていうのは何度やっても緊張する気がする。


「じゃあちょっと横向いて」


 柊那の耳たぶにピアッサーを当てると、言った。


「あの、ちょっと待ってください……」

「どうしたの?」

「怖いので、手握っててほしいです……」


 柊那は若干うつむきがちになりながら手を差し出してきた。

 その手が少し震えていたから本当に怖いのだとは思う。

 私は、彼女の手を握って訊いた。


「わかった。これでいい?」

「ありがとうございます。お願いします……」

「いくよ」


 そう言って、指先に力を込め、思い切り押すとさっき耳元で聞こえたのと同じ音がした。


「終わったよ」

「なんか一瞬でしたね……」

「まあ開けるだけだったからね」


 柊那と話しながらさっき開けてもらったばかりのピアスを触ると、柊那に開けた姿をようやく私もイメージできたのか実感が湧いてきた気がする。


「ところでさ。スマホいいの?」


 柊那のスマホは少し前から机の上で力いっぱい震えており、いつの間にか今にも落ちそうな位置まで移動していた。

 普段は何か通知が来たことすら見たことがないのに、あれだけ長くなるってことは通話だろう。珍しい。


「あー、うるさいですよね。ごめんなさいでます」


 柊那はそう言ってスマホに手を伸ばすと、一瞬だけ表情が固まった気がした。


「ん? どうしたの?」

「あの人からでした」


 柊那がそう言ってスマホを見せてくると、そこには志保と書かれていた。

 確かに、今まで散々私には掛けてきたけど、柊那に掛けてきたことは一度もなかった気がする。

 まあ珍しいけど、今までがたまたま掛けてこなかっただけだろう。


「ごめんなさい、ちょっと出ますね」


 柊那はそう言うと小走りで外に言ってしまった。

 戻ってくるまで暇だなー。

 宿題とかやることがないわけではないけど、やりたい気分でもない。

 それはいつも通り柊那に勉強教えながらやればいいんだけど、今のこの時間はどうやって潰そうか。

 ろくに知り合いのいないSNSでも見て時間潰すかなとスマホを点けると、誰かからメッセージがあることを告げていた。


「和香からじゃん。珍しい。なんだろう?」

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