第12話

「出るから、先私の部屋に行ってて」

「え、なに話すか聞かせてくれないんですか?」


 柊那ひなはきょとんとした顔で尋ねてきたが、聞かせるわけない。

 話すことはどうせたわいない話だけど、だからといって聞かれて気にならないわけじゃない。


「そんなことするわけないでしょ」

「いいんですよ、今私と会ってること言ってくれても」

「言わないって……」


 そんなこと言えるわけないじゃん。

 本来なら柊那を家に上げる気すらなかった。

 今柊那が私の家にいるのは不可抗力だし。

 これを最後にもう二度と上げないから、わざわざ言って不安にさせる必要なんか何もない。


「それより、早く出ないと切れちゃうんじゃないですか?」

「わかってるんだったら、早く行ってって」

「けど、私が真衣まいさんの部屋に行ったとして、真衣さんはどこで話すんですか? ここ寒いですよ?」


 長時間話すには寒いけど……。

 ただ柊那に私以外の部屋に行ってもらうわけにはいかないし……。

 そうなると、リビングかな。

 ただ私しかいないのにリビングの暖房付けるのもな……。

 ほかに選択肢がないことがわかり、あきらめの気持ちを込めてため息をつく。


「わかった、私も行くから絶対邪魔しないでよ」

「別に邪魔する気はないです、そういう約束なので」

「はいはい」


 適当に返事をすると、私は部屋に戻りながら志保しほと話し始めた。

 柊那も気を使ってくれているのか、さっきより少しだけ足音が小さくなった気がする。


「ごめん、遅くなった」

『大丈夫だよ、掛けるって言ってなかったし』


 スマホ越しに聞こえる彼女の声はいつもと同じように聞こえるけど、それが逆に不安を搔き立てる。

 私は今いつも通りに話せているんだろうか。

 柊那がいることはちゃんと隠せているだろうか。

 柊那の方を振り返っても、なにも気にしていないのか首を軽く傾げた後微笑み返してくるだけだった。


『そういえばさ、真衣って今外?』

「家だけど、どうして?」

『なんか歩いているような音が聞こえたから』

「ちょっと一階居たからね。今戻ってるとこ」


 ドアを開けると、指を使って柊那に指示を出す。


(先入って)


 柊那は小さく頷くと部屋に入っていった。

 よかった、今のところ邪魔しないでくれて。

 どんなに私が気を使っても、柊那が協力してくれないと一瞬でバレてしまうだろう。

 本人は私と志保の時間を邪魔しない約束をしたと言っているから、本当に約束した範囲は守ってくれるのかもしれない。

 通話中も私たちの時間に入るのかはわからないから、推測だけど。


『ごめんなんかしてた? やっぱりいきなり掛けないほうがよかったかな?』

「そんなことないよ、大丈夫。ちょっとお茶淹れてただけだから」

『この間のやつ?』

「そうそう、美味しいって言ったやつ」


 柊那はしばらくすると飽き始めたのかそこらへんにあった本をパラパラとめくり始めた。

 数ページめくっては閉じ、また数ページめくっては閉じるのを繰り返す。

 普段なら志保と話し出したら一瞬で時間が過ぎてしまうのに、今日は視界の端に映る柊那のせいで集中できない。


『――それでねー』

「そうなんだ――」


 しばらくそんなことを繰り返して、一通り本棚の中に好みのものがないとわかったのか、丸めたティッシュをぶつけてきた。

 初めは無視しようかと思ったけど、2、3個ぶつけた後彼女が健気にティッシュを回収して再度ぶつけてくるのを見ると、さすがにかわいそうになってくる。

 志保にバレないよう口だけ動かして尋ねた。


(なに?)

(ひま)


 柊那同じく口の動きだけで伝えてくる。

 なにが暇だよ……。

 自分から来たくせに……。


 その言葉を無視して柊那から視線を外すと、袖が引っ張られる。

 見ちゃだめだと思って、頑なに顔を動かさないでいると、柊那の方から視界に入ってきた。


(かまって)

(あとで)


 柊那はわざわざ頬を膨らませて不満を表すと、本棚に体重を預けゆっくりと目を閉じた。

 さっき本めくりながらあくびしてるなとは思ってたけど、寝る気なのか……。

 私が寝てる間になにもしないとでも思ってるのかな。

 どうせなら無防備な姿見せたことを後悔させようかと思ったけど、なにかやった瞬間に志保にバレそうで思いとどまった。

 その代わりと言ってはなんだけど、手近にあったブランケットを投げつける。

 驚いたように、何度も瞬きする柊那にまた唇だけで言った。


(かかってな)


 ブランケットを広げてようやく私の意図が伝わったのか、柊那は満面の笑みを浮かべた。


(ありがとうございます)


