第11話
あれでよかったんだよね?
もう浮気の振りなんて危ないことしなくていいし、一緒にいる時間が増えれば
家に帰っても、私の頭の中は昼間のことでいっぱいだった。
正直言ってあっさりと
まああっさり引いてくれないと私は困るんだけど。
あの後私になにかするわけでもなかったし、私たちの関係をほのめかすことすらせずにお昼を食べ終わったらさっさと帰ってしまった。
もう柊那に確認できないから、なんであんな素直になったのかはわからない。
ただ提案された時は、私が浮気されてまた泣いてると思ってしまうのが嫌だ、って言ってたはずだ。
もし志保といる時間が増えれば私が泣くことはなくなる。
そう考えると柊那の目的が果たされたから素直に引いてくれたのかもしれない。
そうだよ、きっとそう。
じゃないと、あの柊那の行動に説明が付かないし。
どうにか論理をつなげて、これでようやく落ち着けると思っていると、ベルの音が聞こえた。
こんな時間に誰だろう?
時刻はすでに午後9時を回っていて、誰か尋ねてくる予定もない。
もしかしたらお母さんが鍵を忘れたのかもと思ったけど、玄関を開けておいてほしい旨のメッセージは何もなかった。
気にしないようにしていたのに、スマホを見ると昨日までそこにいたアカウントを思い出してしまう。
柊那がもう私と志保の時間を邪魔しないと約束した後、志保は私たちに互いの連絡手段を断つように言ってきた。
その時はそれに文句を言う気はなかった。
隠れて連絡を取ってると思われるのは嫌だし、そう疑ってしまう志保の気持ちもわかる。
ただどうして一人になってそこに柊那のアカウントが無いのを少し悲しい気分になる。
ここ数日間彼女と話すのは当たり前で、いつの間にか私の日常になっていた。
いざそれがなくなると、違和感がすごくて非日常の世界に迷い込んだみたいだった。
もう二人きりで会えなくなるなら最後に今までありがとうぐらい言っておけばよかった。
後から悔やんでも仕方ないんだろうけど、そんな後悔を胸にインターフォンから外を見ると、見慣れた人影がいた。
見慣れているはずだけど、絶対にそこにはいないはずだ。
だってついさっきもう会わないって約束したはずじゃ……。
「柊那?」
恐る恐るそう尋ねるとノイズの混ざった声が返ってきた。
『
開けてしまっていいんだろうか。
志保ともう柊那とは会わないって約束したし、ここで開けたら志保を裏切ることになる……。
ちゃんと帰ってって言わなきゃ。
柊那との関係は終わりにして、これから志保と上手くやるんだ。
私が口を開こうとした瞬間、インターフォン越しにくしゃみの音が聞こえてきた。
「風邪ひいたの?」
『寒いだけですね、多分』
「そっか……」
一度口を利いてしまうと、会話を止めることができなくなる。
拒絶しなきゃいけないのはわかってる。
ここで終了ボタンを押せば、きっともう柊那と話すことはなくて、志保とまたちゃんとした恋人になれるはずだ。
『春って言っても夜だと冷えますね。もうちょっと着込んでくればよかった』
「そうだね……冷えるかも」
『真衣さんも外出るときは気を付けてくださいよ。さすがに風邪ひいちゃいそう』
その間も何度か彼女はくしゃみを繰り返す。
そのたびに何か声を掛けたくなってしまうけど、今気づかいを見せちゃいけない。
私の彼女は志保だから。
一番大事なのは志保で、もう柊那とは会わないって約束したし。
「わかってる」
『……。やっぱり私はもう来ないほうがいいですか?』
「そうだね、ごめん志保と約束したから……」
『あの人は真衣さんのちゃんとした彼女ですもんね……。じゃあ帰りますね』
柊那がそう言ったとき、彼女はひと際大きなくしゃみをした。
風も強いみたいだし、あれだけくしゃみしてる中帰したら絶対風邪引くよね。
会わないって約束はした。
守らないといけないのはわかってる。
けど私が帰したせいで風邪ひいたかもなんて思いたくない。
そんなこと思っている間は絶対に柊那のことを忘れられないし、それだったらここで少しだけ上げて、今までのお礼も言って心残りをなくしたほうがいい。
「ちょっとだけ、上がっていく?」
『いいんですか?』
そりゃそんな驚いたような声も出すよね。
元から上げる気なんかなかったし、私だって驚いてる。