 彼女は器用に身体に巻き付けると、本棚に寄りかかる。

 しばらく観察していると、そのうち気持ちよさそうな寝息を立て始めた。


「ほんとに? やば」

『ホントだって――』


 ◇


「起きて」


 未だに寝息を立てている柊那の肩を叩くと彼女はあくびの混ざったような声を出した。


「あ、おわりましたか?」

「終わったよ」

「なんかすごいよく寝た気がする」


 柊那はとろけた目のままそう呟いた。

 大きく伸びをするが、彼女の様子を見るとまだ寝られそうに感じる。


「お茶でも飲む?」

「いいんですか?」

「いいよ」


 私はさっき淹れたばかりの紅茶を彼女に差し出す。

 一杯も二杯もそこまで手間は変わらないし、どうせならと思って淹れておいてよかった。

 紅茶らしい少し柑橘類を思わせるような香りが鼻孔を通り抜けるのを感じていると、柊那ぽろりと漏らした。


「え、これ美味しすぎません?」

「そう言ってもらえたならよかった」


 もともと私だけの楽しみのために買ったものだし、高かった安かったは言わないけど、柊那にも絶対にお世辞じゃないとわかる反応をされると消えていった樋口も本望だと思う。


「私もこれ買おうかな……」


 柊那は大事そうに最後の一滴まで飲み干すと、ふぅと息を吐いた。


「ごちそうさまでした。なんか真衣さんの好きなものが一つ知れてよかったです」

「満足して貰えたようで私もよかったよ」


 元の質がいいのもあるんだろうけど、意外と姉妹って味覚の好みが似るのかもな。


「それで……」

「ん?」


 柊那はマグカップをゆっくりと置くと、さっきとは打って変わって神妙な面持ちで話し出した。


「今日って泊めてもらえたりします?」

「そこまでしたら振りですらないじゃん」


 彼女がいる人が、彼女じゃない人と夜二人きりって時点で大分やばそうなのに、泊まるのはダメでしょ。

 万だろうが億だろうが絶対に柊那と間違いを犯すとかはあり得ないけど、もし志保にバレたら完全に終わる。

 ただでさえもう会わないって約束をしたのに二人きりで会ってるわけだし……。


「けど、もうほぼ12時ですよ。何時間あの人と通話してたんですか……?」

「いつも話すときはこのくらいだし……」

「あー、こんな時間まで寝かせといたくせに、真衣さんは深夜に私独りで帰れっていうのか……」


 柊那はアカデミー主演女優賞でも取るんじゃないかというくらいあからさまな演技で私に訴えかけてくる。

 そう言われたら強くは言い返せないけど、演技の報酬としては一泊プレゼントどころか三文がせいぜいだろう。


「わかったよ、じゃあ家まで送っていくから」

「そうしたら帰り真衣さんが独りになっちゃうじゃないですか。ダメですよ。私心配で眠れる気がしません」


 コートに伸ばしかけた手を止めると、私は訊いた。


「じゃあどうしろって?」

「だから泊めてください。それとも今ここでお姉ちゃんに全部話しましょうか?」


 柊那はまた1タップするだけで志保に掛かるようにしたスマホの画面を見せてくる。

 押しても私を傷つけることなく、ただ志保と通話がつながるだけなのにその画面を見せられるのはナイフを突き付けられるのより怖かった。

 背中に汗が伝るのを感じながらなんとか口を開く。


「脅してるの?」


 私の震え声に対して、柊那はいつも通りの声で返してくる。


「あれ、伝わりませんでした? 脅してるんですよ?」


 まあ柊那からしたらバレてもデメリットなんてほぼないはずだし、脅すのに緊張もしないか。

 私が泊めるのを拒否したら、志保にバレて私の負け。

 私が泊めたら、浮気になって私の負け。

 あの時家に入れてしまった時点で私の負けは確定していたのかもしれない。


 ちょっと前にやったゲームと完全に同じな気がする。

 勝てると思った試合で、負かされる。

 ようやく元の恋人に戻れると思っても、阻まれる。

 ああ、ダメだ。

 考えるのすら疲れてきた。


「真衣さん。私何事にも保険は掛けておいた方がいいと思うんですよ。私からは絶対にあの人に言いません。だから……」


 柊那は小さく息を吸うと、全てを包み込むような笑顔を向けてくる。


「もうちょっとだけ真衣さんの傍に居させてくれませんか? 本当に私が必要なくなったらちゃんと消えますから」


 志保のような声を聴きながら、志保のような背格好の彼女に抱きしめられ、志保が付けていたような香りが鼻孔をくすぐると、もう全部どうでもいいかなと思ってしまう。

 ここ数日二人と触れ合ったことで、今私と体温を共有しているのが柊那であることはちゃんとわかる。

 それにドロドロに溶け去ってしまった理性の唯一残った部分がちゃんと警告を発しているのもわかってる。

 それでも目の前にいる人に絶対に勝てなくて、志保とほぼ変わらないならいいかと思ってしまう。


 今抱きしめている人が柊那だと認識しながら、私は口を開いた。


「わかった。いいよ泊って」

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