ただあんなくしゃみ聞いちゃったら返すわけにはいかない。
「いいよ、今開けるから待ってて」
急いで玄関に周ってドアを開けると、想像より大分薄着の柊那がいた。
「ねえ、風邪ひく気だった?」
「家出る前はもっと暖かいと思ってたんですけどね……」
柊那はそう言いながらも小さく震えていた。
「お茶でも飲む?」
「いいんですか?」
「いいけど、飲んだら帰ってね。志保と約束したし」
「約束ってなんですか?」
柊那はきょとんとした顔で尋ねてくる。
「昼間したの覚えてない? もう私と会わないって」
「そんな約束した覚えはないですよ。私が約束したのは真衣さんとあの人の時間を邪魔しないってことだけなので。会わないなんて一言も言ってませんよ」
「そんなこと聞いてない……」
あの時の会話を思い出そうと、記憶の入った箱をひっくり返すが、会話の一言一句まで覚えているわけがない。
ましてやあの時空気に押しつぶされそうだったし。
「まあ私は真衣さんが聞いてようがまいがどちらでもいいですよ。そんな約束してない事実は変わらないので」
「柊那がそう思ってても、志保が納得するわけないじゃん……」
志保も私と同じでもう会わないと約束したと思っているはずだ。
柊那がなんと言おうと、志保が会わないと認識してるなら会わないわけには……。
「別にあの人がどう思うかなんてどうでもよくないですか?」
「なんで志保と約束したんだし、どうでもよくないわけないでしょ?」
「けど、あの人は真衣さんのこと裏切りましたよ」
柊那は光の無い顔で微笑みかけてくる。
裏切ったって、そうかもしれないけど。
ここで私も志保のこと裏切ったら二度と恋人になんかなれないだろうし。
「だからって、私はもう柊那と会わないって約束しちゃったし、これで会うのは最後にして」
「じゃあ聞きますけど、真衣さんはそんな約束してお姉ちゃんが浮気やめてくれるとか思ってたんですか?」
やめてくれるんじゃないの?
全部の時間を私に使ってくれて、私だけを見てくれると思ってた。
だから志保も会うのやめてって言ったんでしょ?
ただ自信ありげに話す柊那を見ていると、私のほうが間違っているんじゃないかと思ってくる。
「だってもっと一緒にいれば志保だってほかの女に使う時間無くなるし」
「時間なんて24時間366日全部一緒にいないといくらでも作れますよ? 現に真衣さんだって私に会ってる」
それを言われてしまうと何も言えないけれど……。
私はもともと柊那と会う気なかったし。
志保も私に隠れてそんなことしないなんて信じたい。
「けど志保はそんなこと……」
「あの人は真衣さんのこと裏切って、傷つけて謝りもしないんですよ。なんで彼女って肩書があるだけでそんな人を信じるんですか? 私は裏切ったことないのに」
「彼女だから……」
私と付き合ってくれてるってことはきっとまだ私のことは好きなはずだし、せっかくそんな志保とまたちゃんとした恋人関係に戻れるのなら、チャンスはふいにしたくない。
私の返事を聞くと、柊那は大きなため息をつく。
「じゃあそんなに彼女って肩書が大事なら、その薄っぺらい漢字二文字のつながりがどれだけ強いか確かめましょうか?」
呆れたような顔をしながら、氷の板のように冷たいスマホを差し出してきた。
「今から私のスマホから掛けてしたこと全部あの人に話してください。それでも壊れないなら、会わないって約束を守ります」
「そんなことできるわけ……」
今柊那と会っていること、気を引くために振りだったとしても浮気をしようとしたこと。
それを言ってしまったら、きっと志保は私のことを見捨てるだろう。
わざわざ振りをしたのも志保の気を引きたいからだったけど、それを説明したからと言って納得してくれるとは思えない。
「ほら自分でもわかってるでしょ。恋人という肩書でつながった関係がそこまで強くないって」
柊那がそう言って私に詰め寄ってくると、ポケットが震えだした。
画面を点けると、志保からの着信を告げている。
「どうぞ、出てください」
私に張り付けたような笑顔を向けてくる柊那は、今までで一番得体の知れないもののように見えた。
